第2章 その人たちには特別な日 【1】
水淵季里と遠賀更紗が出会うきっかけを作ったのは、映画研究会の杉山敏だった。
杉山は、その年の最後の作品に、ふたりの女の子を主役として考えていた。彼は顔の広さと人なつこさを利用して、逝川高校のすべてのサークルに出入りし、キャスト候補を捜している。
文芸部の季里とは、以前から知り合いだった。一緒に、ある事件に関わったこともある。
もう一人の女の子は、演劇部の練習を見学していて見つけた。舞台に立っていたのではない。遠賀更紗はプロンプター――幕の後ろから、役者にセリフを教える係だった。
「どうして、私なんか? 演劇部にいい子、いくらでもいるでしょう」
更紗に言われて、杉山は熱っぽく説明した。
「芝居ができるっていうのと、映画とは違うんですよ。存在感っていうのかな、要するに、遠賀さんはフィルム映りがいいんです」
それでも更紗は引っ込み思案らしく、しぶっていたが、杉山の説得に負けたような形で出演することになった。
学年は同じ二年だが、映画の中では、季里が姉、更紗が妹だった。杉山が決めたのだ。
そして、どうしてだろう。次第に季里も、たぶん更紗も、ほんとうの姉妹のような気が、してきていたのだった。
撮影は、二年の秋の初めに始まり、気がつくと、もう冬休みだった。映画は最後のシーンになっていた。冬休みの一日を割いて撮られた、図書館の屋上でのシーンだった。
姉「うちへ帰りましょう。私たちの家へ」
妹「まだ、夕方よ」
姉「もう、夕方じゃない」
妹「私、いつまでもこのままでいたい」
姉「人はね、いつまでも同じ所にはいられないの」
妹「そう……淋しいね」
姉「うん。淋しいね。でも、それも人間である証(あかし)なのよ」
「カット! お疲れさま」
杉山が声をかけ、今までしんとしていたスタッフが、がやがやと機材を片付け始める。
季里は、この瞬間が好きだった。それまで張り詰めていた空気が、すうっと流れ始めるような解放感があった。……そして、淋しさも。
「これで最後だね――」
スタッフのようすを見ながら、季里はつぶやいた。
「本当に、最後かもしれませんね」
杉山が、しみじみと言う。
「えっ。杉山君、もう、映画、撮らないの?」
「撮りたいんですけど、撮れないかもしれません」
「受験勉強、するから?」
「いえ。8ミリのフィルムが生産中止になるんです。もう機材なんかとっくになくなってますし、もう滅んだ文化なんですよね、8ミリ映画って」
「そうなの。ざんねんね」
「でも、ビデオテープになるんでしょう」
更紗が言った。
「ビデオの画質は、なんていうのかな、よすぎるんですよ。……古本には、古本なりの味があるでしょう。少し、陽に焼けていても」
季里は、うなずいた。
「いまのところ、そういう映像の質感を作るには、パソコンとソフトがいるんですけど、高いんですよ。上映には、プロジェクターも要りますし」
「でも、『いまのところ』でしょう。杉山くん、将来は映画監督にならないの?」
「うーん。なりたいとは思いますけど、いや、むずかしいですよ。水淵さんは、何になりたいんですか?」
「私? 考えたことなかった……」
「季里は、樹を植える仕事がいいわ」
急に、更紗が言った。
「造園とか、そういうのですか」
「別に、ただ思いつきで。でも、季里には似合いそう。樹を植えて回るの。いろんなところを。そうやって、森を増やしていくの」
「――うん。いいね……更紗は?」
「あたしは、何にもならないわ」
「主婦ですか?」
「ううん。ほんとうに、何にもならないの」
更紗は、不思議な自信に満ちたようすで、答えた。
「そうね……人間以外の『もの』になら、なるかもしれない」
「人間以外?」
季里には、意味が分からなかった。
「うまく言えないんだけど、たとえば、神さま」
言って、更紗はハッとしたような顔になった。
「あたし、何を言ってるんだろう。神さまだなんて」
「神さまですか」
面白そうに、杉山が言った。
「いいんじゃないですか。神さまの遠賀先輩も撮りたいな」
「神さまはフィルムに映るの?」
無邪気そうに、更紗は尋ねる。杉山は頭をかいた。
「そういう、心霊写真みたいなものは、撮ったことがないんで」
「ないのが、ふつうよ」
更紗は笑った。
季里もつられて微笑んだが、内心は複雑だった。自分は、人間ではない『ひと』と、何度も逢ったことがある。話を交わしたことも。
だが、更紗には言えなかった。
心の中で、線が引かれていた。線のこちら側には、恭司や紘史、陣内や美砂がいる。みんな大切な、仲間だ。
更紗は、『仲間』、ではない。親友ではあるが、だからこそ、話せないことも、たくさんあるのだ。
「そう言えば……」
杉山が言い出したので、季里は緊張した。杉山は、季里たち『仲間』と一緒に、ささやかな冒険をしたことがある。
けれど、杉山が言ったのは、別の話だった。
「きょうって、水淵先輩の誕生日じゃないですか」
「えっ……」
映画という、緊張した場から、すっかり日常に引き戻された感覚は、けっして不快なものではなかった。ただ、――そう。ただ、忘れていただけだ。
「季里の誕生日って、十二月二十五日なの?」
更紗が顔を輝かせる。
「うん。クリスマス・イヴの翌日だから、ふだんは忘れているんだけど」
「それって、本末転倒じゃない? ほんとうは、クリスマスの日がおめでたいんだよ」
「そうかもしれないね」
季里はうっすらと微笑んだ。
「そうですよ。少なくとも俺たちには、特別な日、です」
杉山が調子を合わせた。更紗はうなずいた。
「パーティーしなくちゃ。季里の誕生パーティー。季里のお店、貸し切りにできないの?」
「そんな……大げさだよ」
いままで、誕生日を祝ったことなどなかった。クリスマスは、けっこう客が多い。デートの帰りのカップルや、家よりはちょっとぜいたくができる家族などが、喫茶店『ねむ』を訪れるのだ。季里も、その相手で忙しかった。
けれど、今年のクリスマスは平日だから、いつもよりは、暇かも知れない……。
そして更紗は言うのだ。
「ううん。せめて今夜だけでも、お祝いをしましょう。杉山君、手伝ってくれる?」
「いいですね。記念のフィルムを――いや、ビデオを撮りましょう」
「なんだかんだ言って、しっかりビデオにも手を出してるんじゃない」
更紗が笑う。
「ふたりとも、大げさだってば」
「ううん」
更紗が首を振った。
「私たちには、特別の日にしたいの。季里の……お兄さん?」
「私は、そう呼んでいるよ。血のつながりはないけれど」
「なんでもいいよ。そのお兄さんに、言ってみよう? ね?」
更紗はときどき、そう……押しの強い所がある。季里はそう思った。
けれど、なぜだろう。それが不快には思えないのだ。
「じゃあ、これから相談に行こう? お兄さんの名前は?」
「相沢、紘史【ひろし】」
「うん。分かった」
不思議な自信に満ちて、更紗は言った。
「きっと、そのお兄さんも、こう言うと思うな」
(この章、続く)
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