白銀と赤金

 名を問われたと気づくまでに、一瞬の間があった。影なるキッラーは、未だ己を名付けていなかったのだ。彼はキッラーの内にあり、しかしキッラー自身でもある。ならば、キッラーと名乗れば。口を開こうとして、思いとどまる。わずかに考えた後、返した。

「全魔鏖殺」

 口をついて出た言葉は、信条であった。すべてのウィザードを、すべからく殺す。内に追い込んだ己から受け取った、憎悪の実現。それは、地の底から響くような声で発せられた。不意にオーラが膨らみ、口角が上がった。防壁の向こうに立つ者も、またウィザードだ。

「破!」

 憎悪を吸い上げた影は、赤金のオーラを膨らませた。キッラーならば絶対にしない表情を取り、晴れつつある土煙、その先へと向かう。

「待っていたぞ、全魔鏖殺!」

 いたのは、白銀の全身甲冑。マナによるオーラを、騎士装甲に固めた戦士。エーノではないのか? 否。透徹視力をもって見よ。甲冑の下には変わりなき、いと美しき女ウィザード。すなわち戦闘形態であり、見くびらせないための戦装束だ。幕が張られ、そして外れる。このわずかな時間で、彼女は戦闘態勢を大きく切り替えたのだ!

「ガアオ!」

「セイッ!」

 声とオーラが交錯し、硬質の音を立てる。互いに弾かれ、また叫ぶ。横薙ぎの爪牙を騎士甲冑が腕で受け流し、懐へ潜らんとする。

「オアッ!」

「ぐぬっ!」

 だがそこへ絶妙の膝。再び弾き合い、飛び退き、構え合う。呼吸が重なり、かすかな身じろぎからまたせめぎ合う。

 しかし甲冑の中、エーノは焦りを覚えていた。敵手が、あまりにも強引に過ぎる。にもかかわらず、その内面が見通せなかった。

 彼女がいた白派の振るう技には、相手に向けて問うもの、探るものが多い。向き合ったウィザードに正邪を問い、心根を問う。内にあるものを照らし、方策を定め、時に粉砕する。それが彼女たちの常道だった。

 だが、今回は難しかった。触れこそはしたが、暗闇しか見えなかった。問い掛けを拒むように、攻勢が強まった。では、かの者は闇であろうか?

 否。

 寸刻も油断ならぬ攻防の中で、彼女は答えを出していた。なんらかの感情を燃やし、叩き付けるような戦闘方法。今なお行われる、致命的攻撃の乱れ打ち。徹頭徹尾、殺意が塗り込められている。あまりにも強引に。不自然なまでに。誘い、釣り出し。そういった作為が、皆無に過ぎるのだ。

 彼女にこれらが読み取れるのは、過去の鍛錬があってこそだった。白派の高位に上り詰めた腕をもってすれば、攻防のさなかでさえ、敵手を知ることはできる。そもそも彼女は、今なお自派への傾倒を捨ててはいない。放逐の原因は、あくまで方向性の違い。教えに疑いを持ったわけでもなければ、闇――黒派に心惹かれたわけでもない。問題となったのは、黒派の増長を叩くか否か。それだけだからこそ、生半可では戻れぬ。

「おおおおお、覇ッ!」

 大振りの一撃に対して見出した、わずかな隙。エーノは決然と突きを放った。すでに戦は半刻を越え、自身も敵手も、マナがすり減りつつあるように見えた。故に彼女は、「マナを込めぬ突き」を放った。これぞ白派における奥義の一つ、【空】。マナに対し、虚をもって実を制する技だった。


「かっ……!?」


 とすん。


 マナなき一撃は、いともたやすく影なるキッラーの防御をすり抜けた。これだけでも多少はダメージが入る。だがエーノは、【空】にさらなる一手を加えた。瞬刻の判断で、拳からマナを送り込む。攻撃の拳から、見極めの掌へ。無論、次の瞬間には殴られ、距離が開く。だが。

「おぶっ!」

 血を吐き膝をついたのは、影なるキッラーの方だった。

「バカな……確実に……。来るな……! 出るな……! お前は、俺だ……!」

 どこか奇妙な唸り声が、エーノの耳を打った。


 ***


 精神の檻。暗く、深い場所。眠れる青年。悪夢の幻影にむせび泣く青年。キッラーは悪夢の一夜を幾度もリピートさせられ、見せられていた。檻の前には影がいた。己の姿を取り、こちらを見張っていた。影は時折、幻影をより陰惨にした。その周期は徐々に短くなり、キッラーは疲弊しつつあった。彼は、ぼんやりとしつつある思考を回す。仮にこのまま呑まれてしまえば、それは誰の復讐なのか? 少なくとも、己のそれではない。己の名を借りた、あの影の名分でしかない。

 闇の中、青年は憎悪を紡ぎ直す。目的はあの黒ローブで、黒ローブに連なるウィザードは無論殺す。ならば、他のウィザードは? 本人も影も気づかぬ内に、キッラーは自分自身の思考を取り戻しつつあった。

 そこに、光が差し込んだ。キッラーは顔を上げ、光源を見る。影が止めんとするが、光に穿たれる。わずかに、間隙が生まれた。白銀の甲冑が、垣間見える。キッラーは立ち上がり、檻を、心を、こじ開けんとした!


 ***


「出るな……っぐ……!」


 エーノは甲冑を解き、ローブの姿に戻った。敵手、赤金色のウィザードからの殺気が、あからさまに緩んでいる。真実を見極めるには、甲冑が邪魔だった。そして、目にする。膝をついた男は目と口から血をこぼしていた。

「ちが、う……ふくしゅ、う、は……」

 敵手と明らかに違う声が、耳を打った。地の底から響く、敵意を凝縮したような声ではなかった。今こそエーノは理解した。目の前の男の危険性は、その内側にある!


 そもそもマナには、二つの種類がある。大気を循環する外側のマナと、体内を循環、あるいは何らかの方法によって体内に籠められた、内側のマナだ。エーノが見極めたのは、両者の内、後者の危険性である! いかなる由縁によってか、敵手の内側マナは、黒々としたもの、悪意に偏ったものとなっていた!


「っ!」

 もはや猶予ならぬ。エーノは大地を蹴った。やることは一つ。右の腕を振り上げ、マナを注ぎ込む。白派の技でも、【空】と対をなす秘中の秘。内側マナ――一部ではチャクラとも呼ばれる――に介入、飽和を引き起こし、崩壊を促す技である。

 しかしこの技の難しさは、「内面のみを壊す」ことにある。故に奥義。故に秘中の秘。生半可な者では、成し得ぬ絶技。人を見極める技を持つ、エーノにこそ成し得る技だった。

「断!」

 マナを凝縮した掌が、無防備にガクつくキッラー、その腹を打った。


 ***


「憎悪を、憎悪をよこせ……」

「いやだ」

 内面世界。キッラーはもはや影に負けてはいなかった。檻はこじ開けられ、キッラーが心に持つ原風景、あの滅びゆく村が再現されていた。二人は今や、対等に立っていた。かたや影。かたや村人。真正面から、対峙していた。

「なぜだ」

「仮にお前がおれだとしても、お前がやる復讐はおれの復讐じゃない。おれは、おれの復讐をするんだ」

「だから俺がそれをやると」

「違う!」

 キッラーは影に吠えた。彼は直感していた。影のやる復讐が是であるならば、先刻注がれた光は、黒色、あるいは闇であるべきだ。なのに光が注がれた。つまり。

「お前は、あの黒ローブを追っていない。最終的に黒ローブにつながるとしても、『全魔鏖殺』を名分に、すべてのウィザードを滅ぼす気だ。そうだろう?」

「そうだ」

 確信を持ったキッラーの問いを、影は認めた。悪びれもしない。むしろ。

「だが確実にお前の願いは叶うぞ。お前ごときがその未熟なマナで戦っても、最初の一人か二人でくたばる。さあ、わかったら憎悪を」

 強弁をもってキッラーの心を折りに掛かり、その手を取らんとする。しかしその時。


「なるほど。ようやく把握した」

 白銀の光と第三の声が、内面世界、精神の世界を揺るがした。

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