目覚める憎悪

 遠くなったはずの意識が目覚めると、村の焼け跡に星々がきらめいていた。すぐ近くの腰掛石に、一人の男が座っていた。動けと思うと、キッラーの身体はつい、と動いた。思わず彼は目を見開き……座っていた男を目にしてもう一度見開いた。男の姿が、自分の影を象っていたのだ。

「え……」

「繋がったか。お前は俺。俺はお前だ」

「おれは、キッラー……」

「そうじゃない」

 影の言葉に、キッラーは固まった。その姿を見て取ってか、影は口を開いた。

「お前に目覚めた悪意が、俺に繋がった。俺はお前の中にいた。今からは俺がお前だ。さあ、悪意を見せろ」

 影の手が、伸びたように見えた。と思った次の瞬間には、痛みもなく額に指が刺さっていた。弄くられている感覚。探られている感覚。キッラーは三度目を見開き、荘厳な世界を見た。燃えゆくはずの村が、キラキラと輝いている。先ほどと同じ、星々が。

「『目』が開いたか。関係ない。どうせお前は俺になる……。ふむふむ。ウィザードに、報復……ククッ。面白え。乗った。お前の悪意、俺が叶えてやる。すべてのウィザードを、皆殺しにしてやるよ。……全魔、鏖殺」

 その言葉は、不思議とキッラーの耳に残った。同時にキッラーは、己の意志が乱れていく感覚も得ていた。不思議なほど早く、滑るように動いた身体が、鉛のように重くなっていく。気がつけば影なる己は消え、身体にまとわりついていた。

 自身の意志が消え、黒く染まり、それでも視界には輝きがあり、それもやがて遠くなって、気がつけば、牢獄にのような暗い場所にいた。なぜか俯瞰して見える自分自身は、あまりにも異様な姿だった。恐ろしい姿だった。


 布のようで布でない、赤金色のローブを纏っていた。瞳が紅く燃えていた。倒れている自分へとちょっかいを出してきた、緑ローブのウィザード。その足を捕らえ、転がす。動けなくなっているところへ起き上がり、淀みなく足で首を踏みつけ切断。殺害する。その切断音を聞きつけた別のウィザードを、殴打一発で首をねじ切り、これも粉砕。そこからさらに、三人のウィザード。

 死体を操っていた紫ローブ。

 死んだかと思えば、意地で立ち上がったウィザード。

 報告を試みたのか、いち早く背を向けたウィザード。

 全員が全員、無慈悲に、冷徹に散らされた。自身のようで自身でない、だが自分でもあるウィザードによって。

「あ、あ……」

 あまりにも手慣れた殺戮に、キッラーはイマジナリーで失禁した。意気揚々と殺戮に手を染め自分があまりにも恐ろしく、信じ難かった。しかし再び、己の頭部に声が響いた。実体ではない、イマジナリーの頭部に。

『憎悪をよこせ。この黒ローブだろう? お前が復讐を望むのは』

 影の己が姿を見せ、映像が目の前に突き出される。焼ける村。裁かれる人々。四肢を砕かれる自分。黒ローブへの、ウィザードへの怒りが、炎のように噴き上がった。

「殺す」

『そうだ。殺す』

「ウィザードを、黒ローブを殺す!」

 純粋な怒りが、キッラーを満たす。影が濃さを増し、己を絡め取る。しかし一切気づくことなく、彼は怒りへと、影へと沈んでいった。


 ***


 すっかり静まり返った正教徒側の村を、赤金色のウィザードが駆けていた。短期間にもかかわらず整備されていたはずの村。しかし暴力のあとの短時間で、完全に放棄されていた。ただの村人は、誰一人としていない。無人と化していた。ウィザードの手管でもあり、正教の持つ特殊な宣撫工作班の為せる技でもあった。


「アレが下手人か」

 しかし、厳密には無人ではない。見よ。かつて教会だった建造物で、一人のウィザードが村を睥睨している。彼こそが此度の掃討部隊の長、粛清総長直々の命を受けた男、シインカンである。

「いつも通りに村を焼けるかと思えば、まさか全員殺られるとはな。ついでに」

 首から下を藍色のローブに包んだ男は、つい、と滅びた旧村の方角へと目を向けた。今や炎が、こうこうと夜空を染め上げている。己が最後に焼き払うはずだった村を、先に焼かれたのだ。

「偶然とはいえ、先手を取られるとは俺のプライドにもかかわる」

 シインカンのやること、やりたいことは一つだった。あの下手人をここで始末し、伝道師による『模造賢者の石』の設置から始まった、村への宣教工作を完遂せしめる。宣教そのものは失敗だが、村を焼き払い、邪教の者どもを粛清したため、実質成功となる。だが、生き残りが出てしまえば無だ。正教の行いが流布されれば、叛徒が沸く恐れがある。あの男の首を刈り、蘇らぬように焼き滅ぼす。男は奉ずるものに決意と祈りを捧げると、教会の屋根を蹴り、ローブを広げた。

「征くぞ」

 男の身体は、空を滑るように浮いていった。そう。シインカンは滑空能力を持つのだ。マナの流れを見極め、徐々に加速し、高さを取る。僅かな時間で、赤金色のオーラが見えた。

「ハッ!」

 シインカンは、足裏で空気を蹴った。マナを捉えてさらなる速力を得、マナで作り上げたランスを、地上のウィザードへ向けて投げつける。


 着弾。

 叫び。

 連投。

 再び着弾。

 方向転換。


「ハッハ! 空から攻撃されては、手も足も届くまい! クハハハハ!」 

 方向転換の狙いを潰すべく、シインカンは次々とマナランスを投擲する。当たらずともよい。敵ウィザードを牽制し、疲弊させる。勝負の利はこちらにある。打つ手をすべて封じ、最後に仕留めればよい。シインカンの考えは、まことに王道だった。己が優位である限りは。


「掴んだ」

「ん?」

 その声は、不意に聞こえた。意味がわからなかった。なにを掴んだというのか。どこに勝機を見出したのか。ゆえに、シインカンは無視した。代わりに、一本の長いマナランスを作り出した。


 あえて苦言を呈するのならば、この時点で彼は高さの優位を捨てるべきだった。その長槍を駆使して敵に挑めば、まだ勝機は増えたやもしれぬ。だが、現実はそうならなかった。


 敵は地上に仁王立ちで、こちらを見据えていた。ダメージは少なく見えたが、シインカンは嗜虐心を刺激された。ランスを一つ大きく回すと、一回り膨れ上がった。己と大気、両方のマナをつぎ込んだ、藍色のランス。それを。


「死ねよやあっっっ!」


 渾身の投擲! うなりを上げる豪槍は大気を巻き込み、着弾すれば村を完全破壊に追い込むほどの力を持っていた。しかし。

「掴んだ、と言ったのだが」

 赤金色のウィザード――否、影に堕ちたキッラーだ――は、シインカンが見たこともないほどの滑らかな動きをもって、豪槍を制した。


 まず右腕をランスに添え、マナの流れを制し、ランスを止める。

 続いて両の手でランスを握り、ランスそのものを己の制御下へと落とし込み。

 そして!

「殺」

 シインカンへ向けての、一回旋の薙ぎ払い! 距離など関係ない。赤金色に染まったマナの豪槍が差し伸べられたのは、新たに定められた敵。炎を村に散らし、大気の刃をシインカンへと差し向ける!

「なっ――」 

 シインカンは動けなかった。あまりにも一瞬で、彼は己の槍を乗っ取られていた。逃げる余裕など、彼にはなかった。死への一瞬の中、彼は師にして上司、粛清総長の言葉を思い出す。

「ウィザードの上下は、マナの扱いで決まる。マナを無闇に使えば、先は短い」


 ああ、ああ。俺は、いつしか。


 そう思った刹那。彼は大気の刃に斬り裂かれ、身体はマナへと還って行った。


 ***


「コオオ……」 荒ぶるマナをゆっくりと散らして、全魔鏖殺のウィザードは残心を取った。マナの練りが甘いとはいえ、ウィザードはウィザード。時には死しても死なぬ者がいる。キッラーの内に潜んでいた影は、先の一件で理解していた。

「すうう、ふうう」

 戦で高ぶった神経を鎮め、ウィザードはウィザードを追う。マナの流れが、教えてくれる。心の奥底に沈めた光は、まだ目覚めることはないだろう。

「いた」

 焼け落ちていく正教徒村を背景に、ウィザードは刮目した。北西に全速で一刻ほどの距離。追う他なし。

「征く」

 全魔鏖殺のウィザードは、静かに大地を蹴った。赤金色の風が村に吹き、さらなる炎が生み出されていた。



 第一話:生誕・完

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