『面白さ』に潜む罠
『二次選考以降では、売れるための加点要素がどれだけあるかが評価される』
この論考ではそのように仮定しました。その加点要素のひとつとして前項では出版社の戦略を考察しましたが、もちろんそれだけではありません。
小説が売れるかどうかを判断する上で最もシンプルかつ重要な基準は、面白いかどうかです。言うまでもないことですが、ベストセラーになった作品は、イコール多くの読者が面白いと認めた作品です。また、重版を繰り返して長く読み継がれるような作品にも、同じように時代をこえた面白さがあります。
ここで注意しなければならないのは、それが誰にとって面白いのかということです。公募に挑戦している人で、最初からつまらないと思って小説を書いている作者は稀でしょう。ほとんどの人は他人の作品よりも自分の作品の方が面白いと思っているはずです。
しかし結果は、数百から数千の作品の中で受賞するのはほんの数作です。1%未満しか受賞せず、それがただの運ではないとすれば、99%以上の応募者の認識は間違っていることになります。小説を書いている人間は当然、普通よりはその手の感覚に優れているはずです。どうして、そのようなことになるのでしょうか。
これには理由があります。
公募で判断される面白さとは、あくまで作品が売れるための面白さです。一部の人間にとってはどんなに面白くても、明らかに採算が取れないような作品が受賞することはありません。
自分で書いた作品は、自分にとっては特別です。何百時間もかけて書いた作品に愛着があるのは当然でしょう。一人ひとりのキャラクターについても、夢に出てくるくらいによく知っています。プロの作品よりも(自分にとっては)ずっと面白かったとしても不思議ではありません。
また、コアなマニアや同人サークルなどで評価される作品についても同じようなことが言えます。それらはある一定の人間にとっては、間違いなく面白いのです。しかし、それがすなわち採算が取れる作品ではありません。
つまり、想定している読者の対象範囲が違うのです。本を購入してくれる読者の数が商業的に成功する数まで達しないと、公募で受賞することは困難です。公募とは、『認められない自分を出版社の力で認めてもらう手段』ではない。それをしっかりと認識する必要があります。
ここでこの章のまとめです。
公募における面白さとは、少数の人間だけに刺さる面白さではなく、商業的に成功する数の読者に刺さる面白さである。自分にとってどんなに面白くても、また、仲間内でどんなに高い評価を得たとしても、受賞には直接の関係はない。
次回からは、公募における面白い作品について具体的に考えていきたいと思います。
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