第二話 白銀
美しき白きウィザード
そのウィザードは、珍しくも美しき娘だった。顔こそは白銀のローブに阻まれて拝み得ぬ。しかし立ち上るオーラや、均整と豊満さを併せ持った奇跡的プロポーションが、彼女の美しさを証明していた。
とある森の奥の奥。彼女は泉で水をくんでいた。その所作は流れるようであり、それにつられてか周囲も静かだった。彼女の放つ清冽なオーラが森を制した。そう見ても良い光景だった。
証拠はある。見よ。彼女の周囲には草食獣や、小動物たちがいる。遠巻きながらも敵意はなく、むしろ崇敬しているかのようだった。マナを見る目はなくとも、察しが付いているのだ。
水をくみ終え、彼女は空を仰いだ。長い銀髪の毛先が、ローブからのぞく。近くに男性がいれば、その動きだけで息を呑んだやもしれなかった。聖像と崇拝者による、ある種の神秘的空間が生まれていた。
ぴぃーいいぃ。
不意に、小鳥が鳴いた。間の抜けたようでいて、静けさを打ち破るものがあった。事実、それをきっかけとしてか、獣たちがざわつきを見せていた。
なにかを、感じ取った。
女の判断は早かった。鋭いものがあった。彼女はオーラを膨らませ、瞑目した。探る。探る。探る。ややあって、彼女は目を見開いた。
「これは」
高い声を上げた。顔ばせから、ついと汗が流れ落ちる。行かねばならない。災いの気配だ。放置すれば、世界の脅威となるだろう。
彼女は立ち上がった。ローブのひさしを、強く下ろした。ローブがしっかりと身体を覆い、豊満なバストも均整の取れた肉体もすべてを隠す。それでも動物どもは、変わらず彼女の周囲にいたが。
「散りなさい」
彼女は厳かに告げた。これより先は、ウィザードの時間だった。無用に駆ければ、森を荒らす危険性さえもある。彼女はそれを望まなかった。あくまで滑らかに立ち上がると、口を開き、一つ唱えた。
次の瞬間、彼女――ウィザードの一人、ワオ・ビン・エーノ――は白銀の風と化してその場から消えた。
***
キッラーは、物心がついた時からあの村にいた。大人から聞いた話によれば、捨て子、あるいは孤児だったらしい。事実父母の名前も、顔も思い出せなかった。それでも、村の人々は温かく接してくれた。皆が父母の代わりとして、衣食住に渡って助けてくれた。同じぐらいの年かさの子どもと、別け隔てなく育ててくれた。
十五――仮の年齢だが――になると、村の財産から牛と畑を分けてもらえた。成人として、一つの家をなしてよい。そういう許しだった。
キッラーは村に感謝していた。村に根付いていた旧来の教えがなければ、彼は奴隷じみた下働きだったかもしれない。年を経て学ぶことで、彼は自身の幸運を、深く自覚していた。
だというのに。
正教の為したことは、全てが徹頭徹尾、彼にとっての非道だった。村人を分断した。争わせた。村からあらゆるものを奪っていった。立ち上がろうとしたら、全て滅ぼされた。
許さない。
未だ精神の檻に眠るキッラーの中で、憎悪が膨れた。彼は未だに、過去を強制的に思い返させられていた。膨れた憎悪は黒い澱みの形を取り、彼を眺める影が吸い上げていく。力として、収奪しているのだ。未だ影は深く、救う光は見えなかった。
「ククク。良いぞ良いぞ」
精神と表面の両方で、影なるキッラーは声を上げた。昂り、膨れ上がり、マナを引き寄せ、身体に巡らせ、地面を蹴り、加速する。常人には認識さえ許されぬその速度は傷や破壊をもたらし、人間の挿話にも取り上げられるほどだ。夜明けの近い平原を、彼は駆けに駆け、ひた走った。目指すは先刻捉えたウィザードの行き先。なんらかの事情によりてか、あちらも加速していた。この平原の先に、なにが待つ。
「私が待つ」
思考を読まれたかのように、視線の先から声が響いた。バカな。接敵予測は、もう少し先……
「マナを捉えられた感があったのでな。切り離させてもらったぞ」
「ぬうっ!」
視界にはまだ、敵ウィザードはいない。しかも敵は、マナを切り離し、誤認させるという離れ業をやってのけた。すなわち。
「ぐっ!」
視界を前に置いたまま、影なるキッラーは後退のステップを踏んだ。脆弱な身体が、わずかにきしむ。だが関係ない。今己を待ち受けているのは――。
「厄災よ、往ね」
耳が声を拾う。目がマナの豪拳を捉える。色は白銀。とっさのマナ防御も、両腕で顔を守るのが精一杯。これは――
「ぐうううっ!」
大地に叩きつけられる。バウンド。バウンド。三度バウンド。マナが肉体を守るものの、それでも内臓には衝撃が入る。血の朱色が、茶色く削れた大地を汚す。遮二無二立ち上がり、呼吸を試みるが。
「はああああっっっ!」
白銀の奔流が、恐るべき速さで襲い来る。影なるキッラーは、上へと跳んだ。強引にキッラーの憎悪を吸い上げ、内なるマナを身体に回す。
「全魔、鏖殺」
低い声色とともに赤金のオーラを膨れ上がらせ、撃ち放つ。奔流が止まり、相殺される。
この数合の攻防を経て、ようやく両者は顔を見合わせた。
「……」
「……」
無言のままに見据え合う赤金と白銀。白銀――ワン・オビ・エーノ――は推測に頭を回した。この未知の敵、厄災はいかなる者か。黒派――ウィザードの力を、悪虐暴威に振りかざさんとする者ども――の者か、あるいは。
だがそれも僅かなこと。赤金のウィザードはマナで両の手に爪牙を作り、振りかざした。その姿、肉食獣のごとし。エーノはマナの流れを読みながら、少ない動きでそれらをかわす。大仰に動けば、それだけ隙が生まれる。ならば引き付けてかわし、あと一歩と思わせるほうが疲労を誘える。ゆえに、彼女はかわす。軽やかに、緩やかに。流れるように。彼女が受けたマナ戦闘の教えが一つ。「水の如く柔らかくあれ」だ。
「があっ!」
半ば獣じみたシャウトから爪牙を袈裟斬りにした、二十三回目の襲撃が外れた。影なるキッラーは、冷静を失いかけていた。一発二発ならまだしも、こうもすべての攻撃がかすめる程度に避けられるとは。いつしか攻撃が大振りになっていたか? ともかく!
「ぐっ!」
口の端を噛んで血を流し、己に強いて数歩後退する。溜まりに溜まった苛立ちを地面に叩きつけ、即席の防壁とした。呼吸を整え、策を練るために。しかし防壁の向こうから、誰何の声が響いた。
「問わん。我が名はワオ・ビン・エーノ。赤金のウィザードよ、名や如何に」
***
帝国の支配が未だ届かぬ北方の山嶺。ノザン山脈の麓に、彼らの総本山はあった。地下数万歩に渡る大洞穴。その内の一間に、八人の僧形の者が、円陣を組んでいた。全員が全員白を基調としたローブを纏っている。残りは二人。一人は円陣の中央で上半身をあらわにし、大汗をかいていた。いま一人は円陣の外、一段高いところにに座している。ローブは金。明言すれば、本山の門主であった。
「戦、ですな」
八人のうちの誰かが、口を開いた。彼らは一つの映像を見ている。中央に座す半裸のウィザードが、その力をもって遠き地を見、また見せているのだ。映るのは白銀と赤金。すなわち、エーノと影なるキッラーの戦闘だった。
「……抜け者と未知の者。この戦に、なにが? 我等白派は、俗世にかかわらぬを信条に据えてきたではないか」
また一人が口を開く。彼の言葉は正しい。彼らは遥か古より、人の世とは距離を取ってきた。それがウィザードを、神話の領域へと隠してきたのだ。
「然り」
また一人が、口を開いた。憤然という表情を隠さず、門主に訴えた。
「近年の黒徒(黒派のことだ)の増上慢にさえ目をつむり、我が弟子たるワオ・ビン・エーノを現況へと追いやっておきながら、いまさらなにを」
「なにを言うか。かの者は白派の信条を否定したのだぞ。神たるに比す力を無闇に振り回せば、人の世は乱れるが必定。故に我々は」
「先刻、凶夢を見た」
喧々諤々が始まりかねなかった状況を抑えたのは、門主の低い声だった。
「そこな赤金の者が、黒派よりも恐るべき暴威をもって、ウィザードを滅ぼす。これだけでは夢ではあるが、話に聞くには空にも凶星が出たという。私が放逐したとはいえ、かの者なら真っ先に捉えるであろう。そう考えて準備し、貴殿ら八白星を招集した」
厳かに、しかし悔いを込めて、門主は告げた。これには白星――幹部の者どもも矛を収め、頭を下げざるを得なかった。
「凶夢の正誤、正邪を見極めねばならぬ」
門主が改めて背を伸ばし、映像を見る。エーノの発する、誰何の声が響き渡った。
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