第3話 迫り来る絶望

 ハーティは芝生に寝転びながら静かに目を閉じる。


 すると、まわりの小川から聞こえるせせらぎの音や穏やかな風が鳴らす草木を揺らす音が心地よく耳に入ってきた。


 ハーティは先程まであった眠気も吹き飛んで心も穏やかな気持ちになっていった。


(この世界はとても美しいわ・・・)


 ハーティは昔から美しい自然が大好きだった。


 美しい自然の光景を眺めたり、音や風を感じていると、なぜか『ほっとする』ような安らぎを感じるのだ。


(眠気はすっかりなくなったけど、しばらくこうして目を瞑っていよう・・)


 ガサッ・・・。


 ハーティがそう思った矢先、瞑られた視界の向こうで近づく人の気配を感じた。


「お嬢様、やはりにいらっしゃいましたか」


 その声を聞いて目を開いたハーティの目の前には、一人のメイド服を着た年頃の少女が立っていた。


「ユナ・・・」



 彼女はハーティの専属侍女としてオルデハイト侯爵家に雇われた、濃紺の髪を短いポニーテールに纏めたハーティよりも六歳年上の美少女である。


 通常、侯爵家の侍女といえば男爵家などの下級貴族の次女や三女などが行儀見習いとして仕える場合が多い。


 だが彼女はにより、平民でありながらハーティ本人の専属侍女となったのであった。


 そんな彼女も、その時の出来事を切っ掛けに幼い主人であるハーティを敬愛しており、常に仕えて共にあったこともあることから、ハーティの考えや行動パターンを予想する事など朝飯前であった。


「神官様がハーティ様を必死に探してらっしゃいましたよ」


「あまり講義をサボっていましたら、流石にお嬢様に甘々な旦那様や奥様もお怒りになりますよ」


「だって、あの神官・・わたしの髪を見て残念なものを見るような目をするのよ」


「・・・私もこの髪色ですし、お気持ちはわかりますが、あの神官様は決して悪意があったわけではございませんよ」


 そう言いながらユナは自分の前髪を摘んで見せた。


 ユナの髪色は濃紺であり、ハーティの黒髪ほどではないが、同じく魔導の才能は見込めないものであり、ユナはハーティの気持ちが理解できた。


「わかっているわよ・・でもやっぱり嫌なものは嫌なのよ」


「・・・本当は『ハーティ』なんて名前も嫌なくらいだわ」


 ハーティにとって『女神ハーティルティア』の美しい白銀の髪と自分の黒髪はまるで正反対のようであり、『女神』の名前から取った『ハーティ』と言う名前が自分に相応しくないと思っていたのだ。


「お嬢様はとても美しくて愛らしい見た目をされています。その黒髪も濡れたように美しいです」


「お嬢様は間違いなく『女神様』の祝福で生まれた方であり、『ハーティ』というお名前も旦那様と奥様の深い愛情があったからこそ名付けられたものです」


「ですから、お嬢様はご自身の名前に誇りを持っていいのですよ」


 ハーティの手を取りながら言うユナの表情は真剣そのものであった。


「・・わかったわ、ユナまでここにいて私が帰らなかったらあなたまで怒られてしまうし、ここはユナに免じて戻ることにするわ」


「・・・お嬢様・・」


 そう言いながらユナは微笑んだ。


「さあ、そうと決まったら帰りましょ。お父様に見つからないように帰らないと・・」


 そう言いながら歩みを進めようとした、その時・・・。


「!?」


 突然ハーティはなんとも言えない気持ち悪さを感じた。


 先程まで心地よかった風が止み、なにやら重くてじっとりとしたような気配を感じたのだ。


「お嬢様、どうされましたか?」


 突然歩みを止めたハーティを心配したユナが振り返った。


 すると、驚いた表情をしたハーティの背後で何やら蠢くが複数確認された。


 そのは地面から湧き上がり、次第に複数の人型を形成しながら、いまだそれに気づかないハーティにむけて腕のような物を振りかぶっていた。


「!?お嬢様!!」


 ユナはすかさず飛び出し、ハーティに体当たりをして弾き飛ばした。


「う、きゃ!?」


 もとより小柄なハーティはたやすく吹き飛ばされ、身代わりになったユナへと人型をした者の腕は振り下ろされた。


ドガッ!!


 刹那、それをモロに食らったユナがもんどりを打ちながら吹き飛んでいく。


 吹き飛ばされた彼女の手足はあり得ない向きに曲がり、その全身は血まみれになっていた。


「つっ、痛っ・・・、!?ユナ!!」


 吹き飛ばされた痛みで顔をしかめながら起き上がったハーティは、ユナの惨状をみて驚愕の表情を浮かべた。


「お嬢様・・・にげ・・て」


 ハーティが見渡すと、周囲では次々と人型の肉塊が地面から現れて二人に向かって迫ろうとしていた。


「アンデッド・・・」


 オルデハイト侯爵家領であるこの地は、大昔に隣国の帝国に侵略されたときの戦場であったと聞く。


 そこで当時神聖軍の有能な魔導士であったオルデハイト侯爵家の御先祖様が武勲を挙げて立身出世したことがオルデハイト侯爵家の起源となったという歴史を昔に両親から教わった事をハーティは思い出した。


 当時、そのあまりに激しい戦いにより犠牲となった死者が今だこの地に多数眠るとハーティは聞いていたが、おそらくこの開けた場所が埋葬地の跡地だったのかもしれないと思った。


 ハーティは近代においてアンデッドの発生があった事など耳にしたことがなかった。


 しかし、状況から推測するとそれくらいしか原因は考えられなかった。


 そして、目の前に倒れるユナを見て頭が真っ白になったハーティは動けずにいた。


 これだけのアンデッドを倒そうと思えば上位の浄化魔導が必要である。


 しかし、アンデッドの発生など皆無な昨今、上位の浄化魔導が使える人間はごく一部しかおらず、一番近くにいたとしても、王都にいる『聖女』とよばれる特別な存在かそれに近い上位神官くらいしか考えられなかった。


 このままでは家族や領民にまで被害が及ぶのは確実であった。


 そして、立ちすくんだハーティのすぐ背後から、新たなアンデットが隆起して襲いかかってきた。


「お・・じょうさま!!」


 ユナの声も虚しく、ハーティもまたアンデッドの狂拳に吹き飛ばされる。


 吹き飛ばされたハーティの視界には自分に向けて腕を伸ばした、血まみれのユナが映っていた。


「ごぶっ・・」


 ハーティが声を出そうとしたが、何らかの内臓が潰れたのか、その口から出たのは言葉ではなく吐き出された血の塊だけであった。


 そして、次第にハーティの視界も赤く染まっていく・・・。


(ユナ・・お父様・・お母さま・・みんな・・)


 薄れゆく意識の中でハーティが目を瞑ると、まるで瞼の裏に映る走馬灯のように、見慣れない光景が浮かんできた。

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