十二 牛を呑む
京都四条河原には、物売りの他に見せ物も出ていた。
ただ、そこにいるのは、
「法春様。あれ、牛が……」
もよが視線を向けたところに、大きな牛がいた。
「さてお立ち会い」
と、小柄なその身に似合わぬ大きな声を発して、一息吸う間を置いて
「これへ連れたは
そこまで語って、ゆっくりと、
「みなみな揃うた、よき牛じゃ」
その口上に人々が集まってくると、今度はそこで、一段、声を張り上げて、
「されどお立ち会い」
と、
「この牛……」
見物を
「売り物にはござらんぞ」
そこでにんまり笑って、
「何を隠そうこのわしは、かように
一つ間を置き、
「
群衆からどっと笑いが起こり、それが収まったところで、再び声を張り上げて、
「名を」
と、ここでも一つ
「加藤段蔵」
名乗りを上げると、また呼吸を一つ。
「と申す」
そこでも破顔、見せて、
「諸国を巡る浪人なれば、牛の売り買い、
言って再び群れ集まった人々を
「さればこの牛、いかにするかと
さらにここでも気を一つ、持たせて
「呑んでご覧にいれまする」
たちまち上がった群衆の、
「え?」
振り向いた間抜けな顔に、
「ここではあれが見えにくかろう」
瞬時、
「うん、そうじゃな」
と、若い男は応じた。
「あの、後ろの木に登ってみれば、あやつが牛を呑む
と、隣の
男は、
「ああ……」
「法春様……」
不安を声に滲ませたもよに、薄く笑って法春は、
「案ずるな。
その間に、牛の尻に手をかけた加藤段蔵は、大きく口を開くとそれを呑み始めた。
「おお……」
はじめこそ、そんな
そんな静寂を破ったのは、ようやく
背後の柳に上った先ほどの若い男の、
「なんじゃ。背中に乗ってるだけじゃねえか」
という、
その声に、はっと我に返ったように人々が改めて見ると、確かに牛の背中を
たちまち、
「ほんに、牛など呑んでおらんぞ」
「馬鹿にするな」
そんな声が飛び交った。
鼻で笑ってよい気味だと法春は思ったが、当の段蔵、平気な顔で牛の背中から飛び降りると、
「これはしたり。ならば、ここに花でも咲かせて、ただ今の
そう言って、すぐに
「さあて、どんな花が咲きますやら」
言いながら、腰に下げた竹の水筒をおもむろに手にして、
これは、
さっき騒いだ群衆は、またしてもこれに見入っている。
その視線を確かめてから、その辺りの地面に段蔵は水を振り撒く。
撒いてほどなく、地面からいっせいに何かの花の芽が出た。それがみるみる伸びて開いたのは、数本の、大輪の菊であった。
「さあて、それでは、この菊の花を、皆様に
張り上げた加藤の声に、邪悪な気配が滲む。
「しまった」
押し殺した声を法春が発する。
「法春様」
不安を乗せたもよの視線に、
「行くぞ」
もよの手を法春が取るのと同時に、腰に差した小刀を、手も見せずに加藤段蔵が抜き打つと、一つ、ひときわ大きな菊の花が落ちた。
そのとき、一声牛が鳴いて人々が我に返ると、もう菊の花はどこにも見当たらず、先ほどの木の上から牛を呑む術を見破った若い男の首が、泣き笑いのような顔をして転がっていた。
四、五十人は集まっていただろうか。
その群衆の一番前で見ていた若い女の悲鳴が響き渡る。
次の瞬間、嵐の海の波のように群衆はおのおのが勝手な方に逃げ
だが、
「遅かったか……」
「しばらく離れて知らぬ振りをしておれ。決してこちらを見るな」
そう言って、一人、足を速めた。
その、ただならぬ法春の様子に、もよはすぐに下を向き、支流に入る流れのように法春から離れた。
三々五々、集まっていた人が散っていくところから、一人、賀茂川べりに降りた法春の背後に、いつのまにやら加藤段蔵が立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます