レンタル彼氏を好きになってしまったけど、諦めるしかないって、わかってる
第17話(紗代) お金で、自信を買おうと決めた
前日の仕事終わりに、ネイルサロンで爪をキレイに飾ってもらった。
事前に用意しておいた服や鞄に靴は、全部雑誌の真似っこ。
メイクもいろいろ研究してみた。
髪の毛を巻くのは、妹に頼まれてよくやっていたから、なんとかできる。
「よし! ……変じゃ、ないよね?」
鏡の中の自分に問うてみた。
足元でじゃれついて来るチロちゃんを抱き上げ、勇気を分けてもらう。
「今日はママ、お出掛けしてくるからね。お母さんに、夜のご飯とお散歩頼んでるから、いい子で待っててね」
この子を飼い始めてから二年。犬ってもっと吠えるものかと思っていたけど、チロちゃんはのんびり屋さん。
ご飯が欲しいときは、ちょっと吠える。お散歩の要求は、じっとこちらを見つめてくる。絶対に人間の言葉を理解してる、かしこかわいい、私の天使。
「紗代ー? そろそろ出掛ける時間じゃないの?」
母から声を掛けられて、私はチロちゃんと共に自室から出た。
私の名義で建てたこの家は、チロちゃんの生活空間を一階に限定したくて、お風呂に台所に居間、私と両親の部屋は全部一階にある。二階には、客間と物置部屋と小さなシャワー室があり、ベランダを、洗濯物を干すためのスペースとして使っている。
「お母さん。也実ちゃんと徹には、絶対に内緒だからね」
「わかってるわよ。あんたは気にせず、楽しんでらっしゃい」
「どうしよう……ドキドキしてきた。変な所、ないかな?」
「とーってもキレイ! かわいいわよ。自信持って」
「もう。お母さんは、私が太っててもそう言ってた」
「だって本心だもの」
母からの大絶賛を受け、私は家を出た。
居間にいたお父さんから「珍しいな。オシャレして、デートか?」と聞かれて、顔が赤くなっちゃったから、バレバレだったかもしれない。
楽しんでおいでと、のんびり言われた。
うちは長年貧乏で。両親の助けになる金額が当たらないかなという願望のもと、私は定期的に、宝くじという夢を買っていた。
それが、まさかキャリーオーバーを重ねた一等賞が当たるだなんて。信じられなくて、最初は何度も確認して、両親にも確認してもらって、現実なんだって理解した。
今ではこっそり億万長者。だけど仕事は、辞めずに続けてる。
だって、全てが変わってしまったら、それはなんだか怖いことのように感じたから。
お父さんも、定年までは仕事を続けるって言っていた。
お母さんは掛け持ちしていたパートを全部辞めて、家のこととチロちゃんのお世話、孫たちや家族のフォローに専念することにしたみたい。
これまでたくさんたくさん頑張っていた二人が、少しでものんびり過ごせるようになっていたら、私はうれしい。
私は私で、自分のためにお金を使って、今日はプロの男性とのデートに行く。
今まで、そういうことには縁がなくて。一度お見合いはしたけど、うまくいかなくて。
自分に自信を付けようと頑張ってみたけど、生身の男性は、まだ怖い。
ホストは、なんだか危ない気配。だから職場の人から聞きかじった、レンタル彼氏というものを利用してみることにした。
プロの人ならひどい言葉は吐かないだろうし、個人情報についても、偽名と、このためだけの携帯電話も契約した。
待ち合わせ場所に着いて、そわそわ待つ。
サイトを見て、たくさん考えて、フレッシュと呼ばれる新人さんよりも料金は上がるけれど、レギュラーと呼ばれる慣れた人のほうがいいかなと思って、そこから一人を選んだ。
優しそうで、穏やかな笑顔が好印象の男性。かなりのイケメンだったけど、お金を払ってのデートだし、いいよね?
「……レイコさん?」
私の偽名を呼ばれ、心臓が跳ね上がる。
「あ、はい。ヒロトくん、ですか?」
写真よりも、想像よりも、素敵な男性が現れた。
絶対に好きになったら駄目だと、再度、自分に言い聞かせる。これは今日一日限定の、疑似恋愛なんだから。
「あのね、彼氏に服を選んでもらうっていうの、やってみたくて。……いいかな?」
緊張から、声が震えてしまった。
もともとファッションに疎くて、家族はみんな、私が何を着てもかわいいと喜ぶから全く参考にならない。
愛情による家族補正が多分にかかっている。
妹も弟も両親も、本気でそう思ってくれているのはわかる。だけど、世間的な評価は、自分でちゃんとわかっていた。
私が独身で居続けることに責任を感じている両親を安心させるため、これから婚活を頑張るから、私にはデート服が必要なのだ。
レンタル彼氏のヒロトくんは、とてもいい助言者だった。
戸惑う私に気が付いて、いろいろなアドバイスをくれた。着回せる服を選び、着回しのコーディネートまで一緒に考えてくれた彼とのショッピングは楽しくて、彼氏ってこういう感じなんだなと、胸の奥がこそばゆい。
ヒロトくんは本当の恋人みたいに私に接してくれて、この人は正真正銘のプロなんだなとも感じた。
「うちの家、ずっと貧乏で」
お昼ごはんを食べながらの会話もあまりに楽しくて、家族の話をした流れで、普段は誰にも言えないことを話してしまいたくなった。
彼は今日一日だけでお別れする人で、私から接触しようとしなければ、二度と会うことのない人だから。
お金を払ってるんだし、いいよねという甘えもあった。
「昔、お父さんは、小さな会社の社長だったの。だけど会社の人にお金を持ち逃げされて、同時期に、保証人になってたからって友達の借金を背負うことになったんだ」
あの頃のことは、也実ちゃんは少しは覚えてるかもしれないけど、五つだった徹は全く覚えていないだろう。
「お父さんは、お金をたくさん稼ぐために家にはなかなか帰って来られなくなったの。お母さんも仕事を掛け持ちして、私が家のことをやってね。妹と弟の面倒を見てたんだ」
うちの妹と弟は本当にいい子でかわいいのだと告げると、ヒロトくんは、とても優しい顔で微笑んだ。
「俺も妹がいるから、気持ちわかるよ。生意気なところもあるけど、ケンカしても結局ほだされて、許しちゃうんだ」
「私たち、お兄ちゃんとお姉ちゃん同士なんだね」
そうだねと告げた彼は、静かに笑う。
彼のまとう優しい空気は、とても心地がいい。
ヒロトくんの妹さんは、彼の二つ下。二十歳で高校の先輩と結婚したらしい。妹夫婦はヒロトくんのご両親と実家で暮らしていて、五歳と二歳の姪っ子がいるんだと教えてくれた。
お互いの家族の話をするなんて、ますます恋人みたい。
彼が聞き上手なのも相まって、ついつい心を許して、いろんなことを話してしまった。
「妹は、私と違ってすっごくキレイな子なの。性格も優しいんだよ。家のこともたくさん手伝ってくれる、とってもいい子」
「レイコさんよりもキレイって、芸能人か何か?」
「スカウトされたことはあったみたい。だけど、レッスン費が結構高かったみたいで。妹自身も興味はひかれなかったんだって。あの子、高校から先は進学しないって、就職するって、気を使ってたの。でも、高卒でのお仕事って、限られるじゃない? それに、あの子には夢があったの、知ってたから」
「夢?」
「うん。幼稚園の先生。私、自分の進学で奨学金のこと、たくさん調べてたから。あの子の担任の先生と相談して、説得したんだ」
「それなら、妹さんの夢は叶ったの?」
当時を思い出し、自然、私の頬が緩む。
「妹は、幼稚園の先生になって、ずっと好きだった幼馴染みの男の子と結婚したの。今では二児の母で、とっても幸せそう」
「そうか。それはよかったね。レイコさんもうれしそう」
「それで、弟はね」
「うん」
「頭が良くて、運動神経も抜群なの」
「得意げだね?」
「だって、自慢の弟なんだもの。かわいいの!」
「へえ。レイコさんは心から、妹と弟が大好きなんだね」
「大好き。世界で一番大切」
想像以上の、とっても楽しいデートだった。
あっという間に時が過ぎて、魔法の解ける時間が近付く。
最後まで彼は彼氏の役割を全うしてくれて、このまま、これからも関係が続いていく……そんな錯覚に陥った。
逃げるように別れた後で電車に乗り込み、私は火照った頬を手の甲で冷ます。
今日の思い出があれば、幸せな余韻に浸ったまま生きていけそうな、ふわふわ不思議な感覚。
未練が残らないように、ヒロトくんと連絡を取るのに使っていたスマートフォンはその場で電源を落とし、次の日すぐに解約の手続きをした。
それで、彼とは二度と会うことはないはずだった――。
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