第19話(紗代) お金で、彼の心は買えますか?1

 ヒロトくん――本郷大翔さんは、プライベートでも、とても紳士的な男性だった。


 痴漢に遭った恐怖を薄れさせようと食事に誘ってくれて、他愛のない会話で緊張をほぐしてくれた。

 お礼がしたいのだと伝えれば、彼が選んだ場所は美術館。

 レンタル彼氏としてヒロトくんを雇ったデートのとき、私が行きたいと言った場所だ。


「どうしよう、也実ちゃん!」

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫じゃないの!」

「相手は警察に突き出したんだろ? 裁判とかって話になるのか? 紗代も弁護士探さないとだよな」

「……何の話?」


 土曜の朝一で訪ねて来た也実ちゃんと徹。

 話が噛み合っていないことに気付いて、私は首を傾げる。


「お姉ちゃん、昨日痴漢に遭ったんでしょう? お母さんから聞いて、心配で様子見に来たんだよ」


 すっかり頭から飛んでしまっていた自分に、愕然とする。


「痴漢、遭った。助けてくれた人と、午後からデート」


 そこから長峰家は、大騒ぎとなった。


 お母さんは大喜びで、お父さんはチロを抱きながらびっくり顔。

 也実ちゃんは痴漢に大激怒。

 徹は興味津々の様子で、本郷さんがどんな男性かを聞いてくる。


「すごく……素敵な人。あ、名刺をもらったよ」


 警察署の後で食事に行ったのだと話してから、自室へ名刺を取りに行った。見せておいたほうが、家族も安心するだろうと思ったからだ。

 名刺を持って居間へ戻ると、也実ちゃんの痴漢への怒りはとりあえず落ち着いたみたいで、みんなの興味はデート相手に移った。


「昨夜の食事は結局奢っていただいちゃったから、何かお礼がしたいって伝えたの。それで、デートにって」

「なかなかスマートに誘う男の人だね」

「なりちゃん、この人の会社、あそこだよ。大企業」


 徹から渡された名刺を確認して、也実ちゃんは頷く。


「職業だけを見れば、悪くない相手かもしれない」

「それでね、どうしよう。昨夜、お酒でふわふわしてて何も考えてなかったの。爪とか、お化粧とか、髪の毛は巻いたほうがいいと思う?」


 どう見ても舞い上がっている私を見て、也実ちゃんと徹がうれしそうに笑った。


「爪と髪は任せてよ、お姉ちゃん」

「服は俺が見繕ってやるよ。男受けするデート服。花凛から借りて来ようか?」

「服は、この前たくさん買ったの。それを着たいけど、どれを着たらいいかは見てほしいな」

「オッケー。部屋入って見て来ていい?」

「うん。お願い」

「じゃあお姉ちゃんは、お風呂入って」

「お風呂? 昨夜入ったよ?」

「デートなんでしょう? いろいろやることあるよ!」


 準備から既に、すごく楽しい時間だった。


 支度に時間がかかり、待ち合わせの時間ぎりぎりになってしまった。

 待ち合わせ場所ヘの階段を降りている途中で、彼が既にそこにいることに気が付いた。


――大変! 格好良すぎるよ!


 心臓が破裂してしまいそうなほど、ドキドキした。


 本郷さんとのデートは、なんだかふわふわ、夢心地。

 作品を眺める真剣な横顔。

 耳をくすぐる、低くて穏やかな声。

 笑顔がとってもかわいい男の人。


 彼といると、心臓が言うことを聞かない。

 顔が勝手に、熱くなる。

 もしかしたら、これが恋なのかな?


 だけど――彼のこの行動はきっと、ただの善意で。顔見知りの人間があんな目に遭っていたからと、気遣ってくれているだけなのだ。

 それに彼の仕事は、いろんな女性とデートすることで。私にするように、誰とでも手をつなぐし、かわいいもキレイも、言い慣れている。


 胸の奥が、つきりと痛む。


 彼の善意のおかげで、日曜日も一緒に過ごせた。

 これ以上、お礼がなんだと言い続ければ迷惑だと思われてしまうかもしれない。だから私は、口をつぐんだ。

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