十九 嫌悪の捌け口

 しかし、自ら造作した不全の男を西行法師が高野山に置き去りにしたように、結句母を果心は捨てた。捨てて、当てもなく山中を果心は歩いた。

 すでに果てし心なら、何も恐れることはなく、何に乱されるはずはなかろうに、己の心を鎮めることが果心にはできなかった。

 やみくもに、どれほど山中をさまよい歩いたか……

 短い悲鳴が響いて果心はそちらに足を向けた。 

 静かな木漏こもに漂う血の臭いが、のように果心を導いた。

 血の気配は、春の日差しの中で首を仰向けに倒れている若い男の、切り裂かれ喉笛のどぶえから漂っていた。

 その二、三間先に、二人の男の姿があった。若い娘に股がって、髭面の一人がその頬を殴りつけている。その右に腰を屈めて覗きこんでいる一人は、なにやらはやし立てている。

 今まさに娘の胸元を開き、そこに髭面を押し付けようとする男の左に、半眼の果心が音もなく近づいた。そんなことに気づきもしない髭面が、娘のすそを割って手を入れたところで、その汚い頬髭を左手で果心は掴み上げた。そこではじめて果心に気づいた髭面が、ぎょっと眼を見張って、

「な、何だ?」

 驚いたそいつの声でようやく気づいたもう一人が果心に眼を向けた。その左の頬には、耳から顎まで走る長い刀傷があった。

 髭を掴み上げたまま、そのその目の前に右手の人差し指を突きつけた果心は、それをゆっくりと地面に向けて小さな円を描く。

「おのれ!」

 我に返って凄見ながら果心の腕を掴もうとする髭面に、半眼のまま右手を円の中に果心は沈めていく。

 再度、眼を見張った二人の前で、肩まで沈めた右腕を一度止めた果心は、一つ呼吸を置いてから、一気に引き上げた。

 引き上げた右手とともに、円の中から頭蓋骨が現れ、そのまま肩から胸、腰、足の骨が続く。

「ああ!」

 恐怖の声を上げたそいつらの目の前に立った髑髏どくろは、九尺ほどの高みからがしゃがしゃ笑った。

 腰を抜かしながら這って髭面は逃げ出したが、それでも刀傷は太刀を抜いて髑髏の足をぐ。

 たちまち音を立ててそいつの上に髑髏は崩れ掛かって、かろうじてかわした刀傷の眉間を、抜きあげた右手の人差し指で果心が突くと、しばらく天を仰いで不意にへし折られたような生木のように、そいつは倒れた。

 女は、

「あ……」

 と声を漏らして、すぐそこに立っていた果心に驚きの眼を向けたが、それでも窮地を助けられたことを覚って、

「あ…… 危ういところを、お助けくださり……」

 半身を起こして胸元を隠しながら、礼を述べようとする女の口を、無言で吸って果心は押し倒した。

 女をなぶろうとしたやからを術にかけたのは、やり場のないけ口を求めるために都合がよかっただけで、それでも鎮まらぬ己を、今度は術を用いずに女を辱めることによって果心は収めようとしただけであった。

 だが、女はすっかりあきらめたのか、果心に組み敷かれたまま、もう抗おうとはしなかった。ただ、最初は人形のあった女は、やがて己の顔を両手で覆い隠して、あえぎ声を漏らし始めた。

 どうにもならない己自身に対する嫌悪を、しかし果心はいたずらに増幅させただけだった。

 

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