二二話:怪物ノ目醒メ


 左拳を自身のやや前方へ、右拳を顎の横へと構える男。


 (……オーソドックススタイル。ってこたぁ拳闘ボクシングか?)


 拳闘ボクシングの象徴的な構えと言っても過言ではない、アノ構え。


 しかし彼我の距離、約六メートル。拳が届く距離では無い。


 (この距離で構えるってこたぁ――)


 すると男の両拳が妖しく光り、溢れる殺気と共に左腕がブレる。


 (――やっぱそぅなるわなっ!!)


 総護をめがけ飛来する無数の光弾。数にして、七。


 迫る光弾、その全てを流れる様に総護は躱す。


 標的を見失った光弾は高速で突き進み、次々と壁に着弾。炸裂し壁に穴を空けていく。


 最後の一つを首を傾けて躱した時、目の前には右拳を振りかぶった男の姿があった。


 「――ッシ!!」


 顔面をめがけて高速で迫る光る右拳右ストレート


 総護は躱すでも距離をとるでもなく、殴りかかる男へと逆に接近。

 今まで意図的に解除していた〝身体強化〟を発動する。


 「――ラァッ!!」


 懐へ潜り、床を踏み砕きながら一歩踏み込んで、男の喉をめがけ五指を束ねた貫手を放つ。


 総護の貫手が喉へ触れる直前に男は右拳の軌道を横へと変更。フック気味になった拳の勢いを利用し、回転。

 回りながら貫手を躱し、総護を通過し、バックステップで距離をとる。


 再び総護と男の距離は約六メートル近く開いた。


 この接触は両者共に全力では無い。

 ――しかし、互いに出来るなら・・・・・殺す・・・つもりだった・・・・・・


 「いやぁ、強いですねぇ。まさか〝拳弾〟も右も躱されたうえに、反撃されるとは思いませんでしたよ」

 「……俺も、まさか拳闘家ボクサーが遠距離攻撃してくるとは思わなかったんだがよぉ」


 振り返り、軽口を叩きながらも視線を外さず、殺気を向け合う両者。


 前者は依然と余裕を崩さず、後者は表面には出さないが内心焦りがあった。


 (――コイツ、普通に避けやがったよ)


 自身の最速ではないが、それなりの速度で動いたにも関わらず避けられた事に驚きと焦りが湧き上がる。

 それに男が『得体の知れない力』を使用した気配は拳以外に無かった。


 つまり、単なる身体能力で〝身体強化〟を発動した総護と渡り合っているという事。


 (素の状態であんだけ動けんのかよ、流石は一〇〇人以上の魂を喰った怪物だなぁオイッ)


 まさしく、怪物と呼べるだろう。


 それからもう一つ、総護が焦る理由がある。

 ――自身の魔力がほとんど残っていないという事実。


 欧州支部から自宅までの〝転移〟に約七割、〝四神結界〟に約二割。合計約九割の魔力を戦闘までに消費してしまっている。

 〝転移〟も〝四神結界〟も本来なら事前に魔力を貯めてから使用する術式であり、尚且つ燃費が悪いのだ。


 いくら自然回復が望めるとは言え、この短時間では微々たる量しか期待できない。


 魔術は、ほぼ使用できない。

 戦闘技術は恐らくこちらが上、身体能力は相手が上。

 かつ、相手の全力はほぼ未知数。


 (――さっきの貫手で決めりゃあよかったぜ、クソッタレが)


 後悔先に立たず、とはまさにこの事だろう。


 怒りに任せて動き、消耗し倒れた少女達の姿に動揺し、冷静な判断が出来ていない。









 『だぁからてめぇは未熟なんだよ、馬鹿弟子がぁ』









 いるはずのない人間の幻聴が聞こえてくる。


 しかし、悔やみ続ける時間は無い。








 (切り替えろ)








 ――己の敗北は大切な者の死へと繋がると、自覚しろ。

 ――もう誰も失わないと、決めただろ。


 (手なんざ抜かねぇ、――全力で、殺す)









 「……? 木の枝なんか拾って、どうするつもりですか?」


 男は総護の行動に眉をひそめる。


 総護が足元に落ちていた、長さ一メートル弱の木の枝を拾い上げたからだ。

 そして、何かを確かめる様に何度か片手で枝を振る総護。


 「まさか木の枝それで戦うつもりですか?」


 男の口からつい疑問が出てくる。


 当たり前だ。


 周辺には椅子や窓ガラスの破片など、木の枝より殺傷力が高い物が転がっているのだ。

 木の枝で叩かれようが突かれようが、何ら脅威になるわけがない。








 (――とか、思ってんだろ?)








 男は知らない。


 「ああ、その通りだ。生憎と俺ぁ無手よりゃコッチが得意でよ」


 「ク、ハハハハッ!! それは面白いっ!! 出来るものならどうぞ、やって――」


 だから、驚く。


 「――っな!?」


 枝を包む様に、淡い光が刀身を・・・形成していく・・・・・・様子に。


 「だからコイツで、てめぇを斬る・・


 いつの間にか、総護の右手には鋭利な刀が握られているではないか。


 〝物体強化〟派生技――〝気剣〟


 そして総護は一歩踏み込み、一瞬にして約六メートルを駆け抜けた。


 (先程よりも速いですねぇ)


 それでも男の余裕は、崩れない。


 その両目は、目の前で濃密な殺気を放ちながら『光る枝』を両手で振りかぶる総護を完全に捉えていた。


 (食前の運動も十分でしょうから、そろそろ終わりにしましょうか)


 右拳を放つ。


 ほぼ直立の姿勢から放たれたとは到底考えられない速度で突き進む拳。


 その拳は総護が斬りかかるよりも、圧倒的に速く総護の頬を捉え、


 (っ馬鹿な!?)


 ――見事に空を切った。



 同時に、男の胸から光の刃が顔を出す。


 「ッグゥ!?」


 ――有り得ない。


 男の顔は驚愕に染まっていた。


 背後へズルリ、と刃が引き抜かれる。


 「――ゴプ」


 一度口から吐血した男は、背後を振り向くことも無く、俯せに倒れる。


 倒れた男の肉体が完全に弛緩するまで残心をとった総護はフゥ、と息を吐く。


 男の『得体の知れない力』も徐々に弱まっている。消失までさほど時間はかからないだろう。


 ――我流〝写鏡うつしかがみ

 相手の眼前で強烈な殺気を放つ事で瞬間的な幻を創り出し、自身は相手が幻を意識している隙に気配を殺して背後へと高速で移動する技だ。背後を取ってからは状況によって変化する。


 読み合いに強い相手や、戦闘経験豊富なものには通じにくいという欠点があるが、この男の様に相手を侮っている場合にはかなり効果的な技だ。


 総護は意識を内側に向け魔力量を確認する。


 (……なんとかいける、か?)


 どうやら目的の魔術を発動する程度には魔力が回復したようだ。


 「《慈悲深き炎よ、彼の者を優しく抱き給え》」


 総護は倒れた男へ右手を伸ばし、詠唱を始める。


 「《安らかなる光よ、彼の者の行く末を照らし給え》」


 すると、伸ばした手の先へ光が収束していく。


 「《さぁ、楽園はすぐそこに》」


 光が揺らめき、白炎となる。


 これは〝楽園の灯火〟と呼ばれる合成魔術で、光と火の二属性を合わせ持っている。


 魔性のモノを浄化し、あるべき場所へと送り出す為に用いられる魔術だが、まだ魂の宿る死体をこの炎で焼くとその白炎に包まれ、魂は現し世で迷うこと無く真っ直ぐ死者の国へと送り出す事が出来るのだ。


 【魂喰い】などという異能を持つ魂が成仏できずにこちら側生者の国で彷徨い続けるなど、迷惑でしかないため、総護はすぐに送ろうとした・・


 「〝楽園の――ッゴガァ!?」


 ――男の体が跳ね上がり、総護を殴り飛ばさなければ・・・・・・・・・送り出す事が出来ていただろう。


 (――っ今、完全に死んでただろぉが!?)


 幸いにあまりに力が込められていなかったため総護に大きなダメージは無い。


 しかし、今は自身のダメージより重大な事がある。


 「てめえ、生き返ってんじゃねぇよ」

 「………」


 立ち上がった男は何も答えない。ただ、虚ろな眼差しで立っているだけだ。








 しかしこの瞬間、誰も知らない、醜悪な怪物が目醒めようとしていた。

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