あのころよりも

雨が降っている。


喫茶店の窓の外から降り注ぐ雨の中で、傘をさして歩く人たちの姿。


それを眺めながら、コーヒーを飲んでいた。

 

喫茶店は静かだ。人の姿はまばらで、カウンターではマスターがコーヒーを挽いている。そのすぐ前には楽しそうに話をしているカップルにの姿。女性はパンケーキをおいしそうに食べている。


僕の座っている窓際の席から真正面に位置する奥の壁際の席は、一人の老人がコーヒーカップを片手に新聞を飲む姿。


かすかに流れるBGMの曲は、この雨の季節にピッタリの曲が次から次へと流れていく。


もう梅雨だ。


梅雨が終われば夏になる季節。


どこからともなくカエルの泣き声が聞こえてくる。


雨がやまない。


相変わらず、止まずに雨音がBGMの曲に合わせるように奏でている。


いつまで降り注ぐのだろうか。


この喫茶店に入ってからすでに三十分は経過している。その間もずっとシトシトと雨が降り注いでいた。



いつになったら止むのだろうか。


そんなことを考えていると、ふいにBGMがだれもが知っている童謡へと変わった。



『雨 雨 降れ 降れ』


そんなフレーズで始まる童謡曲に僕一人の少女を思い出していた。








ピンク色の傘と水玉模様のワンピースをきた少女の姿。



それは小学生のころだった。


同じクラスにいた女の子で僕が好意を抱いていた女の子だった。ぼくはその子の気を引きたくて、よく悪戯をしていた。その度に顔を真っ赤にしてムキになる彼女がかわいくてならなかったのだ。


いつも怒らせていたぼく。



いつも怒っていた彼女。

そんな当たり前の毎日を過ごしていたある日、彼女が急に何をいっても怒らなくなった。むしろ、優しかったのだ。


なにを言われても平気だと余裕ぶっていただけなのかもしれないが、あまりにも優しい対応するものだから、ぼくは悪戯することができなくなった。


どうしよう。悪戯できなてのならば、ぼきくはどんなふうに彼女と接すればいいのかと思った。


別に普通に接すればいい話なのだが、当時のぼくには悪戯以外での彼女と関わるすべを持たなかった。



そんなある日のこと。梅雨の時期。


彼女は傘をさして楽しそうに歩いていた。


「あめあめふれふれかあさんが」


彼女は楽しそうにその歌を歌う。


どうしたのだろうか。


なぜそんな歌を歌うのか。


ぼくはふしぎでならなかった。



ぼくは彼女に話しかける術を持たない。


どうしたら話かけられるのかと考えた。


答えなんて一つしかない。


当時のぼくのできることはただ一つだ。



「なにへたくそな歌歌ってんだよ」


そういいながら、ぼくは傘を取り上げたのだ。


「ちよっと」


さすがの彼女も怒った。


「へへへへ。返してほしかったらここまでおいで。オンチーー」



久しぶりに怒った彼女の顔。


僕は彼女の傘を持って駆け出した。


「まちなさい。こら。辰巳くん」


彼女はぼくを追いかける。


追いかけて、追いかけられて。


そのうちに雨が止んだ。


ぼくはふいに足を躓かせて転んでしまった。


「早く返しなさいよ。まったく」


そういいながら、彼女はぼくの手から自分の傘を奪いとった。


「あーあー、濡れちゃったあ。まあ、でもねもう晴れたからすぐ乾くわね」


そういって、楽しそうに笑う。



「なんだよ。なにがそんなに楽しいんだ?」


「楽しいよ。だって、今日ね。帰ってくるんだもん」


「帰ってくる?」


「そうだよ。お母さんが病院から帰ってくるの」


「え? 入院していたのか?」


「うん。なんか大きな病気にかかって、大手術したんだよ。それで、入院していたの。ようやく退院することになったんだよ」


そういって彼女はうれしそうな顔をする。


そして、またあの曲を歌う。


「なあ、なぜその歌?」



ぼくが聞いた。


「これはねえ。お母さんがいつも歌ってくれる歌なのよ。だから。歌うの」


 そういって、彼女はぼくに背を向けた。傘をさしたままで、スキップしながら歌う。ぼくが呆然としている間に彼女の身体が小さくなっていった。



そして、その翌日彼女は学校来なかった。



その翌日も


また翌日も



彼女の姿をみることがなかったのだ。








それからどれぐらいのときが過ぎたのだろうか。


ずいぶんと遠い昔のことのように思える。


「いらっしゃいませ」


マスターの声に僕は思わず、入り口のほうを振り向いた。


そこには、ピンク色の傘を差した水玉模様のワンピースを着た女性が立っていた。



僕は思わず立ち上がる。


「こんにちわ。辰巳くん」



そういって、


あのころよりもずいぶんと大人になった彼女が、僕に微笑みかけた。





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