一六話:裏切られた善意


 「あ~つ~い~、詩織ちゃん今日暑すぎん?」

 「確か今日は今年一番の暑さだってニュースで言ってたわよ」


 市内の歩道を歩く詩織と暑さに顔を歪ませる陽南の姿があった。時刻は午後三時四〇分、どうやら今日は今年の最高気温を更新したらしい。

 合同稽古が終わった後、道場の掃除を手早く済ませシャワーで汗を流した二人はバスに乗り街へとやってきていた。


 「それで陽南ちゃんはどうするの? 私は色々と見て回るつもりだけど?」


 白のブラウスとブラウン色のリネンのフレアスカート、黒のハンドバッグにサンダルに着替えたの詩織は自分のやや後ろを歩く陽南に本日の予定を尋ねててみる。


 「ん~、じゃあ最近オープンした靴屋さん行ってみん? ここから近いらしいし、というかウチ速く涼みたいしぃ。暑くて溶けそう……」


 陽南は白地の半袖ティーシャツにデニムのショートパンツなのだがそれでもこの暑さはキツイらしい。紺色のスニーカーが地面を弱々しく踏む姿は今にも倒れそうだった。


 「ふふ、それなら速く行きましょうか。陽南ちゃんが暑さで溶けないうちに」


 彼女たちは今、バス停から歩いている最中だ。ウィンドウショッピング目的で来たが特に行き先を決め手はいなかった二人だが、とりあえず最初の行き先が決まったようだ。


 「っお、ねぇねぇ君達」


 靴屋へと向かい歩き始めて数分後のこと、背後から二人へと声がかかる。振り返ると大学生だろうか、二人の若い男が笑顔で立っていた。


 「高校生? 今ヒマ? どこ行くか決めてなかったらオレらとちょっと遊ばない?」

 「え? マジで可愛くね? ヤベェじゃん」


 地毛ではないと思われる濃い金髪を整髪料でガッチガチに固めたヘアスタイル。着崩した服装は彼らの印象をより軽くさせていた。


 いわゆる『ナンパ』目的の声かけであることは一目瞭然だった。


 「すいません、私たちこれから大事な用事があるので」


 声をかけられつい振り向いてしまったので無視をする訳にもいかず、かといって知らない他人に付いていく気など無いので咄嗟に詩織は嘘をついた。


 「そう言わずにさ、一時間くらいでいいからさぁ。俺、イイ感じの喫茶店知ってるし、ね?」

 「なんならオレらのオゴリでいいよっ、帰りたくなったらすぐ帰っていいからさ」


 『急いでいるので無理です!』という空気を全面的に出しているにもかかわらず、彼らが引く気配がまったく感じられない。


 (け~、久々に捕まったわぁ。どげする詩織ちゃん、走って逃げる?)

 (……そうね、逃げましょうか。いつも通り、合図は陽南ちゃんに任せるわ)

 (オッケー)


 数秒のアイコンタクトの末に二人は逃げる事にした。せっかくの休日なのにこれ以上時間を無駄にしたくなかったからだ。


 ちなみに彼女たちがナンパされたのは今回が初めてではない。最近は無かったが二人で外出した際はかなりの確率で声をかけられる事がある。

 大抵は無視をして通り過ぎるのだが、今回のように反射的に振り向いてしまった場合は隙を作って逃げるようにしている。そして今まで逃げ切れなかった事は無い。


 だから今日もいつもと同じ様に、陽南が隙を作る為に声を出そうと息を吸い込んだ―――その瞬間。


 「すこし、よろしいですか?」


 詩織と陽南の背後から、また声がかかる。


 声をかけてきたのは背が高く、真面目そうな二〇代ぐらいの若い男。シンプルな柄入りの白い半袖ティーシャツにジーンズ、白いスニーカーを身に付けている。

 黒い短髪にティーシャツを押し上げる厚い胸板、よく鍛えられている太い両腕、鍛え抜かれた体躯を持つ男が自分達の背後に立っていた。


 「はぁ? 全っ然よろしくねーよ。今オレらが喋ってんじゃん」

 「つーかお前マジで空気読めよ、何なのオマエ?」


 短髪の男が声をかけた途端に軽そうな男達の雰囲気が急変し、瞬く間に喧嘩腰へと移行する。一人は首を鳴らしながら、一人はポケットに手を突っ込みながら短髪の男を睨みつける。


 『これ以上かかわるなら殴り飛ばす』と彼らの目が訴えていた。


 「―――あなた達に用など無いのですが?」

 「「っ!?」」


 しかし、その威勢は長くは続かなかった。短髪の男の言葉と共に二人の男にだけ・・叩き付けられた強烈な『殺気』。


 直後、ビクッと体を硬直させサァッと顔色が青ざめていく男達。

 無理もない。一般的な生活をする者にとって殺気など、まず向けられる事など無いのだから。


 「~~~ッチ、い、行こうぜ」

 「そ、そうだなっ」


 もはや詩織と陽南の存在など殺気を向けられた事で吹き飛んだのだろう。クルリと一八〇度体を回転させ、凄まじい勢いで逃げていってしまった。


 「余計なお世話だったでしょうか? すいません、困っている人を見かけるとつい声をかけてしまうもので」


 少し呆気にとられていた詩織と陽南に短髪の男が喋りかけてくる。先程とは打って変わって優しげな声音だった。


 「いえ、助かりました。ありがとうございます」

 「ありがとうございますっ」

 「いえ、どういたしまして」


 詩織と陽南は短髪の男の方を向くと頭を下げ、お礼を言った。すると男は満更でもなさそうな表情を浮かべる、しかし次に男は困った様な顔になる。


 「……実は君達に聞きたい事があって声をかけたんです」

 「聞きたい事、ですか?」


 陽南が可愛らしく首を傾け、詩織と顔を見合わせる。どうやらこの男も『困っている人』だったようだ。


 「ええ、僕は最近こっちに引っ越してきたんですが道に迷ってしまいまして」

 「私たちに道案内を頼みたい、という事ですか?」

 「いえいえ、道案内とまでは言いません。どうやって行くのかだけ教えてくれるだけでいいですよ」

 「……ウチ、道案内しましょうか?」


 少し悩んだ素振りをみせた陽南が道案内を買って出た。


 「いいんですか?」

 「全然いいですよ。さっきは助けてもらいましたし、きゃん事がお礼になるとは思わないですけどウチに道案内させてください」

 「なら私もついていくわ、私も助けてもらったし陽南ちゃんだけだとちょっと不安だから」

 「え~、詩織ちゃんヒドイっ」


 男は少し驚いた表情をするものの二人の申し出をうけた。


 「それで、どこに行きたいんですか?」

 「神在総合病院、ですね」

 「ん~ここからだと、歩いて二〇分ぐらいかな?」

 「じゃあ、行きましょうか」


 陽南を先頭に三人は歩き始めた。








 ――――前を歩く少女達は気付かない。








 「……よろしくお願いします」








 男が一瞬だけ浮かべた、狂気と悪意と欲望をグチャグチャに混ぜ込んだ笑みに。








 それから四時間、七時間と経っても少女達が自宅に帰ってくる事は無かった。

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