第二話 運命の出会い

2ー1 婚約破棄は突然に

 朝の空気は清々しく、小鳥たちも一日の始まりを喜ぶように囀ずっている。

 そんな爽やかな景色の中――まったく爽やかでない様子で、あたしは家の敷地内を走っていた。


「ふぁい……おー……ふぁい……おー……」

 汗はだらだら目はうつろの身体ふらふら。掛け声どころか息も絶え絶えで、いつ倒れ込んでもおかしくないザマだ。

 驚くべきは、これ、走り始めてまだ五分程度だってことだ。


 なんとゆーかもう、想定以上に体力がない。無。ナッシングっ!

 どてどてと優雅さの欠片もない調子で走っていたものだから、気がついたメイドさんの一人が慌てて駆け寄ってきた。

「お嬢様、どうなさったのですかっ? そんな……は、はしたない格好で……!」

 あ、そっちなんだ。

 ジェンツィアナの持っている服は、どれも豪奢なドレスばかりで、運動に全く向かない。仕形がないので、あたしは太ももまで丈のあるズロースを、運動用のハーフパンツ代わりにしていた。


「ちょっとね、運動してたの」

「運動……」

 聞いたメイドさんは、はぁぁぁ、と盛大な溜め息を吐きながら、その場に崩れ落ちた。

「下着姿なうえ、外を奇妙な動きでふらついてらっしゃるので、てっきりなにか良からぬモノにとり憑かれてしまわれたのかと」

「そ、そんなに心配させちゃってたなら、次から気をつけるね」


 よほど、今までのジェンツィアナとかけ離れた姿だったんだろう。メイドさんは「本当に大丈夫でございますか? 本当に?」と何度も確認しながら、屋敷内に戻って行った。


 昨晩、セレ兄様とお父様の二人は、家に帰ってこなかった。おかげでお母様は悲しみにくれ、夕飯も喉が通らないと部屋に引きこもられてしまった。もったいないので残った夕飯はあたしが食べたのだけれど――。


「この世界の食事って……タンパク質が足りないんだよなぁ」

 食事の基本がパン、野菜、果物で、肉や魚は付け合わせ程度だ。それだけ、貴重品ってことなんだろうけれど、そんな食生活じゃ筋肉もなかなかつかない。

「運動と同じくらい、食事も身体を鍛えるための大切な手段、だもんね」

 そう、部活の先輩に言われてきた言葉を思い出す。確か先輩は、一食につき手のひら一枚分の肉か魚を食べろ、って言ってたっけ。


「プロテインがあれば便利なんだけどなー……ん?」

 ふと。視界に入ったのは、黒い毛皮の塊だった。

「ポチ! じゃなくて、8号さぁん!」

 ぶんぶんと手を振り、そちらへと駆け寄る。が、すでにへろへろなあたしの身体は、途中でうっかりコケかけた。

「ぅおっ」

「――大丈夫ですか」

 パッと支えてくれたのは、8号さんだ。

「ありがとう!」

「いえ……目の前でお嬢様にお怪我をされては、大変ですから」

 素っ気なく言われ、なるほどと思い当たる。どうして助けなかった! とか、責められるのかもしれない。


 それにしても、昨日からちょいちょい気づいてはいたのだけれど。8号さんのこちらに対する言葉には、なんだか刺がある。

「あの、8号さんってさぁ――」

 言いかけた、そのとき。


「ジェンツィアナぁぁッ!!!」

 馬に乗ったまま、綺麗に整えられた芝を蹴り散らかしながら、セレ兄様がすごい剣幕でこちらへやってきた。

「あれ、おはようございます。朝帰りだなんて、お母様がまたショックで倒れてしまいますよー」

 軽口を叩いても、セレ兄様の様子は変わらず、血走った目でこちらに寄ってきた。思わず、一歩後ずさる。


「ど、どうかしましたか……?」

「どうかしましたか、だと……?」

 フシュルルルと、口の端から煙でも吐き出しそうなおどろおどろしさで、セレ兄様はこちらを見ている。ジェンツィアナのときでさえ、見たことのない表情だ。

 馬から降りると、セレ兄様の両腕がこちらの肩をがっしりと――痛いくらいにつかんできた。


「こっちが訊きたい。どういうことだ?」

「どういうこと……って?」

「しらばっくれるな――殿下から、直々にお伺いしたのだ」

 ぎりっ、と奥歯を鳴らしたセレ兄様は、血でも吐きそうな声音で言った。


「オルテンシァ皇子殿下との婚約を破棄したとは、どういうことだっ!?」

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