ヒッチハイク

あべせい

ヒッチハイク




「どちらからですか?」

「みちのくは山形です」

「エッ、ウソでしょう!」

「ウソです」

「! どういうことですか!」

「山形はぼくの生まれ故郷です。でも、車は東京です」

「ホントに、ですか?」

「車のナンバー、ご覧になったでしょう」

「ハイ」

 一般国道を国産のセダンタイプの車が走る。製造から3年以内だから、塗装はまだ新しい。キズ一つない。その車内に、一組の男女が。運転席に男性、後部座席に女性が座っている。

 2人は、全くの赤の他人。女性が、歩道で「三島」と手書きしたA4ノートをちらつかせ、ドライバーの男性が10数メートル行き過ぎてから停止し、女性は慌てて後部座席に飛び乗った。

 世に言うヒッチハイカー。男のヒッチハイカーはいる。女性の2人連れも、たまには見かける。しかし、女性ひとりのヒッチハイクは無謀だ。無謀過ぎる……。

 時刻は、正午を1時間弱、過ぎている。

「東京から、どちらまで行かれるのですか?」

 女性の荷物はデーバック1つだけ。赤いジャケットに、パンツにスニーカーという、ハイキングに出かけるいでたちだ。

 対する男性は、濃紺のブレザーに、アイボリーのゴルフズボン。後ろのトランクにはゴルフバッグでも積んでいるのだろうか。女性は、そのようなことを考えながら、男性のハンドル捌きを注視している。

 運転が乱暴なら、「買い物をしたいから、そこのコンビニで止めてください」と言って、逃げるつもりだ。見ず知らずの他人を乗せて、いい加減な運転をする男は、危険だから。

 ヒッチハイクはこれが2度目だが、彼女は前回、その手の男に続けて出くわし、危ない目に遭っていた。

 最初は小型トラックだった。トラックは助手席に乗らざるをえない。そんな単純なことを、乗るまで気が付かなかった。実家のある伊豆の伊東に帰るのに、なんでそんな、と思われるだろうが、父が倒れたと聞いて、列車じゃ時間がかかると考え、駅に行く途中に、無我夢中で手を上げた。

 すると、一台の古ぼけた2トントラックが停まってくれた。しかし、あとがいけなかった。その運転手は、小田原を過ぎたあたりで、突然モーテルにトラックを乗りつけた。あとはどうなるのか、バカでもわかる。

 女性は、「用事を思い出した」と言って、トラックから飛び降りると、林の中にあったモーテルから全速力で走った。脚力には自信がある。中学と高校は陸上部の短距離でならしたから。そのほかにも……。

 林から道幅6メートルほどの県道に出た。バスを待つしかないと思ってバス停を探しながら、太陽の沈む方向にさらに走った。すると、国産のオープンカーが突然、脇に停止した。

「お急ぎでしたら、どうぞ。熱海方面に行きます」

 と、運転席の男がにこやかな笑顔で言った。これもあとで悟ったことだが、男がにこやかな笑顔を見せるときは、クセモノだ。下心で満ち満ちていると考えた方がいい。

 女性は無論、後部座席に乗ろうとしたが、そのオープンカーはツーシート。後部には小さなトランク一つきりしかない。つまり2人乗り。乗れるのは、助手席だけ。女性がためらっていると、「お嬢サン、ご心配いりません。ぼくはこれですから」と言って、右の手の平を立てて、左の頬にかざした。ゲイらしい。ホントかよ!

 で、仕方なく、本当に仕方なくだ。グズグズしていると、トラックのバカが追いかけてくる。で、彼女は、「失礼します」と言って、助手席へ。

 狭い、狭過ぎるッ! シフトレバーを握る男の左手が伸びてきて、彼女の腿に触れそうになった。悪い予感がする。

「ぼくの親爺が近くで牧場をやっているンですが、牛をご覧になりますか。絞りたての牛乳をご馳走しますよ」

 なんだか、悪い男ではなさそうだ。だから、

「行ってみようかしら……」

 なンて、おバカさんなンだろう。彼女は男の話を鵜呑みにして、県道から逸れて林道に入った車の窓から、周りの木々を見ていた。

 ところが、車1台分のわだちしかない林道を5分、10分走っても、林は一向に開けない。むしろ、道はどんどん狭く、凸凹になっていく。

「もう、いいよね」

 突然、車がストップして、男が言った。

 何がいいンだッ。パカ野郎ッ! 彼女が少林寺拳法の有段者であることを知らないらしい。知らなくて当然だろうが、女の子がひとりでヒッチハイクをするンだ。ふつうの娘にできる芸当ではない。そこにナニかあると考えるのが、ふつうの男の思考だろうがッ。

 で、彼女は、男が運転席から降りて、助手席のドアを開け、彼女の手を掴もうとしたその瞬間、その手首をひねり、男の体を肩に掛けて、2メートル先に投げ飛ばした。男は、腰をしたたか打ち付けてうなっている。

 仕方ない。こんな林の中に置き去りには出来ないから、彼女は車後部の小さなトランクを開けて、男の上半身だけをそこに入れ、自身は運転席に腰掛け、オープンカーを運転した。

 ツーシート&オープンカーは初めてだったせいか、運転しづらいこと、この上なかった。それにマニュアル車だったから、久しぶりのクラッチ操作に戸惑い、何度も道端の木に車体をこすりつけた。まァ、この程度の器物損傷は、男の強制猥褻と比べると、かわいいものだ。

 どうにか県道まで戻ると、気がついたらしく、トランクの中から、「おれを殺す気ィかッ!」と泣き叫ぶ男を無視したまま、彼女はその場に車を乗り捨てた。

 バタバタ動く男の両脚が、トランクから突き出ている珍妙な光景を振り返りながら、彼女は再び県道をひた走った。

 その日の3台目が、軽トラックだった。脚の突き出たオープンカーが見えなくなるまで走った頃、荷台にメロンを乗せた軽トラックが通りかかり、急にスピードを緩めた。

「アレッ、キヨちゃんだ。キヨちゃんだよね。高校3年のとき、同じクラスだった……」

 あとで、彼女が彼の元同級生とよく似た他人の空似だったための勘違いとわかったが、そのときはどうでもいい、早くそこから離れたい一心で、

「手伝うから、乗せてって、ヨォ!」

 と言って、荷台の、メロンの詰まった段ボールの隙間に飛び乗った。

 軽トラは、メロンの集荷場に行き、男が作業場のスタッフと話をしている間に、彼女はこっそりその場から走って逃げた。

 それが、1ヵ月前の話だ。

 このセダンの男はどうだろうか。

 この男のハンドル操作は、丁寧とまでは言えないが、並みの運転をしている。二重丸まではいかない、ふつうの丸だ。

 彼女の、「どちらまで行かれるのですか?」の問いに対して、彼は、

「どこでも、あなたの希望次第、というのは冗談だけれど、三島には行きます」

「ありがとう。三島まで乗せていただければ、助かります」

 道は県道から国道1号線に戻っている。車の通行量は多い。彼女が立っていた歩道は、小田原の風祭付近。有名な蒲鉾店の前だった。神奈川県小田原から実家のある伊東までは、およそ50キロ弱だが、今回は急ぐ旅でもないから、三島から西伊豆を経て伊豆半島をぐるりと、時計の逆回りに一周して実家に帰ろうと決めていた。それに下田には、用事があった。

 小田原から三島までは、一般道だと約2時間余りかかる。ヒッチハイクは前回で懲りているはずなのに、どうしてまた、と自分でも思うのだが、心の底では楽しんでいたのだろうか。この男性が、ふつうの男であることを願う。

「乗せていただいて、こんなことを言うのは失礼ですが……」

 この空間で、無言の時間が5分以上続くのはよくない。

「エッ、なんですか?」

 男性がバックミラーにチラッと目をやる。穢れのない眼だ。

「どうして、車を止めてくださったのですか?」

 こんなことを聞いても余り意味はない。本当のことを言うわけがないからだ。でも、ヒッチハイカーとしては、通過しなければいけない「質問事項」だと、ものの本に書いてあった。

「あなたが魅力的だったから……」

「エッ……」

 彼女はことばを飲んだ。彼女は3年前、4年生大学を卒業している。もうすぐ26才。卒業後は定職に就かず、アルバイトを転々としてきた。社会的に名のある職業に就いて、決められたレールの上を走る人生が、なんとなくつまらなく思えたからだ。

 これまでのアルバイトは、コンビニ、拉麺屋、ガソリンスタンド、ファミレスだった。両親は猛反対した。早く、なんでもいい。定職に就いて結婚しろ、と。しかし、バイト先でも、これという男はいなかった。口説いてくる男もいなかった。ファミレスの店長だった瀬宮和弘を除いて……。

 でも、瀬宮はバツイチのうえ、細かいことをうるさく注意する男だったから、結局その店はやめた。3ヵ月もいただろうか。結果的にバイトとしては、もっとも短い職場になった。

 彼女はバックミラーに映る男性の顔を改めて見た。

 車を止めるときも、ドライバーは選んだつもりだ。レイプ犯のような男はさすがに避ける。しかし、見た目でそれを判別するのは、本当を言って、難しい。

「これから、お仕事ですか?」

「仕事です。行楽に見えますか?」

 見える。だから、不思議に思えたから尋ねたのだ。しかし、三島、いや三島からまだ西に行くとして、どうして高速を使わないのだろうか。仕事なら、早くすませたいだろうに。

「行楽なら、ひとりで運転するのはつまらない……」

 そりゃそうだ。でも、彼女のような一人旅というのも、いまは珍しくないから……。

「お好きなものはありますか?」

 彼が尋ねた。食事はまだだ。彼もそうらしい。おなかはすいていないが、食べてもいい。

「お任せします」

「そォ。なら、もう少し走ってから、適当なお店に入りましょう。その前に、私、水浦穂波(みずうらほなみ)と言います。あなたは?」

「わたしは、夕木遊未(ゆうきゆみ)です」

 10数分後、2人は国道1号沿線でチェーン展開している拉麺店に入った。

 店に入る前、遊未は、車のナンバープレートをもう一度確認した。4ケタの数字のほかに、「東京 ね」と記されている。遊未は、そのナンバープレートの文字と数字を、ポケットに忍ばせているA8サイズの小さな手帳に、そっと書きとめた。


「遊未さん、おいしかったですか?」

「エッ、えー、まア……、水浦さんは?」

 本当は口に合わなかった。でも、穂波のおごりだったから、まずいとは言えない。

「ぼくも、おいしくなかった。三島は、拉麺はダメですね。ウナギが名物らしいから」

 彼は、「ぼくも」と言い、わたしの気持ちに沿って話している。遊未はなんとなく、このひと、いいひとなのかしら、と感じている。

 車は箱根のアップダウンを過ぎ、三島市に入った。

 穂波は運転席、遊未は助手席にいる。うっかりというか、拉麺店を出てから、車に近付くと、自然と助手席に乗ってしまった。これで問題はないのか。出会って、まだ2時間余りなのに。

「三島に入りましたが、三島はどちらがいいですか?」

 三島で降ろされると、修善寺方面に行く車を探さなければならない。厄介だ。

「水浦さんは、三島から、どちらに?」

 彼女は固唾を呑んで、彼の返事を待った。

「下田です」

「エッ、下田なら、熱海からのほうが……」

 伊豆半島を時計回りしたほうが、距離も少ないから、到着は早くなる。いや、それは余計なことだ。下田に行くのなら、まだまだ、この車に乗っていける。ありがたいと思わなけりゃならない。でも……。

「本当に、下田ですかッ!」

 「本当に」はないだろうが、つい口が滑った。

「下田じゃ、いけませんか?」

 水浦はおかしそうな笑みを浮かべて、聞き返す。

「下田なら、このまま一緒に乗せていただけませんか?」

「エッ!?」

 水浦は車を車道の脇に寄せ、停止させた。

「三島に行かれるンじゃ、ないンですか?」

 当然の疑問だ。「三島」と手書きしたノートを出していたのだから。非は彼女にある。

 どう説明したら、納得してもらえるのか。それとも、このまま車から降りたほうがいいのか。

 彼の表情に緊張感が表れている。

「わたし、実家が伊東にあるンです。伊東で両親がみかん畑をやっていて、手伝いを兼ねて両親に会いに帰るンです」

「それなら、そうと初めから言ってくだされば……」

 怒らせたか。

「伊東なら、湯河原、宇佐美、熱海と行ったほうが近い」

 そうなのだ。

「でも、あなたのことは責められない。ぼくも同じことをしているから。ハッハハハ……」

 穂波は、大笑いした。

「そうですよね。ハッハハハハハ……」

 遊未も彼につられるようにして笑った。

「水浦さん、お仕事は何をなさっておられるンですか?」

 拉麺をすすっているときも尋ねた。しかし、彼は、「車を運転するだけです」と、答えたきり、その質問を避けるように話題を変えた。でも、もう引き下げるわけにはいかない。

「この車を、下田に届けるンです……」

「エッ、届けるって、陸送ですか?」

 陸送なら知っている。つい最近、興味があって、求人募集している会社に出かけて面接したことがある。しかし、給与が安くて、とってもやってらンない、と思ってやめた。1ヵ月ほど前のことだ。

「そうです。陸送です。この車を下田まで運ぶンですが、熱海まわりのコースは何度も走っているから、今回は西伊豆のほうから行ってみようと思って。でも、陸送は、もうやめるつもりです」

「陸送でしたら、決められた時刻に届けないといけないンでしょう?」

「だから、もうやめようと……あなたのような方と出会ったから、これを機会に……」

「そんなの困ります。いつまで届けないといけないンですか?」

「明日のあさ8時半まで。時間はまだまだあります」

 しかし、陸送の給与は安い。長距離の場合、ホテル代なンか出ない。夜は、車のなかで寝るのが基本だ、と面接のとき聞かされた。そのことも、入社をとりやめた大きな理由の一つだった。

「このままだと下田に着くのは、夜になってしまいます。ぼくはホテルを予約しますが、遊未さんはどうされますか?」

「ホテルに泊まったら、赤字でしょ?」

「そォ、だから陸送はやめる」

 穂波は、きっぱりと言う。

「遊未さんは、この業界に詳しいですね」

「水浦さんは、おいくつですか?」

 失礼な質問だが、どうしても聞いておきたい。

「遊未さんより、2つ上……」

 と、言ってしまってから、穂波はわずかにシマッタ、という顔をした。

「エッ、わたしの年齢、ご存知なンですか!」

「いいえ、見た目で、そうじゃないか、と。ぼくは、30才です。外れていますか?」

「いいえ……ぴったり」

 と答えてから、遊未は、東京のバイト先の、店員のことを考えた。

 名前は「沼居熊次(ぬまいくまじ)」、26才。やめたばかりの和風ファミレスの同僚だ

 そのファミレスには、店長の瀬宮をはじめ遊未を含め11人の従業員がいた。

 熊次の生家は、下田近辺で肉牛を飼っている。家族は両親と妹が2人。ところが、ことし古稀を迎えたカレの父親が、脳梗塞で倒れたため、熊次は長男として酪農を引き継ぐ決意をした。同時に、事情を知った遊未は、伊東に帰る途中、熊次の父のようすをみたいと彼に申し出た。遊未が、西伊豆回りにした、もう1つの理由だ。

 熊次と、いま車を運転している穂波は、4つ違い。遊未はふと思う。これくらいの年齢差に、どんな意味があるのだろうか。わたしは2人の男性とつきあうつもりなのか。そんなことはありえない。わたしは、熊次に好意を寄せているが、彼が本当はどんなひとなのか、まだよく知らない。バイト先で、3ヵ月一緒に働いただけの関係だ。それなのに、彼の実家に行き、お父さまのお見舞いをしようとしている。なぜ? なぜ、彼に尽くそうとするのか。彼に、よく思われたいためなのか?

「水浦さんは、下田に着いたあと、どうされるンですか?」

「下田に行って、それで終わりです」

「ここから70キロほどだから、3時間弱、かかります」

「下田に着いたら、すぐに東京に戻られるンですか?」

「そのつもりでした。でも、いま思ったのですが、あなたにお願いできればと……」

「エッ……どういうことですか?」

「ぼくの実家は湯河原にあって、両親はメロンを作っています。いま、とても人手が足りないって、昨日手紙が来て、困っているンです」

「メロン、ですか……」

 メロンと聞いて、何かが遊未の心に引っかかった。しかし、それが何かはわからない。遊未の家はみかん農家だ。みかんとメロンでは大違い。でも、農家の仕事は知っているから、手伝うことはできるだろう。でも……。

 熊次は、わたしが実家に帰る途中、下田の彼の両親を訪ねたいと言うと、小田原で土産に蒲鉾を買って持って行って欲しいと言い、お金を手渡した。

「わたし、東京でバイトをしていたンですが、事情があってやめました。実家にしばらくいるつもりですから、お手伝いできないことはないですが……」

 伊東と湯河原なら、それほど遠くない。

 車は修善寺に入り、松崎方面に右折する。戸田、土肥、西伊豆、松崎と海岸伝いに走る。

 海に沈む夕日が美しい。あとは下田まで一本道だ。途中、小さな喫茶店に入り、2人でコーヒーを飲んだ。苦みが強かったが、遊未には最高においしく感じられた。穂波が目の前にいたからなのか。

「水浦さんは、ご長男ですか?」

「上に姉と兄がいます。ですから、こんな陸送なンて、のんきな仕事がやっていられるンです」

 じゃ、次男。熊次は長男だ。遊未は思う。熊次には下に2人の妹がいる。酪農は妹たちが引き継ぐことができる。

 いや、わたしの花婿候補なンて、これからもどんどん現れる。何も、手近なところで見つけることはない。わたしの頭はどうかしている。両親がせかせるから、無意識のうちに、結婚を急ごうとしているのかもしれない。

 再び、車に乗って走り出してまもなくだった。

「遊未さん、実は……」

 穂波の表情が一変した。

「ぼくはいままであなたを騙していました。すみません……」

「エッ? 何のこと?」

「ぼくはあなたのこと、前から知っていた。1ヵ月ほど前から、です」

「どういうことでしょうか?」

 遊未は、ハンドルを握る水浦のもう一つの顔を見る思いで、その左半分の横顔を覗く。

「遊未さん、メロンを積んだ軽トラックに便乗した記憶がないですか?」

「アッ……」

 そうだ。1ヵ月ほど前。初めてのヒッチハイクで、3台目に拾った車がそうだった。メロンの集荷場に行くというので、そこまで乗せてもらい、お礼も言わずに逃げてきた。

「あのときの運転手はぼくの兄です。兄から、あなたのことを聞いて、是非とも会いたくなった」

 車は伊豆半島の西海岸を軽快に走る。海は穏やかで、夕日が美しい。恋をささやくのに、これ以上の設定はないだろう。遊未は、そんなつまらないことを考えながら、彼の話に耳を傾ける。

 不愉快ではない。彼は信用のおける男性のような気がしている。

「兄がこっそり撮ったあなたの写真を見せられて、心がすくみました……」

 こんな口説き文句は初めてだ。

 彼は、一気にしゃべった。

 穂波の兄が、軽トラックの荷台に飛び乗った遊未を、信号待ちしている間にスマホで撮っていたという。

 穂波は、その写真に写っていた、遊未の着ていたジャンパーから、彼女の勤め先を突きとめていた。あのとき、遊未は、店がバイクの配達用に用意している店名入りのジャンパーを無断で持ち出し、ヒッチハイクする間、寒さしのぎにはおっていた。ジャンパーの胸には、ファミレスチェーンの名前と店名がプリントしてある。

 彼は、その店名を頼りに東京で遊未がバイトしている店に行った。そして、遊未の名前を知った。遊未と熊次が親しいことも。

 あとは店の同僚で、結婚している年配のベテランバイト女性の和乃蔵(わのくら)に接近した。熊次は和乃蔵を信頼している。

 店は常時従業員を募集している。店長の瀬宮が休みの日、穂波は履歴書を用意して、和乃蔵と面談した。そして、それとなく、遊未の実家が伊東にあり、みかん農家であることを聞き出していた。

 あとは、毎日店を訪れて、熊次と親しくなると、遊未が近く店をやめることや、彼女が伊東に帰ることを知った。さらに、遊未が熊次の実家に立ち寄り、熊次が小田原の蒲鉾店で土産を買って欲しいと依頼したことを知ると、陸送の仕事を利用して、蒲鉾店の前を何度も行き来して、彼女の姿が見えるまで待っていたという。

 本当だろうか。水浦さんの話は……。こんなにまでして、わたしのような女に会ってくれたことに、わたしはいまとても感激している。でも、でも……。遊未にはわからない。

 わたしの職場を見つけることができたとして、そんなに都合よく、こちら方面に運ぶ陸送車があったのだろうか。しかも、陸送の仕事は、のんびり走ってなンかいられないはずだ。時間が限られていて、こんな寄り道なンか、出来るはずがない、と思うのだが……。

「水浦さん、この車、陸送する車じゃないでしょう?」

「エッ!?」

 水浦は、ちょうどさしかかった海岸べりの空地に車を駐めた。遊未はこれまでの推理を話すことにした。

「水浦さん、この車はレンタカーです。ナンバーの「ね」は、レンタカーの「わ」に黒いテープを切って貼りつけ、「ね」に変えてある」

 水浦の顔色が急激に青くなった。本当なのだ。さっき、コーヒーを飲んだファミレスを出るとき、遊未が後部のナンバープレートを何気なく見ると、「ね」の部分の文字がわずかに浮いているように見えたからだ。

「レンタカーも専門の陸送会社があります。でも、レンタカーの陸送は、こんなものじゃない。もっと時間に厳しいはず。西伊豆に寄って、ホテルに泊まってなンかいられないと、一般陸送の面接の際、聞きました。だから、これは東京で借りてきた本当のレンタカーでしょう。水浦さん、わたしはあなたに悪い印象は持っていません。でも、男の方に、こんな形で告白されたことはありません。そんなにモテる女じゃない。それなのに、どうしてやさしくしていただけるのか。ずーッと不思議に思っていたンです」

 真っ赤な太陽が、穏やかな西伊豆の海に沈みかけている。

「遊未さん、ごめんなさい。実は、ぼくの話には続きがあります。これまでの話にほとんどウソはありません。ただ、あなたの働いていたファミレスに通ったのは、興味半分でした。わたしは東京で便利屋をしています。兄がかわいい娘を軽トラに乗せてきたが、いつの間にかいなくなった。怖がらせたのか、逃げられたようだ、と言うので、写真を頼りにあなたを探し当てた。そして、あなたを見て、心を引かれた。でも、それ以上に、あなたに近付くのは失礼だと思った。だって、あなたには、沼居熊次さんという恋人らしき男性がいるとわかったからです。そして、近く退店することも。だから、忘れるつもりでした。ところが……」

 ファミレス店長の瀬宮が、足繁く通ってくる穂波が便利屋と知って、こんなことを頼んだと言う。

「うちのウエイトレスの夕木遊未という娘が、こんど家庭の事情で、一時店をやめて実家に帰るのですが、どんな女の子か調べて欲しい。男性の誘惑に弱いのか、どうか。わたしは離婚したバツイチの男ですが、こんどは結婚に失敗したくない。だから、好きになった彼女の素顔が知りたい。伊東に帰る彼女に近付いて、どんな娘なのか……。彼女はヒッチハイクが好きらしいので、それがとても心配ですが、そのヒッチハイクにあなたが車で彼女を拾って乗せるようにして、うまくできないでしょうか。幸い、熊次という同僚の男性が下田の実家の両親に、好物の蒲鉾を小田原で買って土産にもたせるという話を聞きましたから、その小田原でうまく拾えないかと。未来の花嫁に危険なヒッチハイクなンかして欲しくない。それが、あなたに今回の仕事を依頼する一番の目的です……」

 最初はファミレスのお客にすぎなかった穂波は、店長の瀬宮によほど信用されたらしい。ミイラとりがミイラにならない保証はないのだから。

 しかし、遊未は考える。わたしは店長には全く関心がない。バツイチというだけではない。わたしに好意を寄せているというそぶりを、これまで全く見せていなかったからだ。

 女は結婚して家庭を持ち、こどもを生み、こどもを育てる。それが本当に女の幸せなのだろうか。わたしには、まだよくわからない。でもいま、わたしのそばに好ましいと思える男性がいる。ウソをついてわたしに近付いたが、正直に話してくれた。しかし、彼の話にはまだまだ、確かめなければいけないことがある。

 次は下田だ。今夜のホテル……。

「わたし、下田に泊まります。わたしの部屋も一緒に予約していただけませんか?」

「いいですが……」

 水浦は車から降りると、電話をかけた。そのすっきりした表情に、遊未は改めて、好意をもった。


 その夜、2人は。下田の駅前にあるビジネスホテルに入った。もちろん、それぞれシングルの部屋だ。隣合わせで、ともに少し幅広のセミダブルのベッドがある。2人は、近くの居酒屋で楽しく夕食をとった。

 翌朝、遊未の部屋のベッドは空だった。

 遊未は水浦のセミダブルのベッドのなかで、彼の体に、しっかり身を寄せていた。

                (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒッチハイク あべせい @abesei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る