1-2 悪の令嬢、柔よく剛を制す
ジェンツィアナ・プリマヴェニスは、端的に言ってお近づきになりたくないタイプのお嬢様だ。少なくとも、佐良ミナミとしての記憶がよみがえったあたしは、そう思う。
父親が国のトップスリーに入る権力者で、幼い頃から第一皇子であるオルテンシァとの婚約を約束されている。手に入らないものなんてなく、自然と他者を見下す目をしていた。
「黒薔薇の悪魔」とか一部では言われていたらしいけれど、それを言い出したのはたぶん、
ごくごく普通に生きてきた佐良ミナミの記憶が蘇った今。ジェンツィアナについてこれまでの記憶はあっても、その人格に対する感覚は、まるで映画の中の登場人物を観ているように遠い。
つまりこれって――あたしの人格が、ジェンツィアナの身体をのっとってしまったということなんだろうか?
なんだかそれって。これまでジェンツィアナとして十六年間生きてきた彼女の人格に対して、申し訳ない気がするのだけれど――。
「……まぁ良いか。あの性格のまま生きてても、将来良いことなかったろうし」
四方八方から恨みを買うような人格だったものなぁ。「悪魔」とか仇名つけられちゃう十六歳乙女って、正直どーよ。
――ガタン、と馬車が跳ねる。上級貴族の馬車が、いくらふかふかしたクッションを敷き詰めているとは言え、お尻がジンと痛い。尾てい骨打ったわ。
以前のジェンツィアナなら、きっとこれだけでこの馬車を運転している御者は解雇だ。虫の居所が悪ければ私刑だ。私的に死刑かもしれない。良かったね御者のおじさん、中身が小市民なあたしになって。
再び、ガタンと大きく馬車が弾む。
「いだだっ! ちょ、ちょっとおじさん……!」
小市民とは言え、お客様は神様ですなサービス精神の時代に生まれ育ったあたしだ。さすがに尾てい骨にヒビが入る前に、一言「もうちょっと穏やかに運転してください」と言ってやろうとした、そのとき。
走っている馬車の扉が、勝手に開いた。
「おっ! こいつは上玉じゃねぇか」
下品な顔をした男が、下品なことを言いながら、下品な笑みを浮かべてこちらに手を伸ばしてくる。
「ひ……っちょっと! なにすんのよッ」
反射的に、男の手をかいくぐり、懐に入り込みながらその腕をつかむ。男の勢いを利用して背負い込んだ。
「ぅりやっ!」
気合と共に、そのまま窓の外へと投げ捨てるっ。ガシャンという派手な音と悲鳴が、あっという間に遠ざかっていく。
「ざまぁないね! 一昨日来やがれっ」
中指をおっ立て、思わずはしゃいでしまう。柔よく剛を制すっ。こちとら、中高と柔道部だったんだからっ! ちにみに良い子は、試合で相手のポイ捨ては禁止だ!
「おいっ! ちんたらなにやってやがるッ」
馬車内で起きたことに気がついていないのか――さっきの男の仲間らしい声が、御者台の方から聞こえてきた。
「この馬車には、貴族の娘しか乗ってねぇんだろっ? 簡単な依頼じゃねぇかっ」
……この強盗たち、これが「娘だけが乗っている貴族の馬車」だということを知っていて、それを襲うよう依頼を受けたって?
「めちゃんこきな臭い話じゃない、それって……」
ここは、第一皇子の別荘から、そう遠くない都へと戻る道。行き来する人間は決まっていて、娘だけで乗っている馬車となると、更に絞られてくる。
つまり――。
「考えてもよく分からんっ! 行動あるのみっ」
賢いジェンツィアナならなにか分かるのかもしれないけれど、体力勝負なあたしには無理っ! というわけで、御者台にいる悪党を打つべし打つべしっ!
「よっ」
さっきの強盗が入ってきた扉から、外を覗き込む。馬車は勢いよく走っていて、長い髪とドレスがバッサバサと邪魔くさい。
「あー、もうっ! やんなるなぁっ」
顔にかかる髪を掻き上げ、ついでに靴を脱ぎ捨て。側面づたいに御者台へ向かおうと、身体を乗り出した。
そのとき。
ガッタンと、三度目の大きな揺れに。
「え」
驚くほどあっけなく、あたしの身体は宙へと投げ出された。
「えぇええええええええっ!?」
綺麗な細い指が視界に入る。んがぁぁこの苦労知らずな身体めぇぇえッ!! なよっちぃキサマのせいかっ!
そんな自分自身への呪いを頭の中で吐きながら、次に来る衝撃を覚悟したのだけれど。
あたしを迎えてくれたのは固い地面ではなく、モフッとした柔らかな毛皮だった。
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