十三 何渡流酔

「ようも邪魔をしてくれたな」

 振り向きもせず、

「拙僧が何か……」

 法春はとぼけてみせたが、

「なるほど、人の幻術は見抜いても、さほどの術者ではないということか」

 段蔵の挑発に、

「牛はよいのか。あれがなければ、たいした目眩めくらましもできまい」

 法春も返したが、

「人の牛より、己の女を案ずるべきではないのか」

 楽しそうな段蔵の、声音に思わず法春は振り返った。

 瞬間、絡み合った視線が互いの動きを止める。

 川辺を行き交う人々に二人は見えていながら、そのじつ見えぬ。

 どれほどそうしていたか定かではない。

 母親をうた子どもの甲高い声がひときわ長く聞こえて段蔵が、両脇に垂らした左右の手のひらを返したとたんにそこから風が巻き上がる。風は、無数の刃に変じて法春を襲う。

 すかさず合掌した法春は、刃を乗せた風に向けてその手を開く。

 たちまち風は力を失い、刃は木の葉の如く地に舞い落ちて、そのまま双手もろてを天に突き上げ身体ごと大きく回して法春は、得意の円を中空に描いてそれより迦楼羅かるらを呼び出すや、それが段蔵の襟髪えりがみを掴み上げる…… かに見えた。同時にそれより高く跳んだ段蔵の身体は膨れ上がって迦楼羅の手を弾き飛ばすと、両手を返して左右から伸びて落ち様、法春の身体を挟んで潰そうとする。

 あっと、後方斜めに飛んだ法春の、前に肥大した段蔵のその影は消え失せて、さらに高いところから、小刀しょうとうを構えた段蔵が笑って真向唐竹割に振り下ろす。

 身をよじって避けてなお、それが左の肩の骨を割るかに見えた刹那、その刃がぴたりと止まる。

 何かが段蔵の小刀を阻んだような感触に、

「うぬ」

 段蔵が己の全身の力を込めた瞬間、高い金属音を放って賀茂川に向かってそれは弾き飛ばされた。中ほどから折れた小刀の刃先が独楽のように回転しながら奇麗な弧を描いているのが、降り立った法春に見てとれた。

「誰だ」

 河原に降り立った段蔵の視線が、賀茂川の土手で胡座あぐらをかく男に向けられた。

「いや、おもしろいものを見せてもらいました。なれど、さすがにもう血は見とうはございませんでな」

 そう言って、笑いながら土手を下りてくると、

「川風が心地よい」

 さわやかに加藤段蔵を男は見返した。

 切っ先の折れた小刀を鞘に収めて、

「覚えておれ」

 どちらに言うでもなく捨て台詞を残して足早に立ち去った段蔵の姿が霧に溶け込むように見えなくなって、

「お若いのに、なかなかの術を遣われる」

 法春に向き直った男は、年若く見えながら、老練ろうれん風貌ふうぼうにも見える。

「いや、未熟ゆえ……、たった今、御貴殿ごきでんに助けられ申しました。ありがたく存じます」

 礼を述べた法春に、

「何渡流酔、と申します」

 男は名乗った。

「かわたれ、るすい……殿」

なに、と書いて、か。を渡って流れにうか、そんな遊びのような名でございますよ」

「ああ……、拙僧は、法春、と申します」

「法春殿は、幻術を遣われるのか」

 興味津々きょうみしんしんといった流酔に、

「幻術を御存知か」

「この眼にいたしましたのは、今がはじめてにございますが……」

 それには、

児戯じぎにも等しき目眩めくらましにございまする」

 と、恥じ入るように法春は目を伏せたが、

「拙僧の外法より、流酔殿の遣われる術は、また違うもののようにお見受けいたしましたが……」

「これとて児戯」

 軽く受け流しながら、

「それよりも、不躾ぶしつけながら、法春殿の幻術を御教授いただきたいと存ずる」

 と、流酔は頭を下げた。

「御覧のように、我が術は未熟。教授を請うなら、先ほどの、加藤某の方がかのうておりましょう」

 この開けっぴろげな物言いをする、流酔と名乗る男を警戒しながら、法春はそう応じた。

 だが、そんなことには気づかぬように、真摯しんしな眼差しを法春に流酔は向けて、

「法春殿には、己の技をみだりに誇示することなく、また、たやすく人の命を奪い去ることともありますまい」

 と言った。

 言われて、

「あ」

 法春の脳裏に、もよの不安げな顔がよみがえった。

「連れを…… 連れを探さねばなりませぬ。これにて御免」

 慌てて土手を駆け上がる法春の背中に、

「一条辺りにお出でになれば、是非、お訪ねくだされ」

 と、声を流酔は投げた。


 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る