低俗なミルフィーユ
クーニャンは、蟹だった。
食べる蟹だけではない。
建物もオブジェも、やたらと蟹が揃っていた。
京都府丹後王国にある蟹のオブジェ
道頓堀かに道楽の動く蟹
沖縄県那覇市にある蟹の石像
福井県三国港駅付近の店舗にある蟹
タイ、グラビタウンにある蟹のオブジェ
サンフランシスコ、フィッシャーマンズワーフの蟹看板
オーストラリア、クィーンズランド、レッドマッドクラブの蟹
そして中国江蘇省蘇州市、その建物も蟹だった。いったい何の因果かわからないが、これもグラウンドスクラッチの悪戯なのだろう。
高さ16メートル幅75メートル。中心の胴体部が建物であり、三階建ての鉄筋コンクリート製、完成は2017年。2018年よりレジャー施設としてオープンし、その後地元住民にシンボルとして長く親しまれていた蟹だった。
スクラッチ後誰が改造したのかわからないが、脚がワサワサと動くモーションが取り付けられたが、移動できるわけではない。ワサワサ動くだけだ。
この蟹こそがクーニャンのマフィア、ブラッドクラブのアジトになっていた。
人一人入って重い頭陀袋を引き摺りながら、両開きのガラスドアを蹴り開ける女ハンターは首にコルセットをつけている。
広いホールは如何にもといった柄の悪い顔触れが、そこかしこのテーブルでギャンブルに興じ、蟹を剥いて食べている。マフィアというより無駄に派手な格好をした暴走族だ。赤や白の特効服、派手なメイク、無駄にトゲの着いた肩パッド、何故か半裸でサラシを腹に巻き、鋲が付いた黒革ベストを素肌に着て頭を紫色の辮髪にしている者もいる。
一目見ただけで、あまりの頭の悪さの空気に帰りたくなってきたアッシュだが、ここで怖気付いたら舐められるのて、堂々とした佇まいで歩みを進める。
「なんだねぇちゃん、身体売るなら隣のブロックだぜ」
「ここで、俺たちにマワされてぇってなら話は別だがな」
ギャハハハハハ!
下卑た笑いがあちこちで起きるが、動じる事なくアッシュは言葉を返す。
「あら、ここマフィアのアジトよね。腐ったゴボウしか生えてないの? それとも黴の生えたベビーキャロットかしら?」
アッシュの煽りに、一番近くの丸テーブルで蟹を食べていた黒革のベストが片眉をピクリとあげる。
「おーおーおー、言うじゃねえかねえちゃん。病院送りにされてぇのか?」
「病院言うてもな、産婦人科やないぜ!」
ギャハハハハハ!
再び下卑た笑いが巻き起こり、黒革ベストの脅しにすかさず合いの手を入れるもう一人の蟹食い男は甲羅をしゃぶっている。
「下品に低俗を重ねて醜悪でデコレーションしたミルフィーユみたいね貴方がた」
「あん? ミルフィーユってなんだ? 褒められたのか俺達?」
さしものアッシュの煽りもIQが低過ぎる甲羅をしゃぶる男には通用しない。
「ミルフィーユって確かケーキだぞ。たぶん甘っちょろい奴らって意味で言ったから……馬鹿にされてんだ!」
アッシュの煽りを理解した黒革ベストは多少IQが高いようだ。
「馬鹿にしたけど、ちょっと意味合いが違うのよね……。貴方達の頭がそこまで悪いと思わなかったわ、ごめんなさい」
「おいねえちゃん。ここがどこだかわかってんだろうな。泣く子も黙るブラッドクラブの「わかってるわ。でも、少なくともアンタ達とお馬鹿な会話をしに来たわけではないの。こっちは賞金首の赤銅錫乃介を捕らえたのよ。さっさと賞金頂ける?」
黒革ベストに被せるように威圧的に用件を伝える。そうでもしないといつ迄も頭の悪い不毛な会話が続きそうだからだ。
「んだと、昨日賞金かけたばかりの錫乃介をだと?」
「そうよ。そちらの情報屋がユニオンでめぼしいハンターに声をかけて回ってたからね」
「何処にいる? その頭陀袋か見せろ」
「ええ、そうよ。ホラ、ご尊顔。ここ置いてくから賞金頂戴」
袋から錫乃介の顔だけ出して黒革ベストに見せる
「間違い無さそうだな。よし、ボスのところに案内してやる」
電脳のデータと称号し錫乃介であると確認している。どうやらこの男、ブラッドクラブの幹部のようだ。
先程まで下卑た笑いをしていた観客は、その視線を舐めるようにアッシュへ向ける。欲望が剥き出しになっているのが、誰の目にもわかる。
階段を登り三階のにあるホールが改築されて海が一望できる部屋がボスの居場所であった。この部屋まで引き摺ることができなかったので頭陀袋は仕方なくアッシュが担いでいた。黒革ベストは手伝ってくれなかった。
元々白い内装だったのかもしれないが、ひどく汚れ、黄土色に染まっている。中心に座る巨大な影がボスなのだろう。歩みを止め頭陀袋をドサリと落とす。
アッシュの目に入ったのはブラッドクラブのボス、3メートル近い巨漢に、頭に杭が刺さったフランケンシュタインの人造人間のような相貌。飛び出るようなでかい目は左上と右下に向いておりガチャガチャ。どこで手に入れたのか身体を覆うのは蟹の甲羅だ。しかし何といっても目立つのは、右腕のシオマネキのような身の丈ほどもある巨大なハサミだ。
「フンガーフンガー」
なんなのコイツ……なに喋ってるの?
「ブラッドクラブのボス、フィドラー様が、よく来た女と言っておられる」
「バイオリン奏者? やたらと名前だけはオシャレね。名前だけは」
なんでわかるのよ……
黒革ベストはなぜかボスの言葉の意味がわかるらしい。
「フフンガーフフンガー」
「良い女だな、俺の女になれ。光栄な事だぞ女! フィドラー様からのご指名だぞ!」
「それはまたの機会考えるわ。今日は賞金もらいに来ただけだし」
「フンガーフンガーフンガガガー」
「そう言うな女。何でも好きな物が思いのままだぞ」
「そ、それは、ちょ、ちょっと魅力的ね。でも今日届け物があるから、お家にいなきゃいけないの」
「フフフンガー」
「アフター断るキャバ嬢か」
「ホントにそんな事言ってるの? 実はアンタがボスなんじゃないの?」
「そんなわけあるか」
「一つ聞いていい? こんなチンカスに賞金かけて、どうするの?」
「フンガー」
「説明してやれと、わかりやした。こいつはな、ポルトランドのアパッシュを半壊。
タルマックではマフィアにスタングレネードを投げつけやらかした女の逃亡を補助。
その女は元々マカゼンの高級娼婦で幹部だかボスだかの色だったらしい。今はコイツの愛人だ。つまり寝取ったことになっている。
ショウロンポンでも二大マフィアの壊滅に暗躍。
そんなわけでな、各街でコイツはマフィアで喧嘩売ってるから高く売れるってわけよ」
ボスの前ではIQが高くなるのか、スラスラと手短かに説明を終える黒革ベスト。
「成る程、そう言う事。ま、私には関係ないわねそれより早く賞金頂戴」
「フーンガー、フンーガー、フフフンガー」
「賞金よりも良いものをくれてやるそうだ。俺はそこのミノムシ連れて出てくので、あとはボスご自由に」
「ちょ、ちょっと賞金……」
手を振り頭陀袋に入った錫乃介を担いでドアを閉める黒革ベスト。
ガチャリと閉められ、ドアに駆け寄るが、中から開けられない。侵入者を出さない構造にでもなってるのか。
「フンフンフンフンフンフンガー、フンフンフンガーフンガッガー」
(三千世界の畜生に命を宿して幾星霜。うつし世に忍ぶもこの巨体、マフィアの首座に据えられて、女犯の味を占めたが最後、お主も我の餌となれ」
「何言ってるのかわからないのよ!」
鼻息荒く近づいてくる巨大なシオマネキ。ドアを背にどうやって切り抜けるか、頭を高速回転させる。
大股で仁王立ちにアッシュを捉えようと、ハサミを繰り出した瞬間、フィドラーの股ぐらをスライディングで抜ける。
体制を立て直しつつ膝をついてベレッタナノを引き抜き、躊躇無く至近距離から脚へ向けて2発の弾丸を飛ばす。背中は蟹の甲羅で覆われているため、効果が無いと判断した為だ。
弾は間違いなくフィドラーのウチモモへと命中するが効いた様子はない。
ならばと、振り向いたばかりの顔面に付けた狙いで、3発立て続けに発砲するも、分厚い強靭なゴムを撃ってる感じで、食い込みはするが傷すらつかない。
「全身換装済みか!」
「フンフンガフンガーフンガガガガー」
(一万九千由旬の中で八大地獄を潜り抜け、我のボディは強化され、一切合切受け付けぬ)
怯む事無く、背後の海を一望出来る窓ガラスへ向かって弾丸を放つも防弾ガラスでかすり傷ほど。しかし背後を見せたのがいけなかった。そのまま万力のようなハサミで捕らえられ、床に押しつけられる形で拘束される。
フィドラーは体を倒し、左腕伸ばしてアッシュのダボダボコートを剥ぎ取り、黒のチューブトップも引きちぎる。
「フガフガフガフガフガフッフー!」
(これよこれよ、腹の中から湧き踊る熱きリビドーの快楽よ。我は色情地獄の悪鬼なり)
背中が露わになったところで、なんとか声が出せたアッシュの発した言葉は助けを求める叫びだった。
“助け、求めてますよ”
助ける義理もうなくね?
“まぁ確かに”
今まさに襲われているアッシュの脳裏にチラつく男は、ドアの前で腕組みしながら悩んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます