エピローグ

第21話 借り物は、本物に

 三カ月、六カ月と過ぎて、記念日のバラが三本になった日。俺は紗代さんにプロポーズをした。


「俺の希望としては、すぐにでも籍を入れたい。でも結婚式は入念な準備が必要だから、後からやろう!」


 理由はあれだ。俺の理性の糸がそろそろ限界で、はち切れそう。

 だけどそんなロマンのないこと、紗代さんには言えない。

 彼女は全部俺が初めてで、とっても大切な女性だ。だからゆっくり進んでるところなんだけど、抱きたい。すごく抱きたい。でも大切にしたい。

 そんな葛藤の末にたどり着いた答えは、結婚して初夜を迎えようというもの。それなら紗代さんも、覚悟が決まるのではないか。


「私は、それでも全然いいよ」

「本当? 俺と結婚してくれる?」

「うん。プロポーズ、うれしい」


 ほにゃりと笑った紗代さん。

 たまらず俺は、彼女の唇へキスをする。

 長いキスも、濃厚なキスも、だいぶ慣れてきた紗代さん。そのまま彼女の全てを暴いてしまいたい衝動を必死に堪え、とろんとした色っぽい表情になった紗代さんを解放する。


「婚約指輪もあるよ。左手の薬指にはめてもいい?」


 こくんと彼女が頷いて、ソファ脇の棚の引き出しを開けて、ビロードの箱を取り出した。

 記念日のデートは、俺の家でするのが習慣となっている。なぜなら、キスがしたいから。

 外だと、例えどんな暗がりで人気がない場所だろうと、紗代さんからキスの許可が下りないんだ。

 記念日は、紗代さんの手料理を食べて、俺の家でひたすらイチャイチャする日。


「わぁ……。素敵」


 うっとり呟く紗代さんの目には、涙が滲んでいた。


「実は、婚姻届もある」

「え?」


 戸惑いの声を上げられるのは想定内。

 しかも差し出した婚姻届は、紗代さんの記入欄以外の全てが埋まっている。


「紗代さんに隠れて準備したんだ。お義父さんとお義母さん、也実さんと徹くんからの許可も取ったよ。うちの親にも、プロポーズが成功したら結婚するって言ってある」


 ぽかんと口を開けて、紗代さんは婚姻届へ視線を注ぐ。

 保証人欄には、俺と紗代さんの、それぞれの父親の名前がある。


 俺のプロポーズ作戦は先月から進行していて、也実さんと徹くんが協力者。


 俺の家族と紗代さんは対面済み。結婚前提のお付き合いなのだから、自然な流れだろう。

 本郷家と長峰家の顔合わせも済んでおり、俺たちの結婚は、両家からの許可が下りている。


「也実ちゃんが、ヒロくんは計算高いって言ってた」


 三カ月目の記念日にお願いして、愛称で呼んでもらえるようになった。

 ヒロくんと俺を呼ぶ紗代さんは、たまらなく愛しい。


「計画的って言ってもらいたいな」

「それなら、ヒロくんのこれからの計画は?」

「紗代さんに書いてもらった婚姻届を持って、長峰家に報告に行く。それで、役所へ行く」

「今日?」

「今日」

「引っ越しして、新婚旅行に行って、旅先で紗代さんの初めてをもらうよ。だから、覚悟を決めておいてね」


 左手で紗代さんの腰を抱き、右手はするりと、柔らかな紗代さんの左胸を包むようにして触れる。


 ゆでダコになって、あわあわと震えている紗代さん。このまま押し倒してしまいたい。


「愛してるよ、紗代。俺にあなたの全部、ちょうだい」

「よ……よろしく、おねがいします」


 震える声がくれた、許可の言葉。


 俺たちはその日、本物の恋人から、生涯を共にする夫婦となった。



   ※



 妻名義の、広い庭付きの戸建て。

 表札には、「長峰」と「本郷」の姓。

 リビングを飾る写真立てには、ウェディングドレス姿の美しい妻と、彼女にでれでれの俺が並んで立った結婚式の写真。

 産まれたての赤ん坊の写真に、正月に家族で撮った集合写真もある。


「おはようございます。お義父さん」

「ああ、おはよう、大翔くん。紗代はまだ寝ているのかな」

「はい。今はまだ、昼夜の区別がないみたいで」


 そうかと告げたお義父さんは、膝に寝そべるチロちゃんの頭を撫でた。


「まだもう少し、チロはさみしいなぁ」


 結婚して、俺がこの家に越して来て、俺たち夫婦の寝室は二階になった。その内一階へ移動するつもりではあるけど、産まれたばかりの赤ん坊とチロちゃんは、まだ対面できないのだ。


「ごめんな、チロちゃん。紗代が起きたら、たくさん撫でてくれるからな」


 お義父さんの膝の上で、チロちゃんは首を傾げる。


「大翔くん、朝ごはんは?」


 台所から掛けられた、お義母さんの声。


「いただきます」


 今日は休日。お義母さんとお義父さんと朝食を済ませ、チロちゃんはお義父さんと一緒に散歩へ出掛けた。

 俺は、愛しい妻と息子の様子を見るため、二階の寝室へ向かう。

 扉を開けると、紗代がベッドに腰掛け、授乳しているところだった。


「おはよう、紗代。朝ご飯、食べられそうなら持ってこようか」

「ありがとう。お願いしてもいい?」

「わかった」


 返事をしてから、俺の視線はお乳を吸う我が子に釘付けとなる。


「かわいいよね」


 俺の視線に気付いた紗代が、優しい顔で微笑んだ。


「本当にね。ママのおっぱいはパパのだけど、今は貸してやるからたくさん飲めよ」

「何を言ってるのよ」

「紗代の全部は俺のものだ」

「……ヒロくんの全部も、私のものだよ」


 言った後に恥ずかしくなったようで、真っ赤に茹だった愛しい妻。

 隣へ腰掛け、あふれる愛情をこめて、細い肩をそっと抱く。


「愛してるよ、紗代」

「私も愛してるよ、ヒロくん」


 こめかみへ口付けたら、紗代は心底幸せそうに笑った。


「あー……幸せだなぁ」

「ふふっ。そうだね」


 レンタルから始まった関係は本物となり、これからどんどん幸せを積み重ねながら、俺たちは手をつなぎ、歩いていく――。

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