第3章 ちいさなかみさま 【1】
クリスマスに降り出した雪は、十二月二十八日になっても、まだ降り始めていた。
といっても、積もるほどではない。地面に触れると、消えてしまうのだった。
「じゃあ、行ってくるから」
駅のホームで、恭司は手を振った。実家の青森に帰るのだ。
進学を控えて、親と顔を合わせて相談しなければならなかった。恭司は東京で進学するつもりだったが、親は、せめて東北地方の大学にしろ、と言って譲らないのだった。どちらにしても、一度は直接、会って話をする必要がある。そのための、帰省だった。
見送りに来た季里は、うつむいた。
「……恭司」
「うん?」
「かならず、帰ってきてね。私、もう一度、恭司に会いたい」
「帰ってくるに決まってるだろう」
恭司は不思議に思った。
「どうしたんだ?」
「ううん、なんでもない。ただ、急に心配になっただけ」
恭司はそれを、進学についてのことだと思った。
「だいじょうぶだよ。俺は東京にいたいんだ。季里もいるしね」
「うん。ありがとう」
新幹線がホームからすべり出すのを見送りながら、季里は自分でもとまどっていた。
この胸騒ぎはなんだろう。恭司の身に、何か起こるというのだろうか。
あるいは、季里自身に――?
駅から直接、季里は学校へ向かった。
もう年末で、図書館に人の姿はなく、司書の森本先生だけがたいくつそうにカウンターで本を読んでいた。
「本を借りにきました」
季里が声をかけると、先生はわずかにうなずいた。
「好きなだけ持っていっていいぞ。お前さんで今年は店じまいだ」
季里は書庫へ行った。
天井まである棚の間を歩いて、おもしろそうな本を捜す。一時間近くかけて、選び出したのは次のような本だった。
ビーグル『心地よく秘密めいたところ』
フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』
名木田恵子『ナイトゲーム』
神林長平『七胴落とし』
マキャモン『ミステリー・ウォーク』
レイノルズ『消えた娘』
選んだ本を持ってカウンターへ行く。
「先生は、何を読んでいるんですか?」
「僕かい?」
先生は、手にした本の背を見せた。『日本の呪い』とタイトルがあった。
「のろいの本ですか?」
「というか……まあ、民俗学の本だな。世の中に、汚れと祓いがあるという――いや、水淵にはまだ早すぎるかもしれないね」
「けがれ、ってなんですか」
「世の中から追い出されるもののことだよ。社会っていうのは、何かを追い出さなければ保っていけないんだ」
「たとえば、私みたいなもの?」
「おまえさんは別に、追い出されるような存在じゃないだろう」
「でも私は、いつも世の中の外にいるみたいな気がします」
「なるほどな」
森本先生はうなずいて、
「水淵には『力』があるからね。だけど、自分が特別な人間だとは思っていないだろう」
「はい」
「それに水淵には相沢たちがいる。人は他の人とのつながりがあって、自分もそのつながりの中で生きてるのを知っていれば、ちゃんと社会の一員だ。多少はみ出してたって、気にすることはないさ。――さて、授業はこれくらいにしようか」
「はい。ありがとうございます」
季里は頭を下げた。
図書館から校庭へ出ると、グランドを走っている人影が目に入った。
バックネットのあたりで立ち止まり、何か叫んでいる。
それが更紗だと分かったので、季里は本をショルダーバッグに入れて、近づいていった。
更紗は、また走りだす。
後を追って、季里はたずねた。
「何をしているの?」
「練習よ」
足を止めずに、更紗は答えた。
「演劇部の?」
部活なら、他の部員もいるはずだが……。
「ううん。私個人の練習。私、強くなるの」
「どうして走るの?」
「腹筋を鍛えるためよ。走って、発声練習して、それを繰り返すの」
更紗のスニーカーが、薄い雪をざくざく踏んで行く。すでに何周かしたのだろう、雪の上には足跡が幾重にも刻まれていた。
「じゃあ、舞台に出るの?」
「そうよ。主役なの。あたしひとりの舞台」
「ひとり芝居っていうこと?」
「そうかもね」
更紗は笑って、
「すごくいい気分よ、季里、――私ね、神さまだったの。今日、思いだしたの」
「神さま?」
「うん。この冬は、あたしのためのものなの。見ててごらん、もうすぐいつもとちがう冬がくるから」
更紗は楽しそうだった。
ついて走って、季里は息を切らせた。
「そんなに速く走らないで。私、もう走れない」
「弱い子ね、季里は」
更紗は、やはり楽しそうに、足を止めて言った。
「でも、あなたは弱い子だから、助けてあげる。季里、あなただけは、生かしておいてあげるからね」
季里には、更紗の言っていることの意味が分からなかった。何を言っているんだろう。
けれどもどこかしら、不吉なものがあった。
走り疲れて、季里は立ち止まり、空を見上げた。
むらになった灰色の低い雲が覆う空から、雪のかけらが一つ二つ、ひらひらと下りて来る。
冷たい空気に白い息を吐きながら、更紗はグランドを回り続け、また止まっては、大きな声をあげていた。
「ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ!」
「カ、ケ、キ、ク、ケ、コ、カ、コ!」
声は鋭い響きとなって、空気に突き刺さっていた。
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