殺戮のウィザード
二刻後。未だ夜明け前。村を覆った惨禍は、狂宴は、嘘だったかのように静まり返っていた。村に残る者はなく、あとは残骸がくすぶるのみ。生きながらに焼かれた人と家畜がむせ返るような臭いを放ち、下り立った者に滅びを実感させた。
「おいおい、完全に丸焼けじゃねえか。こんなん完全に全滅だろ。俺ぁ帰るぜ、イクサーン」
「そう言うな、コーロス。粛清総長……ウィザブラック猊下が直々に下された命令だぞ。なんなら死体を突き刺し、顔の皮を剥ぐ。金目の物を引っ剥がして、教都へ持ち帰る。バレなきゃ、なにをしたっていいのさ。ほれ、見ろよ」
イクサーンがコーロスに、ある方向を見るよう促す。視線の先には、三者三様のローブを纏ったウィザードがいた。ローブはウィザードにとって正装、戦装束に当たる。姿形や手管、暗器を隠し、可能な限り己を悟らせないための物だ。もっとも、この場にいるのは……。
「ヒャハッ! ヒャハァッ!」
「死を……呪いを……」
「金ぇっ! 奪わずにはいられねぇっ!」
いささか『神に比すマナの使い手』とは言い難い者たちであった。コーロスはほんの少し見ただけで目をそらし、息を吐いた。
「……はあ。俺が言うのも完全にアレだが、正教のウィザードがあのザマってのは、完全にねえな」
「俺たちだって似たようなもんだ。粛清総長から頂いた『賢者の石』がなければ、二人揃ってただのゴロツキで終わってたんだ」
「チッ。それにしても最近は完全に酷えや」
人間――マナを扱うどころか、見ることさえもできぬ下等生物――の死骸を改めながら、二人は村を歩いた。時々マナを込めた手刀で首を刈り、焦げて炭になった金目の物を元の輝きに戻し、懐へしまい込んだ。良心の呵責などない。彼らの常識は、下等生物とは異なるのだ。
ややあって。離れた場所からの叫びを二人が拾った。ウィザードの聴覚は、人間のそれよりも遥かに鋭い。硬貨の落ちる音を聞き分け、百歩先で落とされた針の音を拾うことも可能だ。すなわちこの場合。彼らの耳はハッキリとした、意味のある音声を聞きつけたことになる。
「助けてくれっ!」
「!?」
二人はほんの一瞬、わずかにだけその場に硬直した。無論、方角と距離は把握している。北西に三百歩。足にマナを回して駆ければ、さして時間のかからぬ距離。問題は、叫びの文言だった。
生存者だと!?
バカな。完全にありえねえ。
我々が遅れを取る?
ねえよ。完全にねえ。
行くぞ。
ああ。完全にやられた以上、完全にぶっ殺す。
目を合わせるだけで、互いの思念が読み取れる。ゴロツキ時代からのコンビネーションが、そうさせるのだ。二人が足を置くたびに地面が爆ぜ、突風が村を駆ける。下等生物――人間から見れば、そうとしか見えぬのだ。
かくて、ほんの僅かな時間で、彼らは村の端から端を駆け抜けた。だが二人の目の前には、目を疑う光景が広がっていた。
「守れ……ボクを守れ……」
紫ローブの男がすっかりすくみ上がり、死者を覚束なく操っている。ささやかな抵抗を試みている相手は……あまりにも異様だった。
「全魔、鏖殺。すべて殺す……!」
左手には、二つの首。三人のうち二人が、すでに殺られたというのか。右の腕は、手刀の形をとっていた。血のような赤金色のオーラが上半身でローブのように揺らめき、一部は右腕に集約されていた。
「ウィザードッ……!?」
「ありえねえ。完全にありえねえだろ!」
状況そのものは、コーロスたちの圧倒的優位だ。ウィザードが三人に、紫ローブが操る死者が二人。囲んで叩けば造作もない。しかしウィザード一人は怖じ気ついている上に――
「鏖……殺ッ……!」
「なっ!」
謎のウィザードの動きが早い。一瞬消えたかと思った瞬間には、紫ローブが首根っこを掴まれ、持ち上げられていた。
「がっ……ごっ……」
「殺ッ!」
ぶちぃ。
オーラ――十中八九マナによるものだろう――が集う右腕が首を握り潰し、墜落した身体はマナによって崩れ落ち、空気へと還って行った。同時に操られていた死者も、緩慢な動きで倒れ伏した。
ギロリ。
そんな音が聞こえそうな瞳が、コーロスたちを見据えた。イクサーンは見る。その瞳には、たしかにマナの炎が灯っていた。イクサーンは、方針転換を決意した。
走れ。
あん?
俺がここで奴を止める。お前は戻れ。このウィザードについて報告しろ。
待て。完全に待て。二人なら……
無理だな。俺たちのような、『紛い物』じゃねえ。お前の言葉を借りれば……っと!
心臓を狙われた突きを、イクサーンはすんでのところでかわした。あまりにも滑らかな動きだった。未だ最速の底を見せてはいない。イクサーンは直感した。
「行け!」
彼は叫んだ。もはや間に合う保証はない。共倒れの危険性が、あまりにも高い。しかし、二人で挑むよりはまだ可能性はある。
「チッ! 完全に貸しイチだからな! 覚えてろ!」
声と駆け出す音を背にしつつ、イクサーンは前進した。十歩先。赤金のオーラが輝きを増し、今にも四方へと飛び火しそうなほどに、揺らめいている。そうなれば、二人とも殺られるだろう。ならば、その前に!
「死ねーッ!」
十歩の間合いは瞬時にゼロとなり、イクサーンはマナを込めた暗器で斬り上げる! たとえかわされても、かまいたちの如く切り傷を与える陰険な手管だ。しかし。
「邪魔を……するな!」
「がっ!?」
先んじて懐から声。下を見れば、左胸に、敵の手がめり込んでいた。
「かはっ」
マナが散る。喀血する。
「全魔鏖殺……!」
低い声が、耳を叩く。地の底から帰ってきたような、おぞましい声。イクサーンは膝を付き、崩折れた。だが、まだ死ぬ時ではない。たった一人の仲間の、足音を聞く。早くも三百歩は向こうか。だが、今少し時間を稼ぐ。心臓を貫かれたにもかかわらず、イクサーンは深く呼吸した。大気に漂うマナを吸い上げ、一時的に、仮初めの命を得る。コロースには隠したが、これがあるからこそ、彼は足止めに立った!
こおお。
呼吸でマナを整える内、ウィザードの気配が消えた。好機。立ち上がり、静かに駆ける。コロースを追うウィザードの、背後へと迫る。武器は手刀、ただ一つ。だが、心臓さえ――!
「なっ!?」
ローブの先端……否。ローブ状に揺らめくマナの先端が、鋭くイクサーンの額をえぐっていた。目を見開き、敵手を見るイクサーン。こちらを見ても、いないのに。
「ウィザードの聴覚も測れぬ。惰弱」
最期に拾った言葉の直後。イクサーンは今度こそ死んだ。先に逝った者たちと同じく、身体は大気に塵と消えた。
赤金のウィザードは、見届けもせずに加速し、コロースを追った。マナを集積したローブがなびき、各所に飛び火し、村を焼く。哀れな人々を火葬する。
さして時も経たぬ内に、今度はコロースの悲鳴が空しく響いた。
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