邪神の恩返し
童女が行き倒れていた。
俺の部屋の前—――アパートの通路でぐったり身体を投げ出して、神が倒れていた。
年齢が幼稚園児ほどに見え、腰まである長い黒髪を一つ結びでくくっている。ある一点をのぞけば、どこにでもいる普通の童女だった。
神社の巫女さんがよく着るような装束を着ていることをのぞけば。
「……ふむ」
しばしこの非日常感が漂う光景を凝視したあと、俺の灰色の脳細胞は一つの結論を導き出した。
警察を呼ぼう。俺の手には余る。
スマホをポケットから取り出し、「1」をプッシュしたところで、何者かに片腕を物凄い力で掴まれた。
超痛い。
まあ何者かって、その場には俺と童女しかいないのだけれど。童女は倒れ伏したまま、その細腕を伸ばし、俺をその場に縫い留めていた。
「な、何?」
童女は瞳をうるうると潤ませると、口をぱくぱくと動かした。その可愛らしい動作に心を奪われかけるが、俺の腕が掴まれ続けていることも忘れてはならない。大の大人の力並みの、いやそれ以上の怪力だ。
童女がしきりに訴えかけているのだが、桜色の唇はぱくぱくと動くばかりで意味をなさない。喋ることができないのだろうか。
巫女さんのコスプレをしているのなら、日本語は通じるだろうという当て推量のもと、俺はコミュニケーションを試みた。
「俺の言葉はわかる?」
こくり。首肯が返ってくる。
おお。まだ何も成していないが、一筋の光明が見えたぞ。
「どうしてここにいるの?」
これには何もジェスチャーを返さない。
「パパとママは?」
これにもジェスチャーを何も返さない。
「君の名前は?」
何も答えてくれない。だんだん片腕の感覚が麻痺してきた。
「ええっと、離してくれないかな?」
これには首を振る。いっそう強い力で掴まれた。まじか。
そうか。反応を示してくれた質問は、YESかNOで答えられるものばかりだ。
質問のやり方を工夫して再度コミュニケーションを試みることにした。ちょっとやそっとじゃ、腕は振りほどけそうにない。
「君は近所の子?」
こくり。
そうだよな。この年頃の子が長距離を移動できないよな。
「一人でここまで来たの?」
こくり。
バイタリティあるな。
「家族が探してるんじゃない?」
ぶんぶんと、首を振った。
両親ともに共働きで忙しいのかもしれない。
「その巫女服はコスプレ?」
これにはきょとんとして、何の反応も示していない。コスプレの意味が分かっていないらしい。
ここらへんで神社といえば、自転車でひとっ走りしたところにある禍々神社だけど、もしかしてそこのお子さんかな。
「おうちは
こくり。
頷いた!俺はこのミッションの終わりを確信し、ここまでの道程の長さに涙した。
禍々神社まで彼女を丁重に送迎し、おうちの人に挨拶し、なんならお礼として菓子折りでももらったりして。
「じゃあ、君を禍々神社まで送っていこうか」
ぐーきゅるる。
童女の腹の虫が鳴った。
質問を重ねていくうちに、童女は探検に出かけた折に、空腹に耐えきれなくなって行き倒れていたと判明した。その倒れ場所がどうして俺の部屋の前だったのかは分からない。
申し訳程度に部屋を片付けたあとに、童女を招いて一緒に夕食を食べた。スーパーの冷凍食品と、三日目のカレーという褒められたラインナップじゃないけれど、童女はとても美味しそうに腹に収めていた。
誰かと食べる時間はいいものだ。童女の天真爛漫な笑顔は、忘れかけていたその感覚を思い出させてくれた。
もしも今後童女との交流があるのなら、部屋は綺麗に片づけておこう。童女はテレビにはあまり興味を示さず、俺が趣味で散らかした一角を食い入るように見ていたのだ。あんなにみられると恥ずかしい。まあ、若い男の小汚い部屋なんて、もう二度と足を踏み入れないと思うけど。
童女を自転車に乗せて、禍々神社までひとっ走り。小さなレディはすやすやと俺の腹に手を回して寝入っている。童女は羽根のように軽い。
禍々神社の前に着き、黒い鳥居の前に俺は自転車を止めた。俺は童女をおんぶして、鳥居の真ん中をくぐった。神様が通る道は真ん中だから、人間は端を通りなさいとか神社の参拝作法を説いたりするけれども、俺はあまりそういうのは気にしない。
「おーい、着いたぞー」
童女を揺り動かしても、童女は深く寝入ってしまっていてさっぱり起きない。
作務所と書かれた事務所に灯りが灯っている。
「すみませーん」
ドンドンと叩くと、巫女服の女の人が出てきた。俺と年が変わらない。
「なんですか?」
夜に入って辺りも真っ暗だからか、少々声に棘がある。さっさと用件を済ませることにしよう。
「この子、ここの子なんでしょう?迷子になったみたいなので連れてきました」
「はぁ」
女の人は訝しげに俺のことを上から下まで眺めた。その態度に苛立つ。自分の子どもではないかもしれんが、勤め先の子どもならもっとよくよく目を配って然るべきではなかろうか。
……いや、俺が言っても詮無いことだ。
「じゃあそういうことで」
「はぁ」
菓子折りももらえないまま、俺は自転車に飛び乗った。もう関わることがない話だと知りながら、あの童女の行く末に気を揉みながら。
そういえば。
今となってはどうでもいいことだけど、先ほどの女の人のように、巫女服は白い着物に緋色の袴が一般的だよな。あの童女はどうして、全身黒ずんだ赤色の巫女装束だったのだろうか。
ところが、むしろ、ここからがこの話の本題だ。
あれから一週間が経った。
俺の元には感謝状が届いたわけでもなく、巫女服の童女が遊びにやってくるわけでもない。その代わりに毎日、ちょっとした品が届く。
初日は三角の積み木。
二日目はひびが入った電子マネーカード。
三日目はピースが足りないジグゾーパズル。
四日目は空気が抜けた自転車のタイヤ。
五日目は美少女フィギュアの片腕。
犯人は、いや差出人はもう検討がついている。彼女を送り届けた翌日から、返礼品のように品物がドアの前に置かれている。幼稚園児ながらにして、礼儀が行き届いている。
少し食事をごちそうしたくらいで、ここまでお礼をしてくれるだなんて。童話のとある狐がせっせと食べ物を運んだエピソードを思い出す。
彼女が運んでくるのは食べ物ではないけれど、とても俺好みのものだった。恩返しをする相手の趣味を心得ているというか―――ああ、だから、あんなにも食い入るように部屋の一隅を眺めていたのか。
聡い子だ。
彼女の来訪に備えて、部屋のものを若干片付けたが、俺好みのものをプレゼントしてくれる子ならば、そんなに気を遣わなくていいかもしれない。それどころか、彼女のこの趣味に浸ってくれる同士となりえるかもしれない。
俺はつい今しがた完成させた1000ピースのミルクパズルを眺めた。
そして真ん中をぶち破る。白いピースがハラハラと雪のように床に落ちる。ピースを何度も素足で踏みつけて、俺は笑っていた。
嗚呼、なんて美しいのだろう。一度完成させたものを粉々にぶっ壊す快感は何者にも代えがたい。
ボタンの目を抉ったテディベアのぬいぐるみ、翼が折れた美少女天使のフィギュア、フロント部分を潰したミニ四駆。骨を露出させた人体の右足。俺の部屋はそんなコレクションで埋まっていた。
とてとてとて。
あの子の足音がする。
毎度決まった時刻に、あの子はやってくる。
昨日はマネキンの頭部を持ってきてくれた。
とてとてとて。ずりずりずり。
あの子の足音と一緒に、何かをひきずる音がする。
怪力なあの子は、大きい贈り物も運んでくれる。
さて、今日は何を持ってきてくれたんだろう。
どさり。
お題:神様、残骸、荒ぶる恩返し
ジャンル:ホラー
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