十二 牛を呑む

 京都四条河原には、物売りの他に見せ物も出ていた。小屋掛こやがけもあれば大道芸だいどうげいもある。

 ただ、そこにいるのは、活計たつきとして芸を見せる者ばかりではない。

「法春様。あれ、牛が……」

 もよが視線を向けたところに、大きな牛がいた。

 人混ひとごみの中にあって、それに目を引かれる者は多いが、もよが気づく前から、法春の視線の先には、その牛の手綱たずなを持つ、総髪そうはつの小柄な男があった。黒い手甲てっこう脚絆きゃはんに黒い草鞋わらじいて足許あしもとを固めながら、身には袖口そでぐちの広がった、褐色かっしょく僧衣そういにも似たものを、そいつはまとっていた。

 賀茂川かもがわに沿って立ち並ぶ葭簀よしずりの小屋の間に立つその男は、しばらく牛の背をでていたが、やがてその手を止めると、道行く人を暫時ざんじ眺めて不意に、

「さてお立ち会い」

 と、小柄なその身に似合わぬ大きな声を発して、一息吸う間を置いて一気呵成いっきかせいに、

「これへ連れたは丹波たんばの黒牛。これこの通り、両の角は天に向かうて眼は地をにらみ、体は一面漆うるしのごとく黒く滑らかにて、首は鹿の如く、耳は小さく歯が食い違うておる。まさに、天角地眼一黒鹿頭耳小歯違てんかくちがんいちこくろくとうじしょうはちごう……」

 そこまで語って、ゆっくりと、

「みなみな揃うた、よき牛じゃ」

 その口上に人々が集まってくると、今度はそこで、一段、声を張り上げて、

「されどお立ち会い」

 と、のたもうてから声を落とし、

「この牛……」

 見物をめるように見ながら、

「売り物にはござらんぞ」

 そこでにんまり笑って、

「何を隠そうこのわしは、かように小兵こひょうに見えながら、実は天下に隠れなき……」

 一つ間を置き、

大飯おおめしらいにござそうろう」

 群衆からどっと笑いが起こり、それが収まったところで、再び声を張り上げて、

「名を」

 と、ここでも一つ勿体もったいつける。

「加藤段蔵」

名乗りを上げると、また呼吸を一つ。

「と申す」

 そこでも破顔、見せて、

「諸国を巡る浪人なれば、牛の売り買い、博労ばくろうなどは一切いたさぬ」

 言って再び群れ集まった人々をめ回し、

「さればこの牛、いかにするかと御懸念ごけねんあれば、この加藤段蔵、ただ今ここにてこの黒牛をば」

 さらにここでも気を一つ、持たせて芝居しばい口上こうじょうよろしく、

「呑んでご覧にいれまする」

 たちまち上がった群衆の、驚愕きょうがくの声に段蔵が、広げた両手を大きな袖ごとふわりと牛の尻に置いたところで法春は、目の前でつま先立ってこれを眺めていた行商人らしい若い男に声をかけた。

「え?」

 振り向いた間抜けな顔に、

「ここではあれが見えにくかろう」

 瞬時、怪訝けげんな顔を見せたが、すぐに、

「うん、そうじゃな」

 と、若い男は応じた。

「あの、後ろの木に登ってみれば、あやつが牛を呑むさまがよく見えよう」

 と、隣の葭簀よしずがけの小屋の背後に立った柳を法春は指さした。

 男は、

「ああ……」

 合点がてんがいったという声を出して、その木を目指して群衆をかき分け始めた。

「法春様……」

 不安を声に滲ませたもよに、薄く笑って法春は、

「案ずるな。児戯じぎにも等しい幻術じゃ」

 その間に、牛の尻に手をかけた加藤段蔵は、大きく口を開くとそれを呑み始めた。

「おお……」

 はじめこそ、そんな感歎かんたんの声も上がったが、牛の尻から後ろ足を呑み込んでいく加藤の姿に、群衆は、息を飲んで成り行きを見守った。

 そんな静寂を破ったのは、ようやく

背後の柳に上った先ほどの若い男の、

「なんじゃ。背中に乗ってるだけじゃねえか」

 という、頓狂とんきょうな声だった。

 その声に、はっと我に返ったように人々が改めて見ると、確かに牛の背中をう小男の姿がそこにあった。

 たちまち、

「ほんに、牛など呑んでおらんぞ」

「馬鹿にするな」

 そんな声が飛び交った。

 鼻で笑ってよい気味だと法春は思ったが、当の段蔵、平気な顔で牛の背中から飛び降りると、

「これはしたり。ならば、ここに花でも咲かせて、ただ今のつぐないをいたそう」

 そう言って、すぐにふところから何かの種をいくつかつかみ出すと、それを牛の尻の下の地面にばらいた。

「さあて、どんな花が咲きますやら」

 言いながら、腰に下げた竹の水筒をおもむろに手にして、

 これは、唐土もろこしより伝わりし仙人の水、すなわち、仙水にございますれば、たちまち花を咲かせ、実を結びまする」

 さっき騒いだ群衆は、またしてもこれに見入っている。

 その視線を確かめてから、その辺りの地面に段蔵は水を振り撒く。

 撒いてほどなく、地面からいっせいに何かの花の芽が出た。それがみるみる伸びて開いたのは、数本の、大輪の菊であった。

「さあて、それでは、この菊の花を、皆様にけんじましょうぞ」

 張り上げた加藤の声に、邪悪な気配が滲む。

「しまった」

 押し殺した声を法春が発する。

 「法春様」

 不安を乗せたもよの視線に、

「行くぞ」

 もよの手を法春が取るのと同時に、腰に差した小刀を、手も見せずに加藤段蔵が抜き打つと、一つ、ひときわ大きな菊の花が落ちた。

 そのとき、一声牛が鳴いて人々が我に返ると、もう菊の花はどこにも見当たらず、先ほどの木の上から牛を呑む術を見破った若い男の首が、泣き笑いのような顔をして転がっていた。

 四、五十人は集まっていただろうか。

 その群衆の一番前で見ていた若い女の悲鳴が響き渡る。

 次の瞬間、嵐の海の波のように群衆はおのおのが勝手な方に逃げまどってぶつかりあったが、いち早く動き始めた法春ともよは、その混乱の波には呑まれはしなかった。

 だが、

「遅かったか……」

 つぶやいた法春は、もよを見ずに握っていた手を放し、

「しばらく離れて知らぬ振りをしておれ。決してこちらを見るな」

 そう言って、一人、足を速めた。

 その、ただならぬ法春の様子に、もよはすぐに下を向き、支流に入る流れのように法春から離れた。

 三々五々、集まっていた人が散っていくところから、一人、賀茂川べりに降りた法春の背後に、いつのまにやら加藤段蔵が立っていた。

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