8、蜂葬

 若葉に雨露が光る、土の匂い。道の上に大きな蜂が横たわっていた。

 親指大の腹はぼてりと重み強く、先端からは鋭い針が覗いている。その腹に動かない虫の強烈な命、私の持つそれを凌駕している。だけど、虫は死んでいる。体から生える鋭利な六つ足も、強靭な顎も、微動だにせず、複眼は何の気配も灯さない。虫は死んでいる。保たれている輝きからは時間のそう経っていないことが分かる。

「お前は人を襲ったことがあるのか?」

 問いかけに虫は応えない。

 何を言わないし、動きもしない。

 自分より強い命が終わって見せている。か細い生命を私は繋いで来た。脱落しないように、ときに転んでも、惨めさをいだきながらまた戦列に加わって、生きて来た。なのに、先天的に強い命を持つ者が、どうしてこうやって死を見せびらかす。死してなおその強さを示し続ける。

「バカにしているのか」

 私は虫を踏み付けようとして、止める。足を振り上げた途端に怖くなった。私よりも秀でた命を冒涜することが、恐ろしくなった。弱く生まれたことを恨んだことはない。だけど、散々困った。他の平均的な人間ならつまづかないところで困窮した。工夫や情けで今まで生きている。感謝しなければならないことが多いことは、嫌だ。

 虫は静かに死んでいる。なのに、命がそこにまだ光っている。

 その輪郭がくっきりとしていることに、羽の目が細かいことに、生きている力強さが貼り付けられている。

 畏れている。

 私が死んだときに、相応のみすぼらしさを顕しはしないか。私はこの蜂のように美しく死ぬことが出来るのだろうか。それには、美しく生きねばならない。そう突き付けられたことに畏れがある。蜂がその死を以って私に訴えるのは、死の美しさは生の美しさによってのみ成される、私の命が燃えているのか、私は生きているのか、蜂は黙して訴える。

 生きていていいのか。唇を噛む。

 私は蜂をそのままにその場を離れる。埋葬しないことが、蜂の命から逃げないこと、自分の命から逃げないこと、噛んだ唇の痛みにそう記念する。


(8、蜂葬、了)

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