一七話:更けゆく夜


 「……ぅ…ぅん」


 肌を生暖かい風が撫でていく感触で詩織は目を覚ました。


 (……私、いつの間に眠っていたのかしら?――――イタッ)


 詩織の後頭部を鈍痛が貫く。しかしその痛みによって詩織の意識が完全に覚醒する。


 「―――夜?」


 天井の吹き抜けの更に上、その窓ガラスから月明かりが差し込んでいた。どうやらかなりの間眠っていたようだ。


 「……えへへ……むにゃむにゃ」

 「陽南ちゃん!? 大丈夫!?」


 詩織のすぐ横には陽南が幸せそうな寝顔を浮かべて眠っていた。


 「ん~~、しおり、ちゃん? あれ、ウチいつの間に寝とったの……?」

 

 揺さぶって陽南を起こす詩織、陽南もいつの間にか眠っていたようだ。


 「分からないわ、それよりも体は大丈夫? どこか痛くはない?」

 「そんなに心配せんでもどっこも痛くないけん安心して? 詩織ちゃんは?」

 「私も何ともないわ」


 互いの体調を確認した二人は立ち上がり、辺りを見回してみる。


 堅いタイルの床の上に散乱している割れたガラスや朽ち果てた木製の椅子。

 経年劣化によるひび割れやシミなどの汚れが目立つ壁に夜風に揺れるボロボロのカーテン。奥には受付と思われる物の残骸がある。


 「ここは……廃墟、かしら?」

 「なんか、ホテルのホールとかラウンジっぽいね」


 周囲の状況からホテルなどの廃墟だと思われるこの場所。しかし二人はこの様な廃墟に向かった覚えは無い。

 もっと別の場所に向かっていたはずだ。


 「確かウチら、病院に向かって歩いとったよね?」

 「ええ、道案内をする事になって。それから……」


 そう、自分達は道案内をしていたはずだ。

 助けられたお礼としてあの男性を病院まで案内していたはずだ。


 「詩織ちゃん、ウチらあれからどーしたんだっけ?ほら一〇分ぐらい一緒に歩いたがん、そのあと」

 「……そこまでは私も覚えているわ。でもその後が思い出せないの・・・・・・・


 しかし、よく思い出せなかった。まるで記憶が一部飛んでしまったかのようにすっぽり抜け落ちている。


 ―――そういえばあの短髪の男の人はどこだ?


 自分の記憶を整理していた少女達は同時に気が付く。だが、辺りにはそれらしき人影は無かったはずだ。








 嫌な予感がする。









 「ね、ねえ詩織ちゃん、鞄ある?」

 「ううん、さっきから私も探してるんだけど、見つからないの」


 二人のスマホと財布などが入っていた鞄。詩織は何度も辺りを見回しているが近くには無いようだ。


 途絶えた記憶。見知らぬ場所。眠らされていた少女達。


 時刻を知ることも外部と連絡する事も出来ない、この状況。


 ―――誘拐。


 少女達の脳裏を不穏な単語が過ぎる。


 「……とりあえず外に出よ?」

 「……そうね」


 不安しかないが、詩織と陽南は外へと移動する事にした。しかし二人が外へ出ることは出来なかった。


 「今夜は夜空が綺麗に見えますね」

 「「っ!?」」


 歩き出した直後、声がかかったからだ。


 恐らくエントランスであったであろう場所から一人の男が歩み寄ってくる。


 「おはようございます。と言っても今は夜ですけど」


 二人からおよそ三メートル離れた位置で立ち止まったのは、二人が道案内をしていた短髪の男だ。しかし何故だろうか、男の声は随分と上機嫌に感じられる。


 「まず、お二人にしゃ―――」

 「ウチらをどげするつもり?」


 男の声を遮る様に陽南は疑問を投げかけた。不安と恐怖を悟られぬように、精一杯普段通りの自分を演じて。


 「ククク、その質問に答える前に、まずは謝らせていただきたい」


 不安や恐怖を押し殺す陽南が面白かったのだろうか。男は堪えきれぬ様に笑いを零し、次に深々と頭を下げた。


 「お二人をここに招く為に少々強引な手段を使ってしまい、誠に申し訳ありませんでした。具体的には後頭部に強めに衝撃を加えたのですが、その様子だともう何ともないようですね」


 (あの痛みはコレが理由だったのね。つまり気絶させられた・・・・・・・という事かしら?)

 

 男の『後頭部に強めに衝撃を加えた』という言葉から、自信の後頭部の鈍痛と記憶の欠落の理由を察した詩織。


 「……何ともない様に見えるだけですよ。私、とても気分が悪くてまだ頭が痛いので家に帰らせて欲しいんですが?」

 「そうですか。それでは重ねてお詫び申し上げます、申し訳ありませんでした―――それから」


 男はもう一度深々と頭を下げた。そして頭を上げると陽南の方を見る。


 「そちらの彼女の質問に答えましょう。―――あなた達を帰す訳にはいきません」


 陽南と詩織の予想通りの返答が返ってきてしまった。


 しかし、その返答の後に続いた言葉は予想することが出来なかった。


 「―――おめでとうございます。あなた達は栄えある一〇五、一〇六人目の糧として選ばれました」


 男の顔が、嬉しそうに歪む。


 その狂笑エガオを見た瞬間、理性ではなく本能で理解してしまった。


 ―――コレに関わってはイケナイ、と。

 ―――コレはヒトの形をした化物だ、と。


 「ですが、足りないんですよ・・・・・・・・

 

 男は舞台で踊る役者の様に両腕をひろげ、大仰な身振りを交えながら喋り続ける。


「ようやく見つけたんです。ですが、もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっとその白く輝く魂を、絶望で!!苦痛で!!恐怖で!!染めなければ、私が喰らうに値するメインディッシュに成り得ないのですから!!」


 獲物を前に爛々と輝く瞳、場を圧倒する異様な存在感はまさに人型の捕食者と呼んでもいいだろう。


 それ程までに今の男は異質だ。


 そんな存在を前にして少女達は、一歩も動けずにいた。言うなれば、蛇に睨まれた蛙。


 早鐘の如く打ち鳴らされる自身の鼓動。

 焦りと恐怖で浅く速くなる呼吸。

 ガタガタと震え続ける体。


 心でどんなに動こうと思っても意思に反して足はは竦み、体は強張り、―――動かない。


 男から溢れ出ている狂気に、少女達は殆ど呑まれてしまっていた。

 

 糧。魂。苦痛。喰らう。メインディッシュ。


 男が紡ぐ言葉から辛うじて聞き取る事のできた単語の数々。それはどう考えても状況が好転する様なものではなく、これ以上ない程にロクなものではなかった。


 「アア、イイですねぇ、段々と恐怖で黒く染まっていますねぇ」


 夜は絶望と共に更けていく。


 ―暗く。

 ――深く。

 ―――黒く。


 夜明けは、未だ遠く。

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