六 采女神社
季節は秋を迎えた。
その日の昼下がり。
いつものようによたが声をかける前に、
遅れまいと小走りについていたよたが、やがて全力で走りだそうとした
歩を
「あ」
声をよたが上げたのが合図のように、一度、それを両手に包み込むようにしてから、その
もう一度よたが見たときには、そこに蛙の姿はなく、ゆらりゆらり、と水面に柳の葉は、舞い降りた。
さらに確かめようと池の
端から端まで見渡せる小さな池だから見失うことはなかったが、それでももうよたのいるところから半周先を無間は歩いていた。慌てて追いかけたが、南円堂の脇の石段を下りた右手に建つ采女神社の辺りで、結局無間をよたは見失った。
そこまで駆けて、草を
鹿ばかりではない。近在の百姓や物売り、
それらの視線を意識したとき、母の声が聞こえたようによたは思った。
采女神社に足をよたは入れた。
猿沢池の西、人通りの絶えない三条に沿ってその社は建ってはいるが、小さな境内に足を踏み入れる者はほとんどいない。
その陰に、無間の高い背中をよたは見つけた。
「無間さん」
声をかけると、無間の細い身体のその向こうから、母の顔が
けれども、瞳を見開き、驚きとも恥じらいともとれる表情を見せてすぐ、
「無間様」
と、無間の顔を母は見上げたようだった。
だが、よたの名を呼ぶことはない。
それでも、わずかに無間の意識がよたに向いたのか、母の視線がよたに戻った刹那、
「法春、です」
母から目を離さずに、短くよたは告げた。告げて
そうしなければ、我が子より無間を母が選んだことを、もっと言うなら、母が自分を捨てたことを、よたは認めるしかない…… そうなるかもしれない。
実際、よたの背に呼びかける母の声が聞こえることは、やはりなかった。
誰が父親か、ということは、もはや問題ではない。けれども、南円堂の脇の石段を足早に駆け上がろうとしたよたの目の前に、もう無間の背中があった。
それができないことだとわかっていながら、無間の背中を踏みつけてやりたい
今、己が踏みにじっているのは、ほんとうは己自身かもしれぬ、という思いを、言葉にすることもできぬままに……
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