第三章 失せもの(1〜2)



   1



「ここはSNSでどーんと広告打って、お客さんを大勢呼び込むべきっすよ!こんなに素晴らしい祭りがあるんだから、知ってもらえればきっと人は集まります。俺の知り合いにフォトグラファーやインフルエンサーの奴が居るんで、そいつらに声かけてぱーっとやりましょうよ」


 短い髪に精悍な顔つきの若者が、よく通る声で気焰を上げていた。隣にはなぜか兵藤さんが座っている。

 集まっている他のメンバーは一人熱弁を振るう彼を冷めた目で、もしくは宇宙人のように理解出来ない者のように見ていた。わかりやすく頑固おやじという貫禄を備えた男性が、その若者を諭すように意見を述べる。


「いや、だからさ若里君。そもそも観光の前に大事な町の行事なの。まず第一に町の為、地域の為の行事なんだ」

「観光の活性化は町の為にだってなるはずです」

「それはそうだけどねぇ」


 ここは日森町の商工会青年部が使っている寄り合い所だ。決して広くはないこの部屋に十数人が集まっていた。大の大人が密集した室内は、ドアの小窓から覗き見るだけでも圧迫感がある光景だった。


 商店街の老舗である『スーパー新城』の二階にあるこの部屋は、もともとは店長である新城一家の住居だった。店長家族が引っ越したのを機に、寄り合い所として提供しているらしい。部屋に敷かれた畳のすり減り具合が使われた年月を感じさせる。

 部屋の中心には旅館の広間に置いてあるような縦長の座卓が置かれており、今はそれを囲むように商工会青年部の面々が座っている。


 青年部と言っても、四十過ぎのメンバーも多い。比較的若いメンバーは最近代替わりした者たちだ。彼らにやる気が無いわけではないが、自分の父親のような年齢の古参メンバーには頭が上がらないようだ。自分を子供の頃から知っている相手と対等に渡り合うのはなかなか難しいのだろう。

 そんな中で古参相手に一歩も引かない主張を繰り返す彼の存在は異色だった。隣で一緒に中を窺っていた朝陽さんが小声で教えてくれる。


「彼が地域おこし協力隊の若里君です」


 昨日旦那さんと六爺が話題していた人か。確かに町の人とはどこか毛色が違う。

 僕らがここで商工会の集まりを窺っているのは、メンバーの一人である新城さんの取材に来たからだ。約束の時間になっても会合が長引いている為ここで待っているのだ。

 薄いドアは防音効果に乏しく中の会話がはっきりと聞こえてくる。


「なんていうか、若里君はメンタルが強い人ですね」


 僕は小さな声で言葉を選ぶ。少し前からこの会議を見ていたけれど、彼はこの集まりの中で完全に浮いていた。

 他のメンバーの話を聞くときは、頷くでもなく質問するでもなく黙って聞いており、自分が話す時だけ雄弁になる。自分の主張に対して意見が出ると、対話というより論破するための返答をする。言っている内容は論理的に間違ってはいないのかもしれないが、話の持っていき方があまりにも不器用だった。


 万事がその調子なので何度も険悪な雰囲気になりかけている。しかしその度に隣の兵藤さんが「まあまあ、斎藤さん。それじゃあさ」と丸く収めるような提案や、若里君の側を諭すのだ。まるで若里君の保護者だ。不思議に思って朝陽さんに尋ねてみた。


「協力隊とかで新しく来た人のメンターみたいな事もやってるんですよ、兵藤さん。島での暮らしの世話係っていうか」


 陶芸家としての本業もあるだろうに。そんな事まで引き受けているとは。昨日二日酔いで苦しんでいた姿からは想像がつかない。

 そうこうする内に部屋の中では議題が次へと進んだようだ。


「では若里君、お願いしておいた提灯の発注はもう済みましたか?」

「任せてくださいばっちりですよ。出荷のメールも来てるので、明日には届くはずです」

「それは何よりです。じゃあ次は当日の屋台の取りまとめだけど、山本さんどう?順調?」

「おう。出店するとこは毎年代わり映えしねえしな。手続きなんかも全部終わってるよ」


 会議はは滞りなく進む。催事に伴う多くの確認事項は、毎年繰り返している事なのだろう。会議らしく議論が起こるのは、若里君が口を開く時がほとんどだった。

 程なく会議は終わり解散となった。まだ午前中の為ほとんどのメンバーは自身の仕事へ戻っていく。兵藤さんが若里君と連れ立って出てきた。


「お、お二人さん。昨日は悪かったな。今日は元気だから後で来てくれや。今日この後はずっと工房に居るから」

「はい、この後にまた伺わせて頂きます」


 とりあえず彼が二日酔いじゃない事に胸を撫で下ろす。僕の方を見てきょとんとしている若里君に気づいて、兵藤さんが僕らを紹介する。


「東京から町の取材に来ている星野さんだ。で、朝陽ちゃんはその案内役」

「初めまして。地域おこし協力隊の若里です」


 先ほど見た強い自己主張は感じられない控えめな挨拶だった。


「どうも。ライフトーンって会社でWEBマガジンを担当している星野と申します」


 挨拶をしてお互いに名刺を交換する。若里君は名刺に目を通すと、僕に笑顔を向けた。


「俺このメディアたまに読んでますよ、中の人に会えるなんて感激です!俺も星野さんに取材されるような成果を出せるように頑張ります!」

「う、うん頑張ってね」


 その勢いに少々面食らう。若里君は兵藤さんに訪ねた。


「兵藤さんが取材受けるんですか?」

「まあな」

「あの、僕もお邪魔しちゃダメですかね」

「俺は別に構わないが、どうだい星野さん」


 そう言われて特に断る理由もない。録音はするが会話をそのままコンテンツにするわけではないので僕は軽い気持ちでOKを出した。


「それじゃあ後で工房行きますね!」


 若里君が笑顔で出ていく姿を兵藤さんは苦笑しながら見送る。


「相変わらず苦労してそうですね」


 彼の背中が見えなくなってから朝陽さんが労いの言葉をかける。


「なんだ聞いてたのか?まあこういうのは馴染むのに時間が要るからな。あいつはまだ若いし、気長にやるさ」

「ホント、いつもありがとうございます」

「なんのなんの。んじゃ、また後でな」


 僕らは兵藤さんの大きな背中も見送った。

 兵藤さんやすみれさんを見てきたので、ここでは地元組と移住組の衝突なんて無いのかと思っていたけれどそういう訳では無いらしい。


 東京に住んでいると、付き合う相手が地元か余所者かなんて意識する機会はそうない。けれど人口が少ない割に人との距離が近い地方では、価値観の違いはコミュニティの至る所で顕在化する。

 それによって生じる小さな諍いは積もり積もって両者に修復不能な溝を生む。それは僕らのような『お客さん』にはなかなか気づけないのだと、田島さんは言っていた。

 そこに暮らす人々の想いを理解するには自分も長い間そこで暮らし、時間を共有するしかないのだと。


 地方活性化だ、これからはローカルだという機運が高まって久しい。それによって少なくない人が、自分にとっての新天地を求めて色々な土地へ移住している。若里君もその一人だろう。

 彼は何かしらの成功を掴みたくてここに居るのだ。自分なら出来る、ここでなら必要とされる。自分がこの町を盛り上げる。自分が、自分が、自分が。

 会議でのやりとりからは馴染み深い焦燥感がひしひしと伝わってきた。一度見ただけの僕が感じたくらいだから、地元の人たちはとっくに気づいているだろう。兵藤さんの苦労が忍ばれる。

 すると部屋に残っていた最後の一人が出てきて部屋の鍵を閉めた。


「どうも、お待たせしちゃって申し訳ない」

「いえいえ全然。お祭りの準備お疲れさまです新城さん」


 朝陽さんがにこやかに応じる。今日最初の取材相手である新城さんが寄り合い所の片づけを終えたようだ。



   2



「この人ったら本当に落ち着きがないんですよ」

「おいおい、母さんだって結構楽しんでるだろう」


 絵に描いたようなおしどり夫婦の掛け合いにこちらまでほっこりした気持ちになる。新城さんへの取材は夫婦一緒に行うことになっていた。


 新城夫妻が営む『スーパー新城』は日森町の食卓を支える大事なお店だ。魚は魚屋、野菜は八百屋といったように個別の商店や市場はあるものの、加工食品や肉類といった島で生産されない食品の大半はここでしか買う手段がない。この町には何でも揃うコンビニも百均も無いのだ。

 言ってしまえば市場は独占状態なのだがそこに甘んじる事なく、町民がより良い買い物が出来るようにと工夫を続けている。そんな彼らを皆慕っており、その人望ゆえか商工会青年部の代表を務めているそうだ。

 朝陽さんも町で育った子供の一人として二人を慕っている。


「新城さんは毎年夏にはお店の駐車場で小さな夏祭りをやってくれるんですよ。小さい頃はそれがすごく楽しみで」

「朝陽ちゃんは金魚掬いが上手だったもんねぇ。一人で全部掬っちゃうんじゃないかっておばさんヒヤヒヤしたよ」

「えー、私そんな事しないですよー」


 ここでも朝陽さんが間に入ってくれる事で、自然な言葉を引き出すことが出来た。

 お店は親から受け継いだこと、幼なじみ同士で結婚したこと、今小学校に通う二人の子供達や守っていきたい地域との繋がり。昨日の取材とはまた違った、この場所に根ざした暮らしを丁寧に教えてくれた。

 特に興味深かったのが奥さんから聞いた新城さんの趣味についての話だ。


「この人ったら趣味が多くて多くて。気になるものがあると直ぐに熱中して大変なんですよ。家に色んな道具が貯まっちゃって。この前も納屋を増築したばかりなの」

「だって捨てられないだろう?それに物が多くなるのは母さんの分もあるからじゃないか」


 新城さんが熱中したものは奥さんも一緒に楽しむというのがいつものパターンらしい。奥さんの言い方も本気で責めているわけでなく、仲睦まじさゆえの愚痴のようなものなのだろう。二十年後、僕も凛とこんな夫婦になれたら良いなと思う。


「例えばどんな趣味があるんですか?」

「最近はドローンにはまってます」

「ドローン!?また思いがけない単語が出てきてびっくりしました......。この島は良い景色が撮れそうですね」

「そうなんですよ、商工会の代表なんてやってるとそれなりに顔も広くなるので、飛ばす許可を取るのも難しくなくてね。あ、写真見ます?インスタにアップしてるんですよ。結構見てくれてる人も居るみたいで、反響があるとやる気も出ますよね。時々海外の方からもコメントが付いてびっくりしちゃいます」


 僕は新城さんが差し出すスマホの画面を眺めた。海と山を跨いで飛ぶ空撮映像や、鮮やかな夕日の写真などがプロフィールページに並んでいた。

 さらに奥さんが話を継ぎ足す。


「ドローンは二ヶ月くらい前からで、その前はサックス、またその前は天体観測という具合に節操がなくてねぇ。サックスなんて、安い買い物じゃ無いのに自分が好きな曲をひとつ演奏出来るようになったら次に行ってしまって」


 バリエーションが広すぎる。


「本当に幅広いですね。どんなきっかけではまるんです?」


 旦那さんは頭をかきながら「参ったな」という体で話してくれた。


「いやぁ別に大層なきっかけがあるわけじゃないんですけどね。私は何かに感動すると、つい自分でもやってみたくなる性分なんです」

「感動?」

「例えば天体観測は、テレビで新しい星を見つけたら名前を付けられるって話を見たからで。サックスは演奏家が主人公の映画に感動したからとか、大した理由ではないんです」

「どこにどんなきっかけが転がってるやら、長年連れ添った私にもよくわからないんですよ」


 奥さんはころころと笑う。些細な興味でそこまで行動に移せるのは凄い事だ。いつかやりたい、そう思っても実際に行動に移す人は多くない。僕にも覚えがある。


「こうやって言葉にするとただのミーハーなおじさんだけど、主人のすごい所は毎回本気なんですよ。もう良い年なのに、毎度子供みたいに、これが俺の新しい夢だーって。いったい何個目の夢ですかって」

「好きなものや楽しい事は沢山あった方が良いだろう?その方が人生は張り合いがある」


 奥さんは苦笑しつつ相槌を打つ。


「私自身は特別趣味もないつまらない人間ですけど、主人と一緒に居ると私の人生までカラフルにしてくれてるんです。全然飽きません」


 聞けば、先週奥さん用のドローンも買って、二人でレースなんかが出来るように練習中らしい。小学生の子供達もこれには食いついて家族で楽しんでいるそうだ。


 僕はその話を目が醒めるような思いで聞いた。今まで僕にとって夢という言葉は、唯一無二のもの、譲れないものだった。それを叶えるためならば他のものは投げ打ち、自身を捧げてこそだと。だから苦しい事にも耐えてきた。理不尽な思いにも歯を食いしばってきた。


 たくさんの夢、誰かと楽しむ夢。


 以前の僕なら「そんなものを夢とは言わない」と、そう思っていただろう。けれど今の僕は目の前の人達を否定する気にはなれなかった。羨ましいとすら思う。


 なぜなら夢を追いかけた末に大事な人を泣かせた僕とは違い、新城さんの話をする奥さんはすごく幸せそうに見えたのだから。

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