安宿の青瓢箪


 ユニオンにジャノピーを預け、夕陽に焼けてより一層ノスタルジックが増したシャオプーの街を受付に言われた通り進むと、『烟(やん)』と書かれた暖簾がかかった建物があった。潜って入ると番台には、小汚い麻の着物を着て長い白髪混じりの髪を一つに結わえた、目付きも態度も悪い大柄な婆さんが長パイプをプカプカふかして座っているが、こちらをチラリと見るだけで特に反応はしない。通路は真っ直ぐに店の中心を突っ切り、奥に出口があるようだ。


 

 案内するにしたってもう少しマシな道を教えろよな……


 「サーセン、通りまーす」


 婆さんに向けて一言告げると、こちらに一瞥すら送らず、長パイプで奥を指す。さっさと行けということか。


 

 コツコツと進む薄暗い店内には、赤い横長に楕円の中国提灯がぶら下がり怪しく赤い光を放ち、嗅いだことのないお香が焚かれ、煌びやかな嗅ぎタバコの入れ物や、重厚なアンティークな香炉が飾られている。

 棚には葉巻やパイプ、キセルが置かれ、土間状の床にある小壺には数多くの乾燥した刻みタバコや粉状の物が売られている。ナビ曰く大麻や阿片まであるそうだ。



 なーんか映画にでてきそっ。あのババアは情報屋とかで案外重要キャラだったりしてな。


 “ありそうですね〜、でも実際ただのタバコ屋の婆さんなんじゃ無いですかね。この建物自体はアヘン窟だったみたいですけど。あのベッドサイズの棚なんか間違いなくその名残ですよ”


 取り締まりもないだろうに、この時代じゃ流行んないのかな?

 

 “今は電脳にそれ用のアプリ入れちゃえば、そこからは費用かからず、いつでもどこでも直に快楽得られますからね〜、廃人になるのも早いですけど”


 おっかねぇな。

 

 “そんな人は真っ先に死んでいくんで、倫理的に自意識が高い、ある意味淘汰された人類が生き残ってるわけなんですが”


 良くも悪くもか。

 さ、ここか。



 何事もなくタバコ屋を抜けた錫乃介の前に、件の木賃宿がある。風前の灯火と言われていたが、なるほど見るからに崩れかけている。壁の漆喰は崩れ、屋根の瓦は苔むしており、所々剥がれ落ちて青草がボウボウと生えている。


 

 お、良いじゃん良いじゃん! 歴史あって風情感じるよ。


 “どういう神経してるんですか……”


 別に廃車に泊まっていたことに比べたら、こんなの王宮だろ。


 “その廃車も自分から……いや、まぁ、はい……”


 

 不思議な字体で『客桟 旅伴』と書かれた木製の看板は、元々は軒にかかっていたのだろうが今は地面に置かれている。

 

 “【客桟】は安宿という意味で、【旅伴】は旅の友と言えば聞こえはいいですが、道連れという意味もあります”


 良いねぇ、そういうの好きなんだよ。ゲストハウスとかユースとかさ、旅はやっぱ安宿に限るよ。

 安宿といえばさ、昔とある国で泊まった安宿で夜中突然警察が押し寄せてきていきなりホールドアップよ。何事かと思ったら、同室のアジア人がテロリストだってんだよ! あんときゃビビったぜぇ。


 “なんでそんな経験してるのに、また安宿で喜んでるんですか。今はお金無いからしょうがないですけど”


 ナビとグダグダ喋りながら中華模様の鉄製の格子状のドアに手をかけるが開かない。押しても引いても横にスライドさせても開かない。これでもかと力をいれてもビクともしない。

 アスファルトに着いたばかりの頃を思い出しつつ扉の前で右往左往していると、中から若い男性の声が掛かる。



 「あぁ、そのドアね立て付け悪くて、上に一回持ち上げてから外して」


 言われた通りにガラス戸を外す要領でドアを持ち上げると、下部が離れドアを外すことが出来た。

 

 

 なんでこの世界の住人は開かないドアが好きなんだよ。


 “そんなのに二度も遭遇する錫乃介様も大したものです”


 

 中に入るとガラス絵の八角型の灯籠が照明になっているだけの薄暗い店内に、番台に寄りかかって座るのはまだ20代も前半くらいだろうか、こざっぱりした風貌で、長袍(チャンパオ)という紺の中華風着物を着たキツネ目の男性がやはりタバコをプカプカ吸っている。こちらは赤い長キセルだ。

 

 余談だがパイプとキセルの構造はほぼ同じ。パイプはボウル、キセルは火皿と呼ばれるタバコを詰める場所の大きさが違うくらいか。パイプの方が沢山詰められるので、長く喫煙を楽しむことができ、キセルは一服二服くらいが限界だが、時間がない時にちょっと吸うのに便利だ。逆に言うとパイプは時間があまり無い時は向かない。

 パイプ用の刻みタバコは種類が多く、バニラやブランデーやオークなど様々なフレーバーを楽しめるのが特徴である。キセルでも同じ刻みタバコを使えるが、一服二服では香りを楽しむには少々物足りないのが作者の感想だ。

 タバコそのものは現在では嫌煙される傾向にあるが、そもそもタバコは然るべき時と場所のTPOを守って楽しむ大人の嗜好品である。守って無い奴は躾けが出来てないガキ、いや野良犬以下の存在と見做して良い。

 

 閑話休題

 


 「サーセン。ここユニオンで紹介されまして、今日一泊お願いできますか? その前にいくらですか? 30cくらい?」


 

 強気でかなり安めの値段を提示してみるが、店主らしき男は番台に肘をつきながらキセルを町人持ちで口から放し、やる気なさそうな表情でこちらを一瞥して口を開く。


 「やぁ、こんなボロ宿に入るくらいだから貴方も貧乏人なんでしょうけど、せめて50cは下さいよ。お茶とタバコくらいはお付けしますから」



 なんとも間延びした口調で語り、キセルをタバコ盆の灰落としに打ち付けると、カーンという間延びした音が店内に響く。



 「ん〜、まいっか。じゃ50cで良いんで一泊お願いします」


 「じゃあ、これで先払いで。はい、ありがとうございます。いや〜言ってみるもんですねぇ」


 番台から伸ばす手にあるデバイスに50cが受信したのを見届けてから呟く店主。



 「おい、今気になる事言ったな?」


 「うち本当は40cなんですよ」


 「ふっざけんなよ! 久々にまたやられた!」


 「まぁまぁ、ホラ、タバコサービスしますから」


 「サービスじゃなくて、タバコ代払わされてるだろが。寄越せ!」


 タバコ盆をひったくって吸おうとするも、キセルもパイプも持ってない事に気付く錫乃介。


 「紙巻用の紙ならここに」


 後ろの木箱から小さな薄紙を取り出して、錫乃介の目の前にチラつかせる店主。

 手を伸ばして取ろうとすると、スッと上に持ち上げ躱してくる。


 「おい」


 「10枚3cです」


 ニヤリと笑いキツネ目が僅かに開く。


 「払うよ畜生め!」


 「まいどあり」


 クッソ! と吐き捨て再びデバイスで3cを払うと10枚の薄紙を渡される。

 薄紙の一辺を舐め刻みタバコをのせて細い長い棒を作りタバコ盆に付いてる炉で火を着けると、フゥと紫煙を吐き出す。香ばしい燻された葉の薫りが鼻腔に回る。



 「げっすい商売しやがってこの野郎。悪評広まったらどうすんだ」


 「広まってるからこんなボロいんじゃないですか」


 悪態を意にも介さず、キセルに刻みタバコを片手で詰める店主。



 「まぁそれもそうか。そんな宿紹介しやがってあのユニオンのジジイめ」


 「それ、多分僕の祖父です」


 二人の間にタバコ盆を移動させ、炉で火をつける。錫乃介もいつの間にか靴を脱いで番台のある上り框(あがりかまち)に腰をかけている。



 「グルかよ」


 「そんな大きい街じゃないですからね、みんな親族みたいなもんですよ。そこのタバコ屋通って来たんでしょう?」


  

 スゥと吸い込むとキセルの火皿が赤くほのかに光る。



 「ああ、目付きの悪い婆さんいたな。なんだ、あれは祖母だってか?」


 「母です」


 紙巻を吸い込み灰をタバコ盆に捨てると同時に煙をため息と共に吐き出す。



 「なんだよこの街はお前んとこの一族が支配してんのか?」


 「面白い事を仰るお客さんですね。そんなわけないじゃないですか」


 「冗談に決まってるだろうが」


 「半分くらいですかね」


 「ほぼ支配してんじゃん!」


 「冗談です」


 「んにゃろ」



 紙巻をほぼ根元まで吸うと、灰入れに落とす。店主もまたカーンとキセルの灰を落とした音を合図に二人は立ち上がる。



 「部屋ご案内しますよ」


 「おう」


 

 入り口のボロさの割に奥は広く部屋は4〜5部屋はありそうだ。渋い艶が照る廊下を歩き通された部屋は、狭いとはいえ安宿の割には小綺麗で、蚊帳の着いたベッドにアンティークな黒檀の引き棚、中華模様の格子が嵌められた窓に天井からは赤い灯籠が下がっていた。この灯籠と丸い梵天が先端についたポールライトが部屋の灯りであった。



 「意外に良い部屋じゃねぇか」


 「客室の掃除だけはちゃんとやってますよ。それ以外することありませんし。それでは何かありましたらお呼び下さい」


 スッとドアから出ようとする店主を、オイ、と呼び止める。



 「なんでございましょう?」


 「茶がまだだ」


 「気付かれましたか。お待ちします」


 「……」



 お茶はすぐに出て来た。茶盆に乗った白い磁器の中国茶器は、派手さは無いが美しい曲線美を描き、品の良さを醸し出す。



 工夫茶器(くーふーちゃき)か……


 などと見ていると、店主は手慣れた手付きで茶を淹れてくれる。淹れるといってもただ急須に注いでいれるのではなく、茶壷(ちゃふう)という小さい急須にお湯を注ぎ(お湯は電気ポットだった)、茶杯や茶海という茶器にその湯をかけて温めてから淹れるという、茶芸と呼ばれる中国茶独自の淹れ方だ。


 

 ここまでしてくれるならプラス10cも悪くないな……

 


 「どうぞ、ごゆっくり」


 「お、おう」



 店主はキツネ目のスマイルを残すと音も無く扉を閉め部屋を去った。出てきたお茶は白茶(パイチャ)であった。上品な香りが立ち、少しぬるめに入れられたお茶は、口に入れれば僅かな酸味と爽やか後味が残り暑気を拭い去ってくれる。この暑苦しい熱帯雨林を抜けて来た錫乃介にはピッタリなお茶であった。


 美味い

 ただの性悪キツネ目極楽トンボの青瓢箪かと思いきや、


 「なかなかやるじゃねえか……」


 

 店主が閉めた扉を見つめ、一人ごちるのであった。

 


 残金297c

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