第二章 対岸のアザーブルー(8〜9)


   8



 神社の本殿に着いても周囲には誰も見当たらなかった。


 今日は平日だし、参拝客が居なくて当然かもしれない。ささやかだがお神籤や絵馬が置いてある社務所はあるので、おそらく宮司さんか誰かは居ると思うけれど、今は姿が見えない。


 せっかくだからお参りしていこう。

 賽銭箱には十円玉と五円玉を放り込む。この取材が無事成功しますように、という願いを込めた。充分なご縁がありますように。


 鈴を鳴らして二礼二拍手。最後に一拝して顔を上げる。


 その時、森の木々をざざあぁっと揺らし、神社を真横に横切る形で突風が吹いた。すると僕とは別の「あっ」という声と共に何かを落としたような音が聞こえてきた。


 この神社の本殿は建物をぐるっと囲むような外廊下が付いている。僕は声のした方の外廊下に向かい、廊下の端から顔を覗かせてみる。


 そこに腰掛けていたのは制服を来た女の子だった。片手で文庫本を掴んでおり、落としたものはその本だったのだろう。こちらに気づいた彼女は怪訝な視線を送ってくるけれど、僕は彼女に見覚えがあった。


「君は確か、朝陽さんの妹さん?」


 フェリーで朝陽さんと一緒に居たのはこの子だったはずだ。人の顔を覚えるのにはちょっとした自信がある。


 彼女は無言だった。

 こちらを見てはいるから無視という訳ではないけれど返事がない。


「いや、怪しい者じゃないよ。この前フェリーですれ違ったの覚えてないかな。今は一応海猫荘に泊まってるんだけど」

「知ってる。東京から来たライターなんでしょ。お母さんから聞いた」


 良かった。なんだか険のある視線だったから通報でもされやしないかと冷や冷やした。こんな人気の無いところで誤解されたらと思うと背筋が冷える。


「そのライターさんが何でこんなところに居るの?暇なの?」


 彼女はそう尋ねてくるが、さして興味が無さそうに再び文庫に目を落とす。

 うーん。何か嫌われるような事でもしただろうか。


 それともこれくらいの子にとって、おじさんの扱いなんてこんなものなのか。一応まだ二十代だから「お兄さん」で十分通じると、自分ではそう思っているのだけれど。


「一応仕事中だよ。この神社の写真を取りに来たんだ。ほら、週末にここでお祭りがあるんでしょ。その下見を兼ねてね」


 聞いてるんだか聞いていないんだか、視線をこちらにやるだけで特に返事はない。僕はもう少しだけ会話を試みる。


「妹さんはここで」

「鳴海美夜。妹って呼ばれるの嫌いなの」


 鋭い言葉に僕はたじろぐ。


「ごめんごめん。じゃあ美夜ちゃんは良くこの神社に来るの?」


 言ってから『ちゃん』付けは適切だろうかと不安になる。この年頃の女子との距離感が全くわからない。


「別に。今日はちょっと用事があっただけ」


 神社に用事ってなんだろう。しかしこれ以上詮索するのはマナー違反だろう。

 朝陽さんには初対面の相手でも気負いのないオープンな雰囲気があったけれど、彼女からは逆に必要以上に踏み込ませない壁を感じる。


 姉妹といっても随分違うものなんだな。


 会話が続きそうにないので、僕はあと一つだけ気になっていた事を聞いてみた。


「一つ聞きたいんだけど、ここって宮司さんはいないのかな。ちょっとお話を聞けたらと思ったんだけど」

「......さっき片付けが終わるとこだったから、もうちょっと待ってれば着替えて出てくると思う」


 文庫から顔を上げずに答える彼女にお礼を言って、僕は写真を撮りながら少し待つことにする。


 神社の全体像はもちろん、鈴、賽銭箱、手水舎、神社の奥に広がる鬱蒼とした森林まで記事の挿し絵として使えるかもしれない画をカメラに収めていく。


 ウェブの記事では長い文章を地続きで読ませるよりも、途中で適度に写真を挟んでいった方が読みやすい。だから取材先の写真は、なるべく違う対象や構図のものを多く確保した方が良いのだ。普段はライターやフォトグラファーの方にそういったお願いをする立場なので、必要なものは良くわかる。今回はそれを自分で実践しなければならない。


 記事にする時を想像しながら、良い構図を探していたところで不意に背後から声をかけられた。


「ねぇ、こんな町を取材してて面白いの?」


 振り向くと美夜が立っていた。学生鞄を肩にかけているところを見ると、もう帰るところなのだろう。


「こんな町って日森町のこと?」

「他に無いでしょ。ここより東京の方が面白いもの沢山あるじゃん」


 なんて答えるべきだろう。面白いからというよりは仕事だから来たんだけれど、そう答えるのも違う気がした。それにこの町についてどう思うか意見を言えるほど、僕はまだ日森町のことを知らない。


「うーん、確かに東京は刺激的で何でもあるけど、何でもありすぎて良い事も悪い事も埋もれちゃうところがあるんだよ」

「埋もれる?」

「やるべき事が山積みで、日々が忙しく過ぎていく。そんな毎日では忘れちゃう何かを、時々ふと思い出したくなる。うちのウェブマガジンではそういうニーズに応えるような記事を書いてるんだ。日森町にはそれがあるかもしれない」

「何それ。意味わかんないんだけど」


 抽象化し過ぎたかもしれない。美夜は怪訝そうに眉をひそめる。


「ま、要するに都会とは別の生活、別の人生がたくさんある、生き方は一つじゃないから楽しくいこうって思えるような記事を書くために取材に来てるんだ」

「......ふーん」


 今度はわかってもらえただろうか。


「実際ここには面白い人たちが沢山いるじゃない。兵藤さんとか関さんとか。かなり刺激的だったよ」

「その人たち、もともと町の人じゃないし。好きでここに来たなら、そりゃ楽しいでしょうね」


 確かに。言われてみれば今日会ったのは移住者ばかりだ。館長は地元出身だけど彼も一度は島を出ている。


 これはたまたまだろうか。地元の人にも取材する予定はあるから、田島さんがスケジュール上で分けていたのかもしれない。


「最初からずっとここに居る私にとってはこんな島、面白くも何ともない。みんなそう。うちに泊まりに来たお客さん達も良い所だねって言うけど、私には全然理解出来ない。早く卒業してここを出たい」


 胸に溜め込んでいたものを吐き出すように、彼女は自分が産まれた場所のへ不満を口にした。家でも学校でもそれを口にするのは躊躇っていたのかもしれない。


 自分にも覚えがある。東北の田舎町に産まれ、何もない地元に屈託を抱えていた十代の頃。早くここから出なければという焦りを受験勉強に打ち込む事で発散していた。


「その気持ちわかるよ。僕も田舎から上京したクチだから」


 今まで伏し目がちで目を合わせようとしなかった彼女の瞳が、初めてこちらを真っ直ぐに捉えた。改めて正面から向き合うと、朝陽さんとは違う切れ長な目がやや冷たい印象を与えるが、睫毛が長く儚げな雰囲気を感じる造作の子だ。なんていうか、同級生の男子からしたら近寄り難そうな、そう感じさせるタイプの美人だった。


「僕は昔から絵やものづくりが好きで、かっこいいデザイナーになりたくて故郷から飛び出したんだ」


 自分にならきっと出来ると無邪気に信じていたあの頃。憧れた場所から降りる決断をした今となっては、それを口にするのは少々の痛みが伴う。

 僕の微妙な心境を察した訳ではないだろうけど、その言葉を聞いた彼女の表情が曇った。


「......それは夢だったってこと?」


 夢。


 その言葉と正面から向き合えなくなったのはいつからだろう。倒れた時だろうか、それとも。今となってはもうわからない。


「まあ夢って言われると、照れくさい年になっちゃったけどね。当時はやりたい事があるのならって親も応援してくれたよ」


 自身の痛みを誤魔化すように茶化した声音で答えるが、見返した美夜の顔は笑っていなかった。いや、笑顔どころではない。先程までの中で一番険しい、憎しみの籠った表情に見えた。


「皆して夢、夢、夢って。ホントどうかしてる。夢があるのってそんなに偉いワケ」


 その唐突な糾弾に言葉を失う。


「お父さんも、お姉ちゃんだって。良いよね、やりたい事が直ぐに見つかる人達は。応援してもらえて、いろいろ許されて」


 聞き取れないような小さな呟きが、境内を優しく撫でるそよ風に乗って耳元まで運ばれてきた。


「美夜ちゃん?」


 取り乱した事を恥じるように彼女は顔を伏せる。


「ねぇ、夢ってそんなに大事?夢が無い人はそんなにダメなの?」


 枝葉のざわめきが大きくなる。風が出てきた。僕が咄嗟の答えに詰まる間に、彼女は僕を見限るように背を向けて走り去った。


 夢ってそんなに大事?


 その問いかけは、未だ答えを持たない僕の中で何度も何度も反響する。




   9




 その夜、海猫荘で行われた宴会はとても賑やかなものになった。


 僕と朝陽さんに関さんだけではなく、今日チェックインしたというカップルと何故か釣り具屋の六爺まで参加した大所帯となった。そこに旦那さんと女将さんも加わり会話が弾む。


 テーブルに並べられる料理の半分は女将さんの手による郷土料理だが、もう半分は関さんが作ったものだという。刺身や魚料理は昼間に自分で釣ったものなのだろう。盛りつけも女将さんが作ったものと遜色なくとても美味しそうだった。


「これ本当に関さんが作ったんですか?」


 意外だという気持ちが顔に出ていたのか彼女は口を尖らせる。


「腕前見せるって言ったじゃないですかー、星野さん酷い。あ、そうだ。私のことも苗字じゃなくて名前で読んでくださいよー、なんで朝陽ちゃんは名前で私は苗字なんですかぁ」


 んん?既にアルコールの匂いがする。僕は無言で女将さんの方を見る。


「皆さん揃うまで待ってたらって言ったんだけど。すみれちゃん気づいたら開けちゃってて」


 女将さんが軽く肩をすくめる。よくある事なのだろう。


「だって遅刻した星野さんが悪い」

「いや、関さんペース早すぎでは」

「すみれって呼べって言ってるでしょー!」


 予想通りの絡み酒だった。僕は諦めて「わかりました、すみれさん」と折れてその手から酌を受ける。


 確かに僕は遅刻したけれどそれにはこんな理由があった。




 境内から美夜が去ってから、程なく社務所から出てきた宮司さんと話し込んだせいで、帰ってくるのが遅くなったのだ。


 多少の話を聞けたら良い、その程度のつもりだったけれど、宮司さんはもの凄く詳しく神社の事や祭について教えてくれた。


 途中から「立ち話もなんですから」と丁寧な言葉使いの割には強い押しで社務所に招かれ、お茶とお菓子まで振る舞われては逃げられない。話を聞いているうちにいつの間にか日が傾いていた。


「あぁ、随分引き留めてしまいましたね。ここの歴史に興味がある人は滅多に居ないのでつい話し込んでしまいました。もう帰られた方が良い。この辺りは山の陰に入るので日の入りが早い。私としても話足りないので残念ではあるのですが」


 彼はかなりの話好きのようだ。日の入りが早くて助かったのかもしれない。


「ちなみにこの町の事をもっと詳しく知りたいなら、図書館に良い郷土資料があります。知野見君に聞けば見せてもらえると思いますよ」


 良い事を教えてもらった。参考文献は大切だ。宮司さんにお礼を言って僕は社務所を後にした。


 境内に降り注ぐ日差しは傾いたとは言え、まだ夏らしい熱を帯びている。今のところ暗くなる気配など感じられないが、地元の人の忠告は聞いておくのが吉だろう。


 朝陽さんに貰った地図を頼りに最短ルートで海猫荘を目指した。けれど実際に歩いてみると思ったよりも距離があり、夕飯の時間には間に合わなかったという訳だ。


 そういえば田島さんが、地方の地図の縮尺は都内のそれとはだいぶ違うと言っていたけどこういう事か。


 ようやく辿り着いた海猫荘の玄関をくぐると、待ち構えていたすみれさんに「遅い!」と一喝された。僕は慌てて荷物を片付け、宴会の席に着いたのだ。


「はいどうぞ。これ使ってください」


 僕はお礼を言い、朝陽さんから皿と箸を受け取った。彼女のジャージという服装から察するに、観光協会の仕事はもう終わって帰宅しているようだ。


 僕は早速すみれさんが揚げたという天ぷらに箸を伸ばす。つけるのはこの島の特産品の一つでもある塩だ。口に運ぶとさくっとした衣とぷりぷりの身が絶品だった。


「美味しい」

「ふっふー、そうでしょそうでしょ」

「ホントすみれさん、料理だけは上手になったよねぇ。流石うちのお母さん」


 ほろ酔いの朝陽さんが直ぐに茶々を入れる。


「ちょっとぉ、誉めるなら私を誉めなさいよー」

「えー。じゃあすみれさんは料理上手で良い奥さんになりますねー。きっと、いつか、多分」

「いつかっていつ!私はもう奥さんになりたいー、ホントだったら今頃なってるはずだったのにさぁ、ねー朝陽ちゃんー」


 アルコールによっていつにもまして情緒がジェットコースターのすみれさんと朝陽さんがまたじゃれている。ホント仲良いなあの二人。


 僕は並べられた料理をぱくぱくと食べながら何とはなしに喧噪に耳を澄ます。

 玄関近くの席ではカップルが女将さんに町の見所を聞いていた。社交的な二人の様で切れ目無く会話が続いている。


 その反対側、奥まった隅の席では旦那さんと六爺が週末の祭りについて話しているようだ。


「今年はあれだぁ。美夜ちゃんの番だろ?順調なのかい」

「美夜はなんだかんだ根は真面目な子ですから。口ではやりたくないだの面倒くさいだの言ってますが大丈夫ですよ。むしろ保存会の会長がセンスが良いって褒めてました」


 祭りで美夜は何かやるんだろうか。保存会?

 旦那さんは祭りでも何かの役割を率先してこなしているのだろう。屋台の内容や催しの準備について六爺と静かに話していた。


「そういや例の新入りはどうなんだ?ワシんとこにも兵藤と挨拶しに来たが」

「あぁ、若里君なぁ。やる気はあるんだがなかなか馴染めないでいますよ。うちも折に触れて声をかけてるけど彼はいつも忙しそうで」

「都会の人はせっかちでいかんわな」

「祭りでも積極的にアイディア出したり、仕事してくれてるんですけどねぇ」


 若里という名前は初めて聞いた。田島さんの資料にも無い名前だ。


「その若里って方は最近移住してきた方なんですか?」


 僕は二人のお猪口に日本酒をお酌しつつ会話に入れてもらう。


「若里君はあれだよ。地域おこし協力隊。以前に色々あって役場は新しく受け入れるのに慎重だったんだけど、今は兵藤さんとか外から来た人が頑張ってくれてるから。それでまた島外の人を受け入れてみようって事で今年度に一人受け入れたんだ」


 移住者も地元出身者も、そのカテゴリーだけでその人となりが決まるわけじゃない。当たり前だけど、一人一人違う人間なのだ。合う人も居れば合わない人も居る。受け入れる側からすれば慎重にならざるを得ないのだろう。


 ふと女将さんがテーブルの料理の中からいくつか取り分けてお盆に並べているのに気がついた。先ほどまで話していたカップルは二人で楽しげに食事を続けている。


「あれ、今日は他にもお客さんが泊まってるんですか?」

「これは美夜の分。あの子も一緒に食べれば良いのにねぇ。勉強が忙しいからって、近頃は自分の部屋で食べたがって」

「あ、じゃあそれ私が持ってくよー。貸して貸して」


 ほろ酔いの朝陽さんが女将さんからお盆を受け取って母屋へ向かう。その背中に向けて女将さんが声をかけた。


「朝陽、あんたまた余計なこと言うんじゃないわよー。模試が近くてあの子ぴりぴりしてるんだから」

「はあーい」


 可愛がってはいるんだろうけど、昼間に接した美夜の性格を考えるとその気持ちは空回りしている気がしてならない。対照的な姉妹だ。 オープンキャンパスにも付き添うくらいだし基本的には仲が良いのだろうけど。


「ねぇねぇねぇ、二人はさー付き合ってるの?新婚さん?」


 うわ。朝陽さんが抜けて相手をする人が居なくなったせいで、すみれさんがカップルに絡み始めた。


「いやいや、新婚て。まだ付き合って三ヶ月くらいっすよー」

「いーなーいーなー、楽しい頃だねぇ。私も昔はさぁ」


 彼氏の方は楽しげに答えている。しかしその視線がちらりと薄着であるすみれさんの胸元に向いたのに気づいた彼女はやや面白くなさそうだ。


 すみれさんはそのまま元彼とのあれこれを自分で暴露し出して止まる気配がない。女将さんは食器の片づけを始めているし、旦那さんと六爺は島の未来についての議論で盛り上がっている。


 朝陽さん、早く戻ってこないかなぁ。


 そう思ったとき、ポケットの中のスマホが振動した。連続した振動はメッセージの通知ではなく着信だと主張していた。


 珍しい。誰だろう。僕は共用リビングからそっと抜け出し外に出た。

 アルコールで火照った体に夜風が気持ち良い。満月未満のぷっくりとした月が山の稜線上に浮かんでいるのが見えた。見守られているような優しい色合いの月だ。


 スマホを取り出し画面を見ると、そこには大学時代の友人の名前が浮かび上がっていた。シゲや凛とも一緒に良く連んでいた一人だ。画面に指をスライドさせて通話を始める。


「もしもし」


 耳に当てたスピーカーからは居酒屋とおぼしき喧噪が流れだし、次いで懐かしいだみ声が響いた。


「よお、星野。元気か?今久々にサークルの奴らと飲んでるだけど、お前と瀬川も来ねえ?」


 瀬川は凛の旧姓だ。喧噪の中から「来いよー」「星野ー」と自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

 束の間、ここが東京から遠く離れた離島だという事も忘れ、懐かしさが胸に込み上げる。シゲと凛、みんなと過ごした日々。どこまでも何者にもなれそうな、根拠のない万能感に浸っていられたあの頃。


 僕はノスタルジーを打ち消すように誘いをきっぱりと断る。


「無理無理。今仕事で島根の離島だから」

「離島!?そりゃ無理だな......。あーぁ、シゲの奴も忙しいっつって取り付く縞もねえんだよ」

「シゲにも電話したのか。あいつ元気にしてた?」


 親友の名前に懐かしさも心地よい酔いも醒めて、夜の肌寒さを思い出した。僕のわずかな動揺に気付くはずもなく旧友は答えた。


「さあなぁ、電話してもなんかぴりぴりしてたから、どうせ仕事忙しいんだろ。ったくよー、こっちはせっかく今みんなであいつの祝勝会やろうぜって話してんのにさぁ」

「祝勝会?」

「おう、あいつがカンヌで賞獲ったの知ってるだろ。日付は決まってないけど、もちろん来るよな?」

「あ、あぁ。もちろん」

「先越されちまった星野は悔しいかもしれないけどな、祝ってやろーぜ。ま、色々決まったらまた連絡すっからさ。グループの方見とけよ。じゃーな」


 昔から面倒見の良い友人だった。彼が幹事をやるならきっと祝勝会は開かれるだろう。


 もうどこにも繋がっていない冷たい機械をポケットにねじ込み、ぼんやりと夜空を見上げる。都会の喧噪とは違う、虫やカエルの鳴き声がうるさいくらいに鼓膜を震わせる。


 電話をしている間に雲が出てきたようだ。先ほどまではそこにあった月が今はどこにも見当たらない。


 ただ薄ぼんやりとした灰色だけが空を覆い尽くそうとしていた。

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