サイドストーリー
直也くんと、也実ちゃん
俺の初恋の人は、つんつんした雰囲気の、気の強い女の子。
幼稚園が一緒で、小学校と中学校も一緒だった。
幼稚園の頃、彼女は別の場所に住んでいて、小学校一年生の途中で、俺の家の向かいにあるボロアパートへ越してきた。
それから、おばさんとおじさんの姿を見ることは、ほとんどなくなった。
親に捨てられたかわいそうな子供たち。
そんな噂が近所に流れて、同級生の何人かが、彼女に真相を訪ねたことがある。
「二人とも、仕事が忙しいだけ。お母さんは夜遅くに帰って来て、也実と徹の頭を撫でてるよって、お姉ちゃんが言ってたもん! お父さんだって、毎日電話、してくれるもん!」
ツンと顎を上げて告げた彼女が、俺の目には、格好良く映ったんだ。
うちの母親がよく、おかずを多めに作って長峰家へと持っていっていた。
「ねぇ、直くん。これを也実ちゃんのおうちに持っていってくれないかな」
「えー? なんでー?」
「お母さんが持っていくとね、紗代ちゃんがすごく申し訳なさそうにするから。直くんからなら、受け取りやすいんじゃないかなって、お母さん思うの。お願いしてもいい?」
「んー。いいよ! 紗代姉ちゃん、遊んでくれるかなぁ?」
「どうかなぁ? あんまりお邪魔は、しちゃ駄目よ」
「はーい。あ、テッちゃんにおもちゃ持っていこー」
母から頼まれたおつかい。
俺は一人っ子だったから弟がうらやましくて、当時幼稚園児だった徹は、俺にとってもかわいい存在だった。
母から託されたおかずのタッパーの入った紙袋を腕に下げ、徹と遊ぶためのおもちゃを抱えた俺は、向かいのボロアパートへと向かった。
一階の、真ん中の部屋。
インターフォンには手が届かないから、拳でドアをドンドン叩く。
「紗代姉ちゃん、俺だよ、直也だよ。あーけーてー」
小さな足音が聞こえて、すぐにドアが開いた。
「直也くん、遊びにきたの?」
「うん! テッちゃんと也実ちゃんはいる?」
「いるんだけど……」
紗代姉ちゃんは、とっても困った顔をしている。
首を傾げた俺の耳に、二人分の泣き声が届いた。
徹は「おかあさん」と口にしながら泣いていて、也実が「徹のばか」と言いながら、ぼろぼろ涙をこぼしているのが見える。
学校では強気の也実が泣いている姿にびっくりして、俺は間抜けにも、ぽかんと口を開けて立ち尽くした。
「二人がケンカしちゃって。ちょっと遊べそうにないかも。せっかく来てくれたのに、ごめんね」
七つの俺にとって三つ上の紗代姉ちゃんはしっかりものの上級生だったけど、大人になって思い返せば、自分だって子供なのに、一人ですごく頑張っていた偉い人だと思うんだ。
「ケンカ、なんで?」
「徹はまだ小さいから、お母さんがいなくて寂しくなっちゃったみたい」
母親を呼んで泣く徹。
我慢しろと、怒りながら言い聞かせようとする也実。
二人を見ていたら、俺まで涙があふれそうになった。だけど、涙がこぼれる前に袖でこすって、俺は徹を呼ぶ。
「テッちゃん! 俺、毎日遊びに来るよ! だから、寂しくないだろ!」
「……なおにい?」
「直兄が、たくさん遊んでやる! おもちゃも好きなの貸してやるから、泣いて姉ちゃんたち困らせたら駄目だ。テッちゃんは男なんだから、テッちゃんが姉ちゃんたち、守らないとなんだぞ!」
「ぼくが、おねえちゃん、まもるの?」
「そうだ! 男同士の約束だ!」
二人の姉に順番に視線を移して、徹が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を袖で拭う。
「ぼくが、まもる」
それ以来、徹は泣かなくなった。
約束どおり、俺は毎日長峰家に顔を出した。
放課後はランドセルを家に置いてすぐ、母が用意しておいてくれたおかずを持って、ボロアパートを訪ねる。
紗代姉ちゃんが家の中をパタパタ動き回るのを見ながら、俺と也実は、徹と遊ぶ。
仲が良すぎる俺と也実を見て、からかってくるクラスメートがいたけど、也実はそいつらに「ナオは私の家族なんだから、仲がいいのは当たり前でしょう」と言い放った。
そうか、俺は也実たちの家族の一員なんだって、こそばゆくてうれしいと感じたのを今でも覚えてる。
だけど、その「家族」は思春期になると、とても邪魔な肩書きになったんだ。
「なりちゃん、彼氏ができたらしいんだけど、直兄じゃないって言うんだ」
高校生になった也実と俺は、別々の学校に通っていた。
徹は中二。この時の徹の目標は、特待生でいい高校に入って、いい大学に進学して就職すること。たくさんお金を稼いで、両親と紗代姉ちゃんを楽にさせたいと、毎日勉強を頑張っていた。
「あー……だから最近、帰りが遅いのか」
俺は高校生になっても変わらず長峰家に入り浸り、復習がてら、徹の勉強を見てやるのが日課。
「帰りが遅いのはバイトしてるから。俺、なりちゃんは直兄を好きなんだと思ってた」
「家族としてなら好かれてるっぽいけど、也実にとって俺は、そういうのじゃないらしい」
「どういうこと?」
「大切だから、家族がいいんだって」
「何それ? 意味わかんない」
「本当にな」
中学の卒業式の後の春休み。俺は、也実に好きだと告げた。だけどフラれた。
彼氏彼女は別れがあるもので、家族は別れない。だから俺とは、家族のままでいたい。
不思議な也実の持論。
「家族っていうなら、俺にも考えがある」
「何? 俺も手伝おっか」
「也実に恨まれるかもしれないよ」
「なりちゃんは怖いけど、俺は直兄に会えなくなるほうが嫌だ」
「かわいいなぁ、徹は」
「だからさ、頑張ってくれよな、直兄!」
男二人の秘密の計画。実るまで、十二年かかった。
成長すれば幼馴染みは自然と距離を取るものなのかもしれないが、俺は絶対に、也実と距離は置かなかった。
その間、也実は何人も恋人を作っては、すぐに別れるのを繰り返す。
「也実ちゃんってば、変な意地を張ってるみたいなの」
紗代姉ちゃんが就職して、也実は短大を卒業してから幼稚園の先生になって。四大に進学していた俺は、まだ学生。
「意地って、何?」
「直也くんより、いい人見つけるんだって言ってるよ」
「也実が他の男と結婚したら、俺はここに遊びに来られなくなるのかな」
「そうなったら、私は嫌だな」
「そうなるつもりはないけど、まだ、計画の途中だから」
「もう。二人とも意地っ張りなんだから」
「ごめんな、紗代姉ちゃん」
「……私はね、也実ちゃんには、直也くん以上の人って見つからないと思うんだ」
「そうだったらいいんだけどね」
紗代姉ちゃんに背中を押され、徹に応援されて。弱気になった日もあったけど俺は、ずっと也実が好きだった。
諦められなかった。
也実の容姿に惹かれる男はたくさんいて、だけど気の強い性格が災いしてか、自分の手には負えないと言ってフラれるのがお決まりのパターン。
俺はそれを、すぐそばで見てきた。
就職してから三年。機は熟した。
仕事終わり、特大の花束を抱えて、長峰家を訪ねた俺。
俺の姿を見た也実が、なぜかつらそうに顔を歪める。
「也実。俺と本物の、家族になろう」
これは、フラれるのかな。
そんな予感と共に花束を差し出せば、也実はぽかんと口を開けた間抜けな顔になった。
「……私?」
「そうだよ。俺はずっと、也実が好き」
「ナオは、お姉ちゃんが好きなんでしょう?」
「紗代姉ちゃんは好きだ。でもそれは徹への好きと同じ。俺が結婚したいのは、也実なんだけど」
「うそ」
「ほんと」
「なら私、今まで……バカみたいっ」
ぼろりと大粒の涙が、也実の目からこぼれ落ちる。
「もしかして、也実はずっと、俺が紗代姉ちゃんを好きだって勘違いしてたの?」
「だって、子供のときに言ったじゃん!」
也実が言うには、子供の時の俺は「大人になったら、紗代姉ちゃんは俺のお嫁さん」発言をしていたらしい。
全く記憶にない。
「高校入る前、俺は也実が好きだって言ったよな」
「一時の気の迷いだと思った」
「いや、なんだそれ」
「だって、お姉ちゃんは優しいし、お嫁さん向きだもの。私はかわいげがなくて、ナオのお嫁さんには向いてない!」
「俺は也実が好きで、也実と結婚するために就職先選んで、毎日仕事も頑張ってる。俺は也実以外と結婚するつもり、ないんだけど。也実は、俺が嫌いなの?」
「好きだけどっ」
「なら結婚しよう。それで、別れることのない家族になろう」
その後も、也実を素直にさせるのに苦労したけど、紗代姉ちゃんと徹の助けもあって、俺たちは無事、本物の家族になれた。
「也実、愛してるよ」
照れ屋で素直じゃない、俺の愛しい人。
「突然何よっ」
「也実は俺を?」
「愛してるわよ、ばか」
怒りながら、体当たりするように也実は俺に抱きつき、肩口へ顔を埋めた。
「ほんとかわいいよな、也実って」
今の俺たちには子供が二人。引っ込み思案な男の子と、お兄ちゃん大好きっ子の女の子。
まだもう一人ぐらい欲しいなと耳元でささやいたら、也実は赤い顔で、キスをくれた。
来年あたり、俺たちにはもう一人、家族が増えるかもしれない。
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