ブラックベルベットは大人の味

 美人を形容する言葉は沢山ある。だがこの貴婦人を言い表すにはどの言葉も陳腐でありチープに聞こえる。


 闇に溶け込む漆黒のイブニングドレスに、肘まで隠すイブニンググローブ。肩や胸は露出せずスリットから覗く細い脚。腰よりも長いビロードの艶がある髪はベルベットの様に柔らかさもある。

 ダークグレーの肌に切長の瞳と星の無い夜空の如く深い紺の唇は、エキゾチックで神秘かつ危険な魅力を出している。


 「隣座っちゃったけど、良かったかい?」

 「あら、私の連れなのだから当たり前じゃない。おかしなこと聞くのね」


 こちらを見つめくすりと笑う。



 ナビ、これなんか罠っぽくない?


 “はあ、まだなんとも言えませんが、怪しいですね”


 ま、詐欺にボッタに美人局、大概は経験してきた俺ならばそうは引っかからないと思うが。


 “引っかかりまくりですね”


 「何を飲まれるの?」

 「おっと、そうそう酒を飲みに来たんだった。つい目的を見失うところだった」

 「私と、でしょ」

 「そう、君と、だ」


 ナビ、多分この人良い人だよ。


 “はぁ〜、警戒してくださいね”


 店主はジョドーと呼ばれていたか、いかがなさいますか?と俺の前に立つ。


 隣の貴婦人はフルートグラスに黒く泡立つ酒が入ってる。



 ブラックベルベットか……洒落乙な


 「俺は黒ビールがあれば」

 「ギネスで良いですか?」

 「大好物です。1パイントで」

 「かしこまりました」


 ジョドーは1パイント用の大きなグラスを取り出して注ぎ始める。


 「私には何を飲ませてくれるの?」


 と、見ればグラスがもう空になっている。


 何、俺奢るの?


 「さっき飲んでいたのはブラックベルベットかな。君によく似合っていた」


 「当たり。お酒詳しいのね」


 「まぁ、俺も好きなカクテルだから。そうだな、じゃあ、ジョドーさん、で良いかな?」


 「はい、申し遅れました。ジョドーで御座います」


 黒ビールを注ぎながら、軽く会釈する


 「俺は錫乃介ってんだ、宜しく。カルヴァドスはある?」


 「ございますよ。なにが宜しいですか?」


 「スタンダードでいいよポムプリゾニエールを、シャンパンに3滴ほど垂らして、彼女に」


 「かしこまりました」


 「錫乃介さんていうのね。私は……クラリスっていうの」


 なんの間だよ……


 「それは今夜だけの名前かな?お姫様」


 「どうかしら、女王様かもしれないわ」


 まぁ、鞭持ってても似合いそうだな。


 お待たせしました。


 ジョドーが2人同時にグラスを出す。


 彼女は背の高い美しく輝くフルートグラスだ。


 俺のは大ジョッキ並みに大きいタンブラーグラスだ。

 


 「良い香り、お洒落ね。なんてカクテルなの?」


 「さぁ?」


 「さぁ?」


 微笑みながら首を傾げ鸚鵡返しをする彼女。その仕草は男心をくすぐる。


 「前に行ったBARで隣にいた美女が飲んでた」


 「まぁ、それを私に?酷いのね」


 とクスクス笑って乾杯のグラスを向ける。


 笑顔が可愛い。少女のようだ。


 どうやら冗談と察してくれた。ギリギリのラインを狙ったこのジョークは、相手を選ぶので真似しない方が良い。


 俺もグラスを持ち上げるだけの乾杯をする。薄いグラスがある場での乾杯はグラス同士をぶつけるのはご法度だ。割れちゃうからね。


 「クラリス」


 「なにかしら?」

 

 「俺この街来たばかりで腹減っててな。何か食べていいかな?」


 「あら、どうぞ私にはお気になさらず」


 「わりぃ、ジョドーさん、って事で何か食べられますか?」


 「本日はバッファローのヴァッチナーラ、マッシュしたブレンド芋がございます」


 「最高ですね、それお願いします」




 作注)ヴァッチナーラとは、牛のテールをトマトとワインで作った煮込みのことである!




 「この街に来たばかりの錫乃介はハンターさん?トレーダーさん?」

 


 こちらに少し身体を向けて、話し始める。非常に均整のとれたスタイルが、ドレスの上からよくわかる。

 非常に……いい……。



 「ハンターだよ。まだなって半年ほどのね。オッサンなのに転職したばかりさ」


 「その割には、逞しいのね。元々かしら?」



 黒いイブニンググローブをした手で、俺の胸をツンと指す。



 ナビーーーー!この子俺に惚れてる!心揺さぶっちゃってるかも!

 

 “揺らぎまくってるの錫乃介様の方ですね”


 

 「必要に迫られてね、鍛えざるを得なかった」



 何とか自制心を持ちつつ言葉を返す。



 ナビ、これってもしかして色恋営業?


 “まぁ、その可能性もなくはないですが、寄りによって錫乃介様を狙いますか?まるで旨味が無いですが”


 じゃあ、やっぱこの子俺に惚れてんじゃん!


 “ちょっと返答間違えましたね”



 「新米ハンターさんは、この街に何しに来たのかしら?」



 カウンターに肘をつき、手を頬に当て問う姿は、余りにも妖しい色気を出していた。



 こいつサキュバスかなんか?動作の一つ一つが、男心をくすぐってくるな。


 

 「君に会う為はキザすぎるか。そうだな……、借金と失恋から逃れる為かな」


 「まぁ、貴方って可笑しな人ね」



 とケラケラ笑っている。



 「当てもない旅ってのが本当だよ。ま、その旅もまだ始めたばかりで、10日くらいしか経ってないんだ。ハンターだけじゃなく、旅人としても新米だね」


 「不思議な人ね…」


 いや、君の方が謎過ぎだろ。


 「クラリスはこの街に住んでいるのかい?」


 「ええ、今はこの近くに。それまでずっと旅をして来た。色々各地を…」



 クラリスは少しだけ、遠くを見るような眼差しを向ける。



 「旅人の先輩だったか。此処が1番住み心地が良かったのかな?」


 「そうね、良い場所を見つけてね」


 「それは、羨ましい。今度お邪魔するよ」


 「ええ、招待するわ」



 ナビーーーー!どうしよ!もうこの子堕ちてるよ!


 “堕ちてるの錫乃介様の方ですね”



 「お待たせしました」



 と、ヴァッチナーラが錫乃介の前に出てきた事で少し冷静になる。

 このままだと錯乱して頭にチェイサーをぶっかけるところだった。


 

 「じょ、ジョドーさん。ヴァッチナーラに合うワインを、俺と彼女に。クラリスも食べなよ」


 「あら、いいのかしら。それじゃあ頂きますね」


 「かしこまりました。それではガヤのバローロでも開けましょうか」



 おっと、結構良いワイン来るねー、良い値段するんじゃ無いの〜。



 「ではそれで」


 

 ナビ、これやっぱ色恋だよ!絶対ぼったくられるやつじゃん!


 “もう、今更ですね。宿代だけでも靴の裏に入れておいてください”


 電子マネーなのにどうやって入れんだよ!


 “そんなの知りません。ケツの穴毛までむしられてください”


 ひ、ひどすぎる…ナビに見捨てられた…






 その後、表面上はあたかも楽しく、その場盛り上げ、小粋なトークを混ぜてクラリスを沸かせ、ジョドーにも気を使い話を振るなどしていたが、とうとう彼女が席を立つ時が来た。



 「楽しかったわ錫乃介。また、会えたら良いわね」


 「君には今度、お家に招待して貰わなければならないからね。会いたい時はこのBARに来れば良いのかな?」


 「ふふ、どうかしら、おやすみなさい」



 去り際に、そっと耳元で語りかけてくる。



 ナビーーーー!もう俺駄目かも!


 “いちいち五月蝿いですね。もう腹括ってください”


 あーーーん!



 

 「錫乃介様、本日のお会計です」


 と、示された価格は400cであった。


 あれ?別に安いわけじゃないけど、適正価格だよねこれ。


 「ジョドーさん、これって……」


 「申し訳ございません、クラリス様にお出しした最初のシャンパンは錫乃介様に付けさせて頂いてます」


 「いやいや、それは当たり前なんだけど、あれ?」


 「高かったでしょうか?」


 「なーーんでもございません!ものすごく安くてビックリしました!」


 「お金持ちでいらっしゃいますね」


 「そーーーんなことございません!」

 



 慌ててお金を支払い、外に出てからジョドーに挨拶をせねばと振り返る。



 「ヴァッチナーラ美味しかったです。また来て良いですか?」


 「もちろんで御座います。もう錫乃介様は当殿の信徒でいらっしゃいますから」



 ニコリと微笑むジョドー。




 当殿?当店じゃなく?濁点ついたよね今。それから信徒?



 ジョドーが指差す店の看板には




『パンデモニウム(万魔殿)』


と書かれていた。






 し、失楽園……


 

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