第2章 その人たちには特別な日 【2】
「季里の誕生日?」
相沢紘史は眉をひそめた。
「そんな、大げさなものじゃなくていいんです。お店の隅だけでも、ううん、季里の部屋だけでも貸してもらえれば……」
更紗は頭を下げた。
喫茶店『ねむ』のカウンターである。
すると紘史は、さっきの更紗のことばを、聴いていたかのように繰り返した。
「そうはいかないな。うちのひとり娘だ。いいだろう、貸し切りにしようじゃないか」
「ありがとうございます」
言って、更紗は季里に笑顔を向けた。
「ね。言った通りでしょう」
「ほんとうに、いいの? 紘史兄さん」
すると紘史は、むすっ、とした顔で答えた。機嫌が悪いわけではない。いつも、この調子なのだ。
「来年の今頃は、試験勉強の真っ最中だろう。季里に関係のある人間が集まれるのは、今年の誕生日ぐらいかもしれないからな。――つけとくさ」
「ありがとう」
鼻の奥が、つーん、とした。
「だが、うちにはクリスマスツリーがないな」
「俺の出番ですよ、それこそ」
テーブル席のほうで話を聴いていた陣内が、うなずいた。
「きのう、イヴで使ったツリーやら電飾がある。研究用のモデルだ。持ってきましょう」
陣内の家は、プロ仕様のオーディオを作っているが、最近は、いろいろ手を広げようとしているらしい。
「あたしは洗い物でもしようかな」
しっかり陣内と向き合っていた美砂が、口をはさんだ。
「相沢の兄貴。よろしくお願いします」
「食器を壊すなよ」
「あたしがいつも、バカ力、出すわけじゃないってば」
美砂は顔をしかめた。
「それじゃ俺は――」
恭司が言いかけると、更紗が、さえぎった。
「相沢君には、大事な役目があるでしょう」
「俺に?」
とまどった恭司に、更紗はおごそかな口調で告げた。
「季里を祝う係。それがいちばん、大事なんだから」
「そうだね。更紗、あんたもだよ」
もう立ち上がって、店の奥からエプロンを持ってきた美砂が、更紗をじっ……と見つめた。
「分かってる。あたし、ちょっと行ってくるね」
それだけ言って、更紗は店を出て行った。
その後ろ姿を見つめた、美砂の表情には、わずかに陰りがあった。
「どうしたの? 美砂」
きいてみると、あいまいに首を振った。
「いや、なんでもないよ」
何か気になったので、たずねてみようと思ったのだが、美砂は季里の肩をつかんで押した。
「部屋で待ってて。準備ができたら呼ぶからさ」
「あ……うん」
とまどいながら、季里は部屋へ向かった。
トレーナーにカーディガン、膝下まであるスカートに着替えて、座っていると、ぱらぱらと雨が屋根を叩くような音がしていた。
窓を開けてみると、それは落葉の散る音だった。トタン屋根の上に、大きな褐色の葉が何枚となくちらばっている。
「冬だね……」
季里はつぶやいた。
冬は、きらいだ。亡くなった、実の家族を思い出させるから。
机にほおづえをついて、季里はぼんやりとした不安を感じながら、いつの間にかうとうとし始めていた。
……。
「季里。季里?」
美砂の声に、我に返ると、もう一時間近く経っていた。
「うん……ごめんなさい」
「なに謝ってるのさ。準備ができたよ」
美砂は、それだけ言って、微笑んだ。
「ねえ、美砂」
「何?」
「夢と現実って、どこがちがうんだろう」
「そうだなあ……」
美砂は少し考えて、
「たとえば、死ぬほど苦しい目に遭っても、夢なら目が醒めればそこで終わりだよ。でも現実には、たぶん、永遠の苦しみ、っていうものもあるんじゃない? それこそ死ぬまで終わらない、さ」
「そうだね……」
季里はつい、考えこんだ。
「どうしたのさ、季里。へんな夢でも見た?」
「うん。世界が終わる夢。みんなが……死んでしまうの。私も」
「勝手に殺さないでよ」
美砂が笑い飛ばした。
「ごめんなさい。きっと、寒かったからだね。寒いのは、きらい」
「あたしは偉そうなこと、言えないけどさ」
美砂は頭をかいて、
「もし世界の終わりが来ても、あたしは季里のこと、忘れない、って思うよ。相沢や陣内、森本先生や、あんたの兄さんもね。……さ、ほんとに行こう」
「うん」
美砂がせかすので、季里は、言おうとしていたことばを飲み込んで、部屋を出た。
(私が死んだら、私のこと、忘れて)
カウンターの奥から店へ出ると、まぶしさに、季里はまばたきをした。
まるで、映画のフィルターがかかっているような光景だった。店全体に、色とりどりの電球が点いてはまた消え、まん中にはクリスマスツリーが飾られている。電球ではなく、枝そのものが光る仕組みになっているのだ。
「さ、座って。主役が座らないと、パーティーは始められないよ」
美砂にうながされるままに、季里は中央のテーブルに座った。見回すと、みんな、温かい表情を浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます