十一 もよ

 年が明けて、師僧に法春は呼ばれた。

 どんな話か、察しはついていた。

「相変わらず修行が滞っておるようじゃな」

 こおべを垂れたまま、法春は答えない。

「無間のあとを追うておるのか」

 石のように法春は黙して動かない。

「答えぬか……」

 しばらく、その法春を見つめていた師僧が、あきらめたように口にした。

 それで、頭を垂れたまま、

「なにゆえ、外法はなりませぬか」

 改めて法春は問うた。

「入山して、何年になるう」

 深く息を吸って言うと、師僧は目を細めた。

「……七年ほどになりまする」

「いくつになった」

「十五にございます」

 天を仰いで、

「これから、いくらでもやり直せように……」

 つぶやいた師僧は、再び法春に視線を向けた。

「ここは、仏の道を学ぶ寺院である。もし、どうしても外法を会得したいのなら、無間のようにここから出ていくより他はあるまい」

 刹那、肩を揺らして、深く、静かに、一礼して立ち上がった法春に目を投げることもなく、長く、師僧は息を吐きだした。

 その日、夕餉ゆうげを終えた法春に、叡胤いんえいが声をかけた。

「まもなく、わしは柳生やぎゅう宗厳むねよし様の許へ、新陰流しんかげりゅうを学びにゆく」

「槍を捨てなさるのか」

「わからぬ。わからぬが、今度は外法に引けは取らぬ」

 胤栄は、希望に満ちていた。

 法春には、やはりそれが気に食わぬ。

「槍であっても、刀であっても、仮に百番立ち合うたとしても、同じでございます」

 必ず、踏み潰してくれる……

 そこまで口にはしなかったが、無間のように胤栄を半眼で法春は見つめた。

 それから十日ほどを要して、女どもにかけた術を法春は解いた。

 最後に、采女うねめ神社の境内でもよの術を解くと、

「こんな土にまみれた百姓女には、もう飽きてしまったか」

 と、思わぬことを口にした。

 法春が義弟であることも、またその兄の気を失わせたことも、もよは知らないはずである。

「どこかへ行ってしまうのか」

「もよには、術がかかっておらなんだのか」

 困惑した表情を法春が見せると、

「まだ、解けてはおらぬ」

「……」

「死ぬまで解けぬ」

 その胸に頬を寄せたもよの顔を両手で包むように上げると、その双眸そうぼうを見つめながら、

 わしのほうがたぶらかされておったのか……

 という思いと、

 元来あるべき己を、もよなら見出してくれるやもしれぬ……

 という思いが、瞬時、脳裏で交錯したが、すぐに、

「わしはな、外法に生きるために、法春を捨てることにした」

 言うと、

「わたしも……」

 瞳とともに、まっすぐもよは返した。

「今の暮らしが辛いのか」

「法春様は、優しい」

 己が優しいなどと、今の今まで法春は思ったこともなかった。しかし、術の要諦が女体へのその触れ方にあることを思えば、それはまさしく術の効用を意味する。

「好きにせよ」

 翌未明、まだ寝穢いぎたなく眠りこけている夫とその家を、もよは捨てた。

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