砂漠と餓鬼と塵芥6

 這々の体でガービレッジに戻ってきてから治療院へ直行する。こんな村に病院などあるのかと疑問だったオジサンが訪れたバラック小屋では、前時代に埼玉県から出土した六世紀頃の踊る埴輪の人間サイズが、丸椅子にちょこんと座っていた。指のない触手のような手でサワサワとストレッチャー上で、足が切られる! と叫ぶラージの身体を触診し、虚空のまん丸な目で観察したあと空虚な丸い口からどう発声したものか、“骨折です、副木を当てますので少なくとも一ヶ月は安静にしてて下さい” と深い洞窟の中から反響したような事務的な声を出し、 “はい、これ痛い時に飲む痛み止め” とものの数分で診察を終えてしまった。両足が粉砕し切断はまぬがれないかと思われたラージの足は、たまたま鉄骨に挟まれたところが凹みだったのとボロ布の大地がクッションになったことが重なり、幸いにも左足の脛骨折程度で済んでいたそうだ。


「診察代は2,000チェップと言いたいところだけど、君たち若者にはまだ大変そうだからとりあえず500にしといたげる。残りは出世払いね」


「スパッツァトゥーラさんありがとうございます!」


 三人の息が揃った声が治療院に響くと踊る埴輪はクルリと丸い椅子を数度回転させ手をパタパタさせていた。文字通り埴輪が踊っている。


「良かったねラージ、足切られる!って叫んでたけど大丈夫だったじゃん!」


「う、うんよかった。あり、ありがとう。助けてくれて」


「アクタ、ラージを───仲間を助けてくれてありがとう。俺たちも助かった」


「スルレギも囮になろうとしてて頑張ってたじゃん!」


「今まで酷いことしてたのに、ごめん、謝る」


「いいよサンパー、もうしないでね。それよりさ、僕の集めた基板返してよ」


「お、俺たちがピックしたのもやるよ」


「いいよ、治療代かかるんだからそれに使って。それにスルレギとサンパーはしばらく二人で稼ぐの大変でしょ」


「ア、アクタ……」


「そうだ今度ピッキングするとき仲間に入れて! 少しは僕も役に立つようになったと思うよ! それから缶蹴る遊び? あれも!」


「あ、ああ……缶蹴りな。アクタさえよければ……」


「それじゃあ決まり! オジサン、基板売りに行こ!」


「それでいいんですか先生」


「なにが?」


「いや、それよりそんなキラキラした目で俺を見ないで下さい」


「どうして?」


「オジサンがどんどん惨めになるから……」


「変なの。行こ!」


 アクタの無垢な瞳に自分の心根がズキズキ痛むのを感じ、胸を抑えながら呼気が荒くなる。こんな、子供に人間性で敵わない…… とオジサンは打ちのめされていた。自分だったら、虐めてきたやつを全裸にひん剥いて縄跳びで手足縛ってケツの穴に皮剥いた山芋突っ込んで全身に蜂蜜塗ったくって路上に放置しても気が収まらないというのに、この子ときたら……


「ところで先生、みんな普通にしてましたけど、あの治療院の人? 何ですかあれ?」


「あの人がこの村唯一のお医者さんスパッツァトゥーラさん。名医なんだよ!」


「医者…… そのスパッツさんは、その、あの、人間なんですか、それとも、ロボット?」


「よくわかんないけど、村の人は何かあったらみんなスパッツァトゥーラさんのとこ行くよ」


(どうなんだナビ、あの埴輪)


“完全義体化された人間と思われます”


(マジかよ……)



 タカタカ砂漠から拾ってきたであろう廃材を組み上げ建てられた小屋が並び難民キャンプを思わせる長屋街を抜けるとトウモロコシ畑や草原が広がる牧歌的な農村地帯にでる。畜産業特有の香りが漂う平原に澄んだ小川が幾筋も流れ、その下流側には工業地帯というほど大きい訳ではないが、この村の製造業が集中する箇所があった。金属が打ち合うけたたましい音とモーターの甲高い回転音が響き、鉄錆と鉱油が混じり合った臭いが立ち込めるなかに、アクタがズバールさんと呼ぶ者の店はあった。


『廃品買取 ズバール』


「ここだよ」


 朽ちた家電が積み上げられ塀となし、軽量合金板の屋根を背丈の倍ほどもある錆びた脚立が柱となって支えて出来た棲家は、原型を留めていない電子基板、あちこち腐食した金属廃材、一度溶解して不定形に固まった合成樹脂の塊、資源としては有用なのだろうが整理もされないままの廃棄物たちによって支配されていた。


「ズバールさん、お客さん連れて来たよ!」


 ……ん、なんだって? としゃがれた声がしたと思うと、あちこち赤銅色化し元は厨房で使われていたステンレス製の作業台の向こう側からのそりと上半身を現したのは、肥え太った身体に大判のヒョウ柄ローブを纏い、先程まで寝ていたのか不機嫌そうな表情の中年を過ぎた女性だった。ほんの一瞬オジサンを舐めるような視線で値踏みすると、フン、と鼻息一つだし、作業台の上へ向けて顎をしゃくる。

ピックしたものを乗せろということだろう。

 営業スマイルなんてはなから期待なんぞしていないオジサンはドサリと縛り上げた基板を三つ四つと作業台に乗せ、アクタも自分のズタ袋を背伸びしてヨイショと持ち上げる。面倒臭そうに無言でそれらを仕分け始める店主。隣でアクタはキラキラした目でその光景を見守る。

 ガシャガシャと仕分けする音だけが響くと十数分。ハイヨ、と自動球遊器玉(パチンコ)サイズの数色数十の金属粒がザラザラと置かれたブリキの勘定皿が一枚と数粒だけの皿が二人の前に差し出される。


「わっオジサンのこんなに、凄い」


 声を上げたアクタをよそにオジサンは表情一つ変えず呟く。


「他をあたるわ」


「え?」


 手入れもされていないボサボサの白髪交じりの片眉を上げ、女はオジサンを睨む。


「アクタ、お前がパンパンにしたズタ袋、いつもこんな価格なのか?」


「ボ、ボクのはいいんだ、だって……」


「そのガキはね───野垂れ死にしそうなところをアタシが拾ってやって部屋を与え目利きも教えてやったんだよ。なんか文句あるかい───」


 余所者が───しゃがれ、低く、威圧的な感情が籠もった台詞が吐き出される。


「文句があるから他をあたるって言ってるんだ。額を上げろと駄々を捏ねたつもりはねぇぜ」


「そのガキの居場所がなくなってもかい? それともアンタが引き取るのかい?」


 ケッケッケと唾を飛ばし嫌らしい声でオジサンを挑発気味に煽る。


「こんな一日食えるかどうかもわからない額で奴隷のように使って自分は安全な所で濡れ手で粟か。良いご身分だなババア」


「答えになってないよ。アンタがそのガキ引き取るのかい? それならそのガキの引き取り賃を頂こうかねぇ。100,000チェップ耳を揃えて払いな」


「はっ笑わせやがる。どうせ証文も契約書も何もねぇんだろうが」


「何もないババアがこんな戯言を言えるとお思いかい? ケツ持ち組織の一つや二ついると頭を巡らしたらどうだい、正義感たっぷりの偽善者さ、ま」


「俺が偽善者かどうかわからせてやろうか」


 以前神速の抜き打ちが得意だった仕事仲間の女の技を少しばかり継承していたオジサンの意識は、左脇のホルスターに収まる小型の自動拳銃に向く。オジサンの右手首を繋ぐ腱と筋に流れる血が脈動する───


“この、お馬鹿!”


「オジサンやめて!」


 ナビが脳内へ一喝したのと、アクタの叫びはほぼ同時だった。


「ズバールさんはボクの命の恩人なんだ! お金が他より全然少ないことだって知ってる! このピッキングは恩返しなんだ! だからそれでもいいの!」


 アクタの叫びは張り詰めた世界を、そしてオジサンの曇った目と脳内を強烈に揺さぶり、一瞬にして一触即発の空気を雲散霧消させる。

 その展開を予想していたのか、わずかな動揺を見せない買取屋の女はニタニタ笑いかける。


「本人の意志じゃあしょうがないねぇ───」


  “オジサン” の一言を最後に店主は勝ち誇った表情で口を噤む。


 敗北と悟った男はブリキの釣り銭皿を突っ返し、廃品物もそのままに店を出て行くのだった。


 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


“なに熱くなってるんですか。らしくないですよ”


(いや、確かに、すまねぇ)


“貴方がいた時代だって子供が労働力だった歴史があるくらいご存知でしょ。こんなことはいつの世界いつの時代も日常茶飯事当たり前。そんなことがわからないほどお馬鹿だったんですか? まぁ、元々頭の出来はよろしくない方ですが。いや、かなり出来が悪い方ですが”


(……)


“少し触れ合っただけで情が湧くその体質、良くも悪くもですが今回の暴走は見逃せませんよ”


(すまん)


“純粋無垢な子供が騙されて健気に働かされてる様にも見えますがね”


(そうだな)


“あの子は全て理解した上であのズバールの元にいるってことくらい察せられたでしょう?”


(まあな)


“でもズバールの態度とそれでも慕うアクタ様の純粋さにイラッときた”


(はいはい、その通りです)


“まるでホストの彼氏のDVで酷い目にあってるって愚痴を聞かせれたキャバ嬢を助けてやろうといらんお節介をして、それでもあの人が好きなの! とか言われて、ただ客の同情引くだけの営業トークって知ってしっぺ返しをくらうモテないうだつの上がらない低収入の窓際おっさんそのままじゃないですか”


「そこまで言うことないだろぉぉぉぉ!!! やめろよぉぉぉぉそーいうリアルなのぉぉぉ!!! 思い出しちゃうでしょぉぉぉぉぉ!!!! だいたいおまえ水商売の世界いつからそんなに詳しくなったのおぉぉぉぉぉ!!!」


“以前馬鹿にされてからその手の書籍や作品で山程研究しました”


「オジサン!」


 金属質の甲高い音ががなり立てる道を慟哭しながら髪を振り乱して挙動不審に歩く男を、息せき切って走る子供が騒音に負けじと大きな声で呼びかける。


「はいコレ!」


 手にしているのはブリキの勘定皿。小さな手で金属粒がこぼれないように蓋をしてここまで走ってきたのだ。


「忘れ物だよって。それをオジサンに渡すまで帰って来るなって言われちゃった」


 アクタのその姿と言葉に震えながら差し出した手にザラザラと金属粒が流される。


「総額1,345チェップ。お疲れ様ですオジサン! それから、ありがとう。僕今日は凄い大冒険したみたいで本当に楽しかったよ!」


 立ち竦むオジサンは───言葉がでなかった。


「それじゃあオジサン僕帰るね。また、会えたら嬉しいな……」


 ザックリと切っただけの焦げた飴色のオカッパ頭から覗くヘーゼルカラーの瞳がオジサンを見つめる。


「アクタ……」


「オジサン!」


「ん?」


「頭、まだナデナデしてもらってないよ」


「忘れてた。ホラ」


 優しくフワリとオカッパ頭に乗せられ髪をくしゃくしゃした手のタクティカルグローブは外されていた。


「ありがとう! またね!」


 踵を返して手を振りまたあの店に駆け出す。


 スッと我に返ったオジサンはその背中に向かって先程自分を呼び止めた声に負けぬボリュームで名を叫ぶ。立ち止まり振り返った子の目はキョトンとしている。


「アクタ!」


「なーに?」


 甲高い子供特有の返答に被せるようオジサンは声を張る。


「飯食い行くぞ!」


 アクタのヘーゼルカラーの瞳がまたキラキラと輝き始めた。

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