砂漠と餓鬼と塵芥22

 屯所に泊まったとはいえ、ろくに寝てないヤーテは疲労でダルくなった身体に喝を入れるために冷たい水で顔を洗い、簡単に身支度を整えながら昨晩の事を思い出していた。

 緊急出動先が自分が女主人を気に入ってからホームにしていたBarであったのも驚いたが、中から出てきたのは知った顔以外にもあの入管で自分を騙したクソ中年が含まれていたのだ。駆け寄って張り倒してやろうと一瞬思ったが、そんなことをしたら不正行為がばれるかもしれないと思いとどまり、見つからないようにコソコソ同僚達の影に隠れていた。留置場に連行されてからは少しだけ胸がスカッとしたが、それでも失った金が返ってくるわけではないので気持ちはすぐに落ちてしまった。

 気を紛らわすためにも、と少し早いが持ち場に趣こうとした昼頃、目の前で立ち止まりこちらを指差す子供はどこか見覚えがあった。


「あ、門番の衛士の人! ねえ、僕らがあげたアレちゃんと入国税より高く売れ……ウプッ!」


 屯所内でとんでもない事を言い出すので、慌てて子供の口を塞いで担ぎ空室であった取り調べ室へ駆け込む。その早さはまさに韋駄天であった。バタンと背中で金属製の丈夫な扉を閉めるとアクタを椅子に座らせ、乱れた呼吸を正すためにゆっくりと深呼吸を始めた。


「あ、あのな、そんなことここでバレてみれろ、お前も俺も留置場の中のあのおっさんも、全員監獄行きだぞ」


「あ、そのオジサンさ牢屋から出して。あの人なにも悪いことしてないよ」


「いや、しただろ! 俺に!」


「なにを?」


「あのな! まず現金じゃないってだけでもヤバいのに、あれ売っても三万しかしなかったんだぞ!」


「じゃあ、丁度だったんだ。お小遣いにならなくてごめんね」


「ごめんねじゃない! 手数料で500チェップもとられたんだ……俺の三ヶ月分の小遣いがな!」


「うーん、それは悪いことしちゃった。ごめんなさい」


「今さら謝られても……クッ!」


“アクタ、良いことを聞いた。こやつは今金に困っているのだろう。ならな、こうして、ああして、そうすれば、よいのではないか?”


 さすがダー! やっぱり魔王だけあるね!


“当たり前だろう。魔族の王、人間の邪悪な思念を糧とする魔族の王だぞ”


 その設定だと人間の邪悪な思念がないとお腹が空いちゃうってことでしょ? それだと人間に餌付けされてるみたいじゃない? 


“グッ! た、確かに…… やるじゃないか、勇者アクタ……”


「ねぇ、衛士さん。その足りない分プラスお小遣い、僕が出してあげる」


「なに?」


「だから、ちょっと色々と教えて欲しいことがあるんだけど……」


「ふん! 誰がお前の言う事など耳にするか! 教えることなどなにも……」


 急に勢いが落ちていくヤーテ。なぜなら向かいのアクタと挟むシンプルな四足テーブルの上にはドサリと見るからに大量のチェップが入った革袋が置かれ口まで開いていたからだ。


「はい、まず100,000チェップ」


 白金に輝くサイズのビー玉サイズの粒を小さな両手で何度もテーブルの上に乗せバラリ、ジャラリ、ゴロリと輝く小山ができる。


「ふ、ふふふふ、ふ、ふん、ばばば、馬鹿なことを。そう何度も買収なんてされるか。そそそ、そ、そ、そんな端金で」

(ガキのくせにこんな金を! しかもあの袋にはまだまだあるりやがる。ゴネてゴネて空っぽにしてやるか!)


「そう? それじゃあ……」


「いくら増やされたってなぁ!」

(まぁ可愛そうだから、倍くらいで手をうってやるかクックック──ガキが!)


「え? 増やさないよ。半分の50,000チェップに減らすの」


「へっ?」


 ごそっとクレーンゲームのバケットが掴むように白金の粒を革袋に戻す動作に、一瞬何が起きたのか理解できず思考が止まり、呆けた表情になる衛士。


「どう、話す気になった?」


 何ごともなかったように向かいの子供は硬貨を戻し終えると、ニコリと天使の様な笑みを浮かべて再び詰問を開始してくる。


「ば、馬鹿にするなぁ! 買収額が減っていくなんて聞いたことないわ!」

(マジか! いや、さすがに、まさか、減らすにしてもいきなり半分だと!)


「ならないんだ、じゃあ──十分の一にしちゃおっと」


 再びアクタのクレーンゲームが始まる。買収交渉開始時にあった小山はもう粒が数えられる程しかない。


「はい、5,000チェップね」


「おかしいおかしいおかしい! 減り方がおかしい! まてまて、それは、そんなの駄目だろぉ! そんなの先生嫌いだなぁ!」

(嘘だろぉ! 嘘だろぉ! 嘘だろぉ! 嘘だろぉ! このガキ! なんて凶悪な交渉しやがるんだ!)


「待たないよ、はい1,000チェップ」


 慌てふためく衛士とは対照的にアクタの様子は全く変わらない。にこやかに淡々と硬貨を戻し詰問を続けているだけだ。


「ノォォォォォォ! 交渉開始して三分で百分の一なんて宇宙の法則が乱れてるよ! わかったよ! わかった! 話す! 話す! 話すから! それ以上減らさないで!」


「それじゃ、オジサンを牢屋から出せる?」


「お、お、俺では無理だ。上役からしばらく身元引受も保釈保証金も受け付けるなと、取り調べもしばらく待てとストップがかかっている」


「なんで?」


「し、知らない、そんなの」


 初めてアクタの笑みが消えた。


「嘘だ。500チェップにする」


「アフヴァーーーーーール! ごめん! 謝る! 本当にそれ以上減らさないで! レシドゥオス! レシドゥオスっていう有名なボンボンがいるんだ。こいつが元凶だ! あの店のフェイウーっていう俺も好きでたまに会いに行ってる女主人を気に入ったんだが、相手にされなかったことに腹を立ててテロ行為の疑いをかけて強制捜査を無理矢理衛士達にさせたんだ! そんで女だけは身元引受人として自分の元に来させて、他の客には容疑をかけたまま留置場で入れとけという達しなんだ。別に命をとるわけじゃない。数日留置場に入れとけってだけなんだ。俺は悪くない! 俺も昨日からずっと引っ張りまわされて、このまま通常出勤なんだ。だから許して!」


 許すも何も、別に拷問してるわけじゃないんだけどな……  ダーこれでいい?


 余計な情報が入っている話を聞きながら、少し思案する姿をみせ脳内で相談を始める。


“驚いたぞ。いくら我が筋書きを教えたとはいえ、冷酷で無慈悲な買収額のカットは戦慄したぞ”


 そうなの? 普通にお話しただけだよ。


“ふっ──その調子でアレをやらせろ。おそらくこの衛士はこちらの言うがままだ”


 え、そんなことさせちゃうんだ。わかったやってみるね。


 また天使の微笑みを浮かべ、衛士に向き直る。


「も、もういいか?」


「もう一つお願い。どうせ勾留の引き伸ばしなんて、書類も何もない非公式なもんでしょ」


「ま、まぁそうだな」


「だったらさ──」


 そこで一拍の間が空く。衛士はその間で無意識に唾を飲んだ。


「うっかり伝令ミスしてよ」


「な、何を! そんなことできるわけ──」


「あ、ここに500チェップがまだ残ってたね、仕舞わなきゃ」


「ムッソルニーーーーードム! ダメダメダメダメダメダメダメダメ! わかったわかったわかった、虚偽の伝令するから!」


「うっかりでいいんだようっかりで。わかった?」


「わかりました!」


「はい、じゃあこれ500チェップ」


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 これでようやく解放される。そう衛士が席を立とうとした瞬間天使は口を開く。


「あと──そうだ。その、女主人ってどこに連れて行かれたの?」


“そんなの聞いてどうする気だ?”


 だって無理矢理連れ去られたんでしょ。たぶんオジサンのことだから助けようとするんじゃないかなって。


「そ、そんなの守秘義務が……」


「はい、これ飲み代にでもして」


 コロン、と小さな手から放たれた貴金属の粒が一つ衛士の元に転がる。


「100チェーーーーーップ!! 付いていきます! 一生付いていきます坊ちゃん! レシドゥオスの別宅です! 場所は中心地からちょっと離れてセントーサ街8番地です!」


「ありがと、僕はアクタだよ。それじゃ、頼むね衛士さん」


「ヤーテです! 気軽にヤーテとお呼び下さい!」


「頼むね、ヤーテ」


「んほぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 悶絶する衛士に手を振り、ごく日常的なことですよ、といった体で取り調べ室を後にするアクタ。



 この先あんなのに入管任せて大丈夫なのかなこの街。


“遅かれ早かれ消滅するだろうな。それにしても追い詰めて追い詰めて最後にわずかな金額でマインドコントロールする術、いつの間に体得した?”


 え? なんか可哀想だからと思ってお小遣いあげただけだよ。


“末恐ろしい奴め……”

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