第2話 ハーティという名の少女

「・・・・と、以上が我らが『神聖イルティア王国』が国教とする『女神教』による、世界創造神話のざっくりした内容です・・・ってお嬢様!聞いてますか!?」


 『神聖イルティア王国』。


 国名にその名を起源とする通り、かつて世界が『女神ハーティルティア』を筆頭とした神々達により創造されたとする『女神教』を国教として崇拝する、この世界で最も歴史が長く最大の国力を誇る豊かな国である。


 この『神聖イルティア王国』において一、二を争う力と影響力を持つオルデハイト侯爵家の長女である『ハーティ・フォン・オルデハイト』は現在八歳の愛らしい少女であった。


 彼女は生まれた時に『女神教』神話で語られる『女神ハーティルティア』を彷彿とされる愛らしい見た目から、オルデハイト侯爵家当主である父より、女神の名前から一部を取って『ハーティ』と名付けられた。


 とはいえ、『女神教』の本拠地である『神聖イルティア王国』において、『ハーティ』という名はさして珍しくない。


 そして、その少女は侯爵家に派遣された侯爵領内にある『女神教会』の神官から『女神教』の講義を受けていた。


 この『神聖イルティア王国』において、国王を含めた国民は、そのほとんどが敬虔な『女神教』信者である。


 そんなお国柄の侯爵令嬢であるハーティもまた『貴族淑女の嗜み』として『女神教』について教わっていたのだ。


 通常平民たちは幼い頃から親に教会のミサなどに連れられて、神官の説教を聞いたり聖書を読んだりして『女神教』への知識を深めていく。


 しかし、上位貴族であるオルデハイト侯爵家においては、神官がわざわざ屋敷に赴いて講義を行うのであった。


 政略結婚が主である貴族子女において、『女神教』を詳しく知ることは必須であり、貴族の威信に関わることである為、『神聖イルティア王国』の貴族たちは高額の寄付を積んで有能な神官に教えを乞うことがある種のステータスであった。


 尤も、せっかくの高位神官の講義もハーティにとっては子守唄にしかならず、彼女は今も舟を漕いでいた。


(大体、毎度いい加減同じ話ばっかりで退屈なのよね!)


(そもそも、美味しいケーキを食べた後に聞いたって眠くなるだけだわ!)


 『神聖イルティア王国』の高位貴族令嬢として甘やかされて育てられたハーティは少々我儘な女の子であった。


「ハーティお嬢様、退屈とは思いますが貴族令嬢としてしっかり学んでいただきませんと・・・」


 そういう神官はハーティの髪を一瞥して目を伏せた。


 この世界には『魔導』というものが存在している。


 この『魔導』とは、かつて『神界』において神々の『存在』と『力』の源になった『神気』に成り代わって現在の世界が創造された時に満ちたとされる『エーテル』から生み出される『マナ』を使うことにより、様々な現象を発生させるものである。


 通常『マナ』はこの世界のあらゆる生物が呼吸をすることで体内に取り込んだ『エーテル』が、その体内で自然に変換されることで生み出される。


 それは生物である限り草木等であっても自然に持つ能力であるが、特にこの世界で文明を築いてきた『人間』はその能力が顕著に高く、また個々によって先天的に『マナ』への変換・体内蓄積能力が異なる。


 そして、その能力の差は長年の研究により、『髪や瞳の色』に密接な関係があることがわかっていた。


 その関係性について詳しく説明すると、生まれ持つ髪や瞳の色が明るい金色に近い程『マナ』の変換・蓄積能力に優れているとされ、魔導の才能にも溢れる者が多い。


 よって、髪が金や薄茶色などの明るい色に近い子が生まれると、親はこぞって幼少から魔導の教育を施して高位神官や魔導士として育てていく。


 また、高位神官や魔導士はどの国でもその絶対数が少なく非常に重宝される為、魔導の才能があるものは将来を約束されたも同然であった。


 それに対して、暗い色の髪は『マナ』の変換・蓄積能力が低いとされ、魔導の才能としては絶望的であった。


 魔導の才能に影響する髪や瞳の色は遺伝で受け継ぐものではなく、親子でもその色が異なることは普通にある。


 その為、ハーティは明るい茶髪である両親から生まれたが、その髪色は濡れたように美しい黒色であった。


 髪色が遺伝によるものではないとされてる以上、髪色や魔導への才能によっての貴賎はないし差別されることもない。


 因みに、『女神ハーティルティア』の髪色は『白銀』であったとされ、唯一の尊い色とされているが、現在の世界が創造されてから現在に至るまで、その髪色を持つ人間は生まれたことは無いとされている。


 そして、黒髪である彼女は魔導の才能は皆無であり、治癒魔導を使う神官としても不憫に感じてしまうのであった。


 生まれた時から黒髪であるハーティにとって、このような視線はずっと向けられ続けたものであり、そのたびに嫌な気持ちになっていた。


 どのみち侯爵令嬢は戦場に行って戦うわけでも治癒神官として行軍するわけでも魔導士になって王宮に遣えるわけでも冒険者として身を立てるわけでもない。


 自分は政略結婚の為に嫁に出された後はただひたすら夫に尽くすだけの身。


 そう思えば思うほど、ハーテイの中で劣等感が増していくのがわかった。


(私だって好きでこんな髪色になったわけじゃないわっ!)


「・・・・私、すこし気分転換してきます」


 そんな事を思えば思うほど嫌な気持ちになり、ハーティは目の前の神官から逃げるように部屋を飛び出した。


「え、ちょ・・・ハーティお嬢様!!」


 すかさず神官がハーティを追いかけるが、八歳の小柄な身を利用して迷路のような屋敷を物陰に隠れながら逃げるとすぐに巻くことができた。


 ハーティがこうして講義から逃げ出すことは初めてではない。


 よって、ハーティにとって神官を巻いて屋敷から逃げ出すことなど朝飯前であった。


 屋敷を飛び出したハーティは屋敷の裏にある森林を抜け、広大な侯爵家敷地の中でも特にお気に入りな、近くに綺麗な小川が流れる開けた広場の芝生の上に寝転がった。

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