二十二 松永久秀

 世の中の平穏を、すべての僧が念じているわけではない。

 果心のごとく、親の都合で寺に放り込まれた子どもは、伊賀や甲賀の忍びの里に拾われた子どもと大差ない。生きる術を、そこで修するだけである。

 また、それらは、己の果てし心を埋めようとする。そうした族を、果心はすぐに見分けた。相手も、己と果心が同類であることを覚る。それは、僧や忍びの者だけではない。

 たとえば、唐招提寺の門前で、御仏の菲を難じていたあの男も、同じである。

 御仏を難じるのも、妖術を用いるのも、誰かの心を引きつけて、果つる己の心の埋め草にする試みであることに変わりはない。

 ただ、それだけで果つる心が満たされたように思う刹那はあっても、それは砂のごとく瞬時に乾いてしまう。

 けれども、仏道であれ外法であれ、その道にどれほど通じていたとしても、そんなことが繰り返されるばかりであることを知っている者は少ないかもしれない。たとえ知っていたとしても、では如何いかにすればよいのかわからない。どうにもしようがないから、一度手にした仏道なり幻術なりにすがりつくばかりである。

 松永久秀も、おのが果てし心に手を焼く者であった。

 久秀もまた、果心が同種の生きものであることを感得した。

「異相じゃの」

 積まれた手土産の前に果心が腰を下ろすなり、鼻の下に長く伸ばして跳ね上げた髭の先を撫ぜながら、遠慮なく久秀は言った。

「はい」

 法主に応じるのと変わらぬ声を、果心は返した。

「名は、何と言うたか」

「果心にございます」

「かしん?」

「果つる心」

「ほお、それは、どこぞの寺の坊主にでもつけてもろうた名か」

「いえ、己で付けし名にございます」

「気に入ったぞ。そこらの生臭坊主とはまた一風変わった面白い奴じゃ。これよりときどき訪ねてまいれ」

 それだけの、短い対面だったが、帰りには少なからぬ寄進きしんを果心は受け取った。

 信貴山寺では、法主をはじめ一同気をんでいた。

 何しろ、酷薄こくはく残忍ざんにんで聞こえた松永久秀である。どんな因縁いんねんをつけられ、どれほどの無体むたいを強いられるかわからない。

 いかに引き受ける者がなかったとはいえ、そんな危ない役を、愛想のないのはもちろん、気を遣おうともしない外法師に一任したのであるから、不安はふくらむばかりであった。

 そこへ、顔色も変えずに、多額の寄進をたずえて果心が帰ってきたのである。

首尾しゅびは」

別段べつだん

 それだけ返した果心だったが、近づきの印を持っていった供の者から聞き出すと、どうやら果心を久秀は気に入ったらしい。

 以後、松永久秀の係は、果心に決まった。

 秋になって、この陣屋を四槽よんそうの城に改める工事に久秀は取りかかった。

 信貴山城しぎさんじょうである。

 ほぼ同時期、東大寺の西側にある眉間寺山みけんじやまにも、城を久秀は築き始めた。

 これが、多聞山城たもんやまじょうである。

 信貴山城は生駒いこま山系にあって大坂と奈良との、また多聞山城は京から奈良への要衝ようしょうに造られた城で、いずれも大和やまとおさえるための拠点である。

 特に、多聞山城には、その南に位置し、大きな勢力を誇る興福寺を攻略するためにも、早急さっきゅう築城ちくじょうが求められていた。

 奈良街道と興福寺を抑えるという戦略的な立場で言えば、この眉間寺山がもっともよかったのだが、ただ、ここは大仏建立こんりゅうみことのりを発せられた聖武しょうむ天皇の御陵ごりょうの一部にかかっていた。

 不遜ふそんの輩、と久秀が称された由縁ゆえんである。

 また、多聞天たもんてん信奉しんぽうする久秀は、当代一の仏師ぶっしを招いて、この城の第一層に、高い天井を破らんばかりの巨大な多聞天を造った。

 これによって、多聞山城と久秀は命名したのである。

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