十八 反魂

 空海が開いた真言密教の聖地,高野山は、また、外法も生み出した。

 たとえば、異形いぎょう髑髏どくろを奉じ、特異とくい呪法じゅほうを念じてはあやしい境地きょうちふける。

 あるいは、荼枳尼天だきにてん信奉しんぽうしては飯綱いづな、つまりは狐のたぐいを自在に扱う。あるいは、立川流では、男女の交接を至高の法悦とする。

 なるほど、興福寺でよたに無間が見せたおなごをたぶらかす術は、この立川流であったかと果心は得心したが、どれだけ探しても、嵐になぶられる船を救う法術は、外法、外術には見当たらなかった。

 高野山で三年。

 こうした外法外術を果心は修した。

 ただ、反魂はんごんの術を会得するには至らなかった。

 そもそも西行法師がぎょうじたのは、亡くなった知己肉親など、愛した者を従前のごとくよみがえらせるものではなく、野にさらされた人骨をもって新たに人を造り出す試みであった。

 そこに、もよの骨が残っているならまだしも、果心が携えているのはその遺髪いはつに過ぎない。

 それでも、あえてその髪を用いて造作ぞうさしたなら、もよの頭髪をいただいただけの、まったく別の女にそれはなるであろう。

 そんなことがわかっていても、反魂の術をなしとげなければ、もよを失った果心は、果心のままに生きなければならなくなる。いや、果心が果心として生きるためのけじめをつけるためには、それが欠かせぬことだと、どこかで果心は思っていたのかもしれない。

 さらに二年。

 果心は反魂の術に専心した。

 呪法を身体に叩き込み、秘薬を調合した上で高野山を下りた果心は、まず、西行法師があんだと言われるいおりの跡を吉野山に訪ね、ねんごろに法要を営んだ。

 それから金峰山寺きんぷせんじに果心が立ち寄ったのは、奥千本の櫻も満開になろうかというころであった。

 金峰山寺は修験道しゅげんどうの総本山であり、今は反魂の術に没頭する果心は、いずれ修験道もきわめたいと思いながら、蔵王堂ざおうどうおもむいた。

 反魂の術の成就じょうじゅ祈願きがんし、蔵王堂を出たところで、

無月むげつ

 背後から声をかけられた。

 それが自分にかけられた言葉だと最初は思わなかったが、二度目に声をかけられる気配に、果心は振り向いた。

 相手は、この金峰山寺の若い僧のようであったが、振り返った果心の顔を見て、その言葉を飲み込んで代わりに、

「いや、御無礼をつかまった。知る見紛みまごうた」

 頭を下げると、

「今、ここに無月がいようはずもなかったわい」

 己に確かめるようにこぼしながら、それでも果心の顔を凝視してその若い僧は立ち去った。

 果心と似たよく似た者を見かけることは、そうはあるまい。

 後ろ姿とはいえ、肌の色は浅黒く、剃り上げた頭頂も、耳の先端も尖っている。もし、これと似た容姿を持つ者があるとすれば、無間の他にあるまい。

 だが、無月、と、その若い僧は呼んだ。

 妖しげな術を遣い、女を誑かす無間の名は、機内一円に知れ渡っていたとしてもおかしくはない。だとすれば、興福寺を出てから、無月と名を変えて無間がこの吉野を訪れたとしても不思議はない。

 しかし、無間に対する感興かんきょうなど、もはや果心にはない。

 満開の桜に誘われるように、奥千本に足を運び、術を施すべき女の骨を、果心は探した。

 野晒のざらしとなった女の骨を探すのは、荼枳尼天を奉ずる異形の髑髏を求めるよりたやすい。道を踏み迷って行き倒れたまま、あるいは野盗に襲われて落命したかばねが朽ちたものは少なくない。

 ただ、奥千本から果心が見つけた女の骨は、美しかった。

 散り始めた花びらに埋まっていたその骨は、肉や皮が奇麗に削ぎ落とされ、小骨の一つも欠けることなく、ひときわ大きな櫻の木の根元に横たわっていた。

 髑髏でありながら、妖艶ようえんな香りさえ嗅ぎ取れそうに、果心は感じた。それは、懐かしい感興のようでもあった。

 他にもいくつか骨を集めてはみたが、櫻の花びらに埋まっていた女以外に、果心を惹きつける髑髏はなかった。

 果心は、もよの遺髪とともに、これに反魂の術を施した。

 もちろん、そこに姿を現したのは、西行法師が捨てて逃げたような、形の崩れた不全の男ではない。

 といって、もよではない。

 童女のような笑みをたたえた、美しい女だった。

 果心は、その女の顔を凝視したまま動けなくなった。

 不肖の弟子であっても、仏縁、因果応報を果心は知らぬわけではなかった。

 ただ、それを信じていない外法師だと自認している己が、その因縁いんねんを我が身で思い知ろうとは、夢想だにしなかった。

「無間様、無間様、無間様……」

 そう、女は繰り返すばかりであった。

 不義の子を捨てて無間を追った母は、吉野の櫻に迷うたあげく、捨てられて外法師となった息子に拾われたのである。

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