【2話】女の戦い。

老剣士は長い棒のようなものでいきなり私の頭を叩いた。

痛い。


「な……な……?」


私はワケが分からず、捕りたての魚のように口をパクパクさせていた。


「……剣を投げるな」


しわがれた声。その声が目深に被ったフードの闇の中から聞こえる。

それは怒りを帯びたような声だった。


「剣を投げるな。それはすべてを諦める、ということ。剣士が剣を手離す時は、死ぬ時だ」


老剣士は静かに言った。

私の頭を叩いたのは、たぶん夕方に見た剣の鞘。

私は頭をさすってみた。もう、こぶになろうとしている。

なんだこの人は。悪い人なのか?


「剣士様、これは剣なんかじゃありません。ただの木の枝です」


私はきっぱりと言った。

そうだ。私には無理だ。私は決別したのだ。

私は――。


ゴツンッ!


「いたいっ!」


また叩かれた。痛い。

やはり悪い人かもしれない。


老剣士は私の横を通り抜けると、大木の下に転がった木剣を拾い上げた。そしてフードを脱いでその木剣をしげしげと眺める。

遠い松明の明かりと、月の明かり。

ぼさぼさの白髪、長い白髭。見た目はただのお爺ちゃんなのに、やはりどこか危険な感じがする。


するとその老剣士は腰にもう一本帯びていた短剣を外し、柄の方を私に向けた。


「稽古をつけてやる。立て。それで、かかってこい」




私は本当に、ただ何となくその短剣を受け取った。


これが、本物の剣。木の枝でも、料理ナイフでもない、戦いの道具。

それはこれまでの空想より遥かに重く、金属や獣の革、鉱石、硬い木などの塊であるということを否応なく意識させてくる。

両手に力を込めて鞘から抜き放つと、真新しいような、冷酷なほどに光輝く刃が姿を現した。


老剣士はギラリとした瞳をこちらに向けていた。

私が作ったちっぽけな木剣。それを彼の両手が包み込み、まるで名工の作か伝説の武器のように思えた。


「こい」


老剣士はピクリとも動かずただ一言、そう言った。

その気迫はさっき私たちを救った時のように静かで激しく、なぜあの時、魔獣が飛び掛かってしまったのかが分かるような気さえした。


私は鼻をすすって立ち上がり、ズシリと重たい短剣を両手で構えた。本当にこんなものが私に振れるのだろうか。


視界に入る剣の刃が、月明りに照らされている。

私は今、命を奪うための道具を人間に向けている。

その実感がジーンと湧いてくる。


私は唾を飲み込み、この老剣士を信じることにした。



「やぁぁぁぁっ!」



私は短剣を上段に振りかぶりながら、飛び込むように大きく前に踏み込んだ。


老剣士はまだ動かない。


左足で掴んだ地面に引っ張られるように、頭上の短剣を振り下ろす。


老剣士は、まだ動かない――!?


「人を斬ってしまう」。そう思った時、私は反射的に目を閉じてしまった。が、すぐにその目は痛みによって開かせられた。


5カ所。

右手の甲、右太もも、左手の甲、左太もも、それからお尻。


どうやったのか皆目見当もつかないが、どうやら一度に5カ所を叩かれたようだった。


「ワキが開いとる。腰が引けとる。膝が伸びすぎとる。斬り込むのに、目を閉じるな。たわけ」


目の前から消えていた老剣士は私の背後に立っていた。

驚いて振り返ると、短剣を握る両手の甲の痛みが急に強くなった。

私がしばらくその痛みに耐えながら顔を歪ませていると、老剣士が張り詰めていた糸を緩めるように構えを解いた。


「……?」


不思議そうにする私に老剣士は木剣を手渡し、背を向ける。

老剣士は言った。


「それは良い剣だ。大事に使え。折れそうなら、鍛えれば良い」


老剣士はそう言い残して去ってしまった。







15歳になった。


お母さん譲りのブロンドの髪を三つ編みにして、私は今でも鍛錬を続けている。


あの日、あの旅の老剣士は、私に何か技術のようなものを教えてくれたわけではない。結局、私はただ木剣で叩かれただけのような気もしてならないが、彼の言葉はとても意味深だった。


「剣を投げないこと」


その言葉が妙に引っかかったが、考えても分からない。

だが、こうやって目上の相手の言葉を深読みして理解しようとするのは、いわゆる「師弟関係」と呼ぶのではないだろうか。



「先生」からもらった短剣で、私は毎日素振りをしている。

短剣とはいえ重量があるので、振るだけで身体を鍛えられる。それに、いざという時におっかなびっくり取り出していたんじゃ話にならない。


鍛錬の質は各段に向上した、と思う。それに反するように、鍛錬に割ける時間もだんだん少なくなってきている。

当然だ。15歳にもなる娘が、日がな一日剣ばかり振っているわけにもいかない。家も、村も、基本的には貧乏なのだ。周りに迷惑はかけられない。


だから私は鍛錬の場所を変えた。魚を捕まえに行くと言って家を出て、湖そばの森でちょっとの時間だけ剣を振るのだ。



ある日、私が森でいつものように素振りをしていると、木の陰からブライアンという人が出てきた。たしか私と同い年の、村の男の子だ。


「よう、アーニャ。また剣振ってんのか」

「なに、しに、きた、のっ!」


正直、剣の鍛錬の時に話しかけられると腹が立つ。なので、この男の子は腹が立つ。絶対に目だけは合わせないようにしよう。


「いや……その……」

「よう、がっ、ない、なら、かえっ、てっ!」


まさかこの男の子、用もないのに話しかけたのかしら。



「……アーニャ!」

「あぶっ……!」



良かった。止められた……。


腹の立つブライアンが、いきなり私の目の前に回り込んできたのだ。

すんでのところで剣を止められたが、本当に、危なかった……。


「あ、あ、危ないでしょっ!」

「剣なんて、やめちまえよ!……その……お、俺が、まま、守って、やるからよ……」


なんて間の悪い人。

ちなみにこのブライアンという人、エリスが思いを寄せるお相手の一人である。こんな人がお父さんの跡を継いで村長になるかもなんて、村もお先真っ暗だわ。

それにしても、突然意味不明な用事で鍛錬を邪魔されたことに腹が立つ。


「ブライアンが守る?私の方が強いのに?」


私はつい、挑発するようなことを言ってしまった。

腹が立つブライアンの腹が立つ行為に、とても腹が立ってしまったのだ。一度、思い知らせないといけない。


「そそ、そんなことないやいっ!」


腹が立つブライアンは私の剣を引っ手繰ると、「見てろ!」と言っていきなり目の前の木に斬り付けた。


短剣は手首ほどの太さの木を横一文字に両断。


「へえ、やるじゃない。でも――」


私は腹が立つブライアンから剣を奪い返すと、同じくらいの太さの木に斬りかかった。



「っ!!」


私は愕然とした。

短剣は木の幹の中ほどで止まってしまっていたのだ。


「ほ、ほら見ろ!俺の方が強いじゃないか!だだ、だから……」

「なぜ……?ちゃんと鍛錬している私の方が絶対強いはずなのに……」

「だって、アーニャは女だろ!男の方が力が強いに決まってるさ!だ、だから……」


男女の力の差。

それは技や経験のことではなく、体格や、単純な腕力のこと。


考えてもみなかった。


そうだ。男と女は身体の発達の仕方が違う。一般的に男性は筋肉質に、女性はふくよかな体つきに変化していく。だから、街のギルドに集まるハンターや冒険者たちも男性がほとんどを占めているらしい。


「おお、俺の、こ、ここ、婚約者に……」


男には絶対に勝てないの?私が女だから?絶対に強くなれないの?


その時、私の脳裏にあの夜の、私の師である老剣士の言葉が浮かんだ。


ひとりでに口が動く。


「剣を投げるな。……折れそうなら、鍛えれば良い」


折れそうなら、鍛える。

鍛える……。


考え込んでいた時だった。



「きゃぁぁぁっ!!」



なぜか内股になったブライアンの不気味な悲鳴に反応して彼の視線の先を見る。


「4つ目の……狼……」


13歳のお祭りの日に村を襲った1匹の狼。それと同じだった。

4つの目をグリグリ動かしながら、その1匹はほんの数歩くらいの距離でこちらに顔を向けていた。


ブライアンはすぐ逃げた。


「で、で、でたぁぁぁぁ!!!!」


ブライアンが襲われているところを後ろから斬り付ける。そんな作戦を考えようとしていたところだったが、選択肢が減ってしまった。


「……2年ぶりくらい、……ね」


不思議に思った。

あの時、立ち上がることも、身動きすらできなかったあの日に比べて、今はあまり恐怖を感じない。落ち着いているとさえ思える。

ヒザは……震えてない。深く息を吸って、吐いて。


私は短剣を中段に構える。



来る――!

そう思った。

その魔獣の表情、呼吸、筋肉の動きなどを読み取れたのかもしれない。


私は咄嗟に右足で地面を蹴り、左足を前に滑らせ、半身のまま体制を低くして狼の初撃をかわした。

重心移動の勢いを殺さないよう左足を踏ん張って立ち上がり、狼の背中に向けて剣を振り下ろす。


「やぁッ!」


勝負は一瞬、では決まらない。

私の振り下ろした剣は反転した狼の脇腹近くをかすめ、そのまま地面を抉る。


「外した!」と思った時には狼は横に飛び退き間髪入れずに体制を整えた。


今にも飛び掛かってきそうな気配。


重量のある短剣はまだ地面に着いたままだ。


狙いは私の首筋?脇腹?腕?

一瞬で考えた。


髪の毛の束で隠れているとは言え、首筋に嚙みつかれようものならひとたまりもない。あの大きな顎で、鋭い牙を食い込ませてくるのだろう。そうなったらもう、私の人生はここで終わってしまう。


私は狼と視線を合わせながら、目の前に転がる木剣に気が付いた。


狼が飛び掛かってきた。


私は短剣を握りしめていた左手を木剣に持ち替え、狼の喉元めがけて思い切り横に払った。


私が片手で扱う木剣は狼の飛び掛かりを止めることはできなかったが、軌道を大きく逸らすことには成功した。狼の方も甲高く小さな鳴き声を一瞬上げ、着地したその姿は確実にダメージを与えているように見えた。


「私……、この動き……」


驚いた。自分の動きに。

そう、人間には2本の腕があるのだ。1本の剣を振り下ろした後の隙は、もう1本の剣で補えば良い。


私は「ああっ!!」と言って立ち上がった。狼がビクッとした。


両手に2本の剣を持っての攻撃なら、単純に考えて斬撃を繰り出す頻度は2倍。扱う者が女だろうが男だろうが、刃物は刃物。触れれば切れる。


「もしも皮膚の硬い敵が相手だったら……?いえ、その時は斬撃のスピードを……回転が……でも……」


私は今、自分だけの戦いのスタイルを掴もうとしている。



――剣を投げるな。折れそうなら、鍛えろ――



「私の戦いは、どうでしたか?先生……」


一陣の風が森を吹き抜け、揺れる白髭を思い出した。

狼はいつの間にかどこかに行った。

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