砂漠と餓鬼と塵芥 最終回
まだ宵の口も過ぎたばかりの頃合いだった。ズバールを送り届けた後の二人はガービレッジを取り囲むそれほど高くはない簡素な防壁の外にいた。
「行っちゃうの──」
もう一晩くらい一緒にいてくれてもいいのに──言わずとも察せられる表情でアクタは懇願する。
「ああ、今度はババアじゃなくとびっきりの美女を月に送らなきゃいけなくてな。いや、あいつもある意味ババアか?」
「そう……」
手にしていたずっしりとした袋を懐から取り出す。
「残金5万チェップってとこか。これやるよ」
「なんで?」
「だって俺帰ったらこの金使えねえし、両替所もねぇし、そもそもクレジットとチェップの為替すらこの世界ないし」
アクタは受け取らずに俯く。
「いらない」
「なんでよ?」
「いらないからこっちにいて」
「……あのな、俺は旅の途中のただのおっさんだぞ」
「だったら僕も連れてって」
「危ないって言ったろ。もう少し大きくなって、戦えるようになって、車買って──そうだその車買う資金のためにそれ貯めとけ」
顔を上げ精一杯の笑顔を作る。いつもの華やかさのなさにオジサンは体の内側がキュッとしまるものを感じる。
「──ごめんね、ちょっとわがまま言ってみたかったの。ズバールさんのこと心配だし、それに5年後僕もハーレム仲間にしてくれるんでしょ?」
「おう、もちろんだ!(そういえばそんなこと言ったな)」
「じゃあ待ってる」
「じゃあなアクタ。これでお別れだ」
「待って、ちょっとしゃがんで」
「ん、ホラ」
両手を広げるアクタを見て、最後に別れのハグをしたいのだと、少なくともオジサンはそう受け取った。そして片膝をついて受け入れるべく懐を開ける。薄い琥珀色の髪が頬を撫でる、かと思いきやその予想は外れた。
「ん!?」
目の前にはアクタの潤んだ瞳と小さな唇が──
「待て、何しようとしてんだ」
「えへ」
小悪魔──あまりにも可愛いらしい悪戯っ子の小悪魔の微笑み。
「いくらお前が美少年でも俺はその気はないぞ」
「オジサン、僕女の子だよ」
──?
「え?」
「お、ん、な、の、子!」
「はいぃぃぃぃ!?」
あまりの衝撃な告白に一步二歩と後退るオジサンの行動は少しばかり仰々しいが──
「たしかに男の子っぽくはずっと演技してたけど、でも、それなりにヒントは出してたんだよ。わからなかった?」
「わかんねぇよ! お前、それじゃあ芥(アクタ)じゃなくて俳優(アクター)じゃねえか。いや……女優(アクトレス)だったのか! アクタからアクトレスに改名しとけ」
「ふふ、マムが付けてくれたアクタのままでいいの。それより5年後楽しみにしてるからね」
「お、お、おう。そそ、そ、それじゃ──」
アクタの急なカミングアウトに動揺しながらも車に乗り込みエンジンをかける。見つめる少女の瞳を見返すことができないままアクセルを回そうとするが──
「オジサンの名前聞かせて。ずっと聞きそびれちゃってた」
「オ、オジサンはオジサンだよ。ただのオジサンだ。名乗るほどのもんじゃねえよ」
「錫乃介、赤銅錫乃介だよね」
「ふぇ!?」
「入国のとき、ホテルでチェックインするとき、留置所から出す時の三回見てるから。間違えてないでしょ?」
「は、はい……」
「良かった。これでオジサンが約束すっぽかしても探せるね! その時はマムの電脳を乗せた戦車で迎えに行くから!」
オジサンをビックリさせたことに満面の笑みをたたえる少女は釘を刺すように言葉を投げる。
「そ、そいつぁ楽しみだな」
「じゃあね、またね、バイバイ、オジサン」
「ああ、バイバイ……アクタ」
アクセルがゆっくりと回る。名残惜しそうに車は走り出す。次第にスピードを上げ、砂埃を巻き上げ、やがて視界から去って行く。風に煽られ薄い琥珀色の髪が靡く。それを指でかきあげたとき、近づく一人の男が目に入った。
「探したぞ。頼む、ピッキングを僕に……」
「うん、いいよ。でもタイミング悪いなぁ」
全てを聞かずに応える少女は再び車が過ぎ去った方角に眼差しを戻す。その瞳からはひとしずくの涙が溢れ砂漠の塵芥に滲みをつくり静かに消えていった。
リアクション下手くそだよ……
バイバイ、僕のオジサン
…………
“アクタ様が女の子だってとっくに気付いてたでしょ? なんで嘘ついたんですか?”
そりゃよ、だってよ、あそこで女の子だって知ってたよ、なんて言ったら美しくねぇだろうが。アクタにはアクタの描いたストーリーがあったんだ。幼く拙いがでもキラキラしてやがる。そんな大事なもの壊すわけにいかねえだろ。のってやるのが大人ってもんだ。
“はぁ、あなたもたいがい役者ですね”
役者に徹することができたなら良かったんだけどな、今回ばかりは胸に刺さった針が太くて反しがついてて抜けそうもねぇや。いや、刺さったってより、穴が空いちまった……かな。
“どうしたんですか、そんなおセンチなこと言って”
さあな。だから餓鬼は苦手なんだ。調子が狂っちまう。タカタカ砂漠の塵芥が、心に詰まっちまったせいかな。
“これはもう重症ですね──って、なにウィンドウ開けてるんですか”
風にあたりたくなったんだよ。今日の砂埃はやけに目にしみるな。
“昨日も今日も砂埃は変わりませんよ”
黙りねぃ。ナビ、BGMかけてくれ。
“はいはい、なにします?”
ジャック・タチ『僕の伯父さん』を。
飄々とした愉快でお洒落でノスタルジック、そしてどこかちょっと哀しさと寂しさが残るサウンドが脳内で流れ始め、夜空を青白く照らす月に向かう車が乾いた大地に残した涙の轍だった。
了
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