十四 死人幻術

 すでに日は没していた。

 おそらくは、落魄らくはくした公家くげの屋敷であろう。荒れて人気ひとけのないその屋敷の崩れた築地ついじの闇に松明たいまつの灯を法春がかざすと、そこにもよはいた。

 歓喜を面に表した瞳は、星々に向けられていたが、衣服をぎ取られて転がったその胸には、見覚えのある小刀が突き立っている。

「もよ……」

 抜くと、それは中ほどで折れていた。

 もっと早く、たとえば流酔に妨げられて奴が立ち去ったときに、その執念深さに法春は気づくべきであった。

 それを、法春は悔いた。

 辺りにもよの着衣はなかった。

 己の法衣を片手で脱いだ法春は、もよを包んで星を見つめるその瞳を右手で閉じるときに、最後にもよが見ていた空に眼を向けた。

 そこにあった星の一つが、ふいに西へ流れた。

 その行く末を見定めることなく、もよの亡骸を法春は背負った。

 両手をだらりと下げたもよは、思いのほか軽かった。

 法春は、崩れた築地を跳び越えて歩き始めた。

 いつの間にか、月光が道を照らている。

 もう、松明はいらぬか……

 そう思ったとき、背後に人の気配を感じたが、そのまま法春は歩みを進めた。

「待て」

 言われて歩を緩めぬ法春の左右を抜けて二人の男が行く手をふさぐ。

 振り返ることなく法春は、さらに背後に二人、数えて歩みを止めた。

「命まで盗る気はない」

 刀を抜いて右の一人が言う。

 左のやからは黙って刀を抜いて、その切っ先を法春に向けると、

「おい」

 恫喝どうかつする。

 背後の一人も鞘走さやばしらせた音を聞かせてくれたが、どうやら首領と思しきもう一人は、気配を殺しているようだった。

「女が眠っております。お静かに願います」

 丁寧に言った法春の言葉に、右の一人が下卑げびた笑いを浮かべて、

「女も置いていけ」

 と言ったとたんに、法春に背負われていたもよが法衣から顔を見せる。

 閉じたはずの両眼を大きく開いて、その白い眼に赤い月が浮かぶ。

 笑った口は耳まで裂けて、血にまみれた糸切り歯が長い。

 声を呑んだ左右の二人に、高く突き上げ、月に届かんばかりに伸ばした両腕を、もよはそやつらの頭上に振り下ろす。

 悲鳴を上げながら腰を抜かす二人の頭を、もよが鷲掴みにしたところで、背後の一人が、前に回る。

「何をしている」

 言って刀を法春に向けたそいつにも、口を半開きにもよは笑いかけた。

 刹那せつなひるんでそれが却って恐怖をあおったのか、そいつが法春の肩の上で笑うもよに向かって、

「ば、化け物め」

 斬りつけようとするところで、

「だから、止めておけと言ったんだ」

 背後の首領らしい男の声が、その切っ先を制した。

「そいつの背負っているのは、ごうの深い死人しびとだ」

 言うなり、手下を置いてきびすを返した。

 腰を抜かした二人の間を何事もなかったかのように歩き抜けると、背中のもよを法春は見返した。

 閉じられた瞳は、もう月を映してはいない。

 伸びたはずの両手は、法春の肩に添えられている。

 法春は空を見上げた。

 いつのまにか星も月も隠した闇の中に、松明の火が、ただ一つ灯っていた。

 

 

 

 

 

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