第14話 こだわり過ぎたら、なかなか先へ進めないと思うだろ?1

 花凛ちゃんは妊婦で、也実さんは授乳中。紗代さんの手には乳飲み子の奈緒実ちゃんが預けられ、俺は男性陣に「飲みに行くぞ」と両脇を捕まえられて連行された。


「ちょっと徹! 直也くんまで!」


 直也さんから唐突に奈緒実ちゃんを手渡された紗代さんはきょとんとした後で、二人の行動にぎょっとしている。


「お姉ちゃん。お乳が張って痛いよぅ」

「え?」

「紗代さーん。赤ちゃんがお腹の中で運動会してるー」

「リンちゃん、大丈夫? 也実ちゃんは、授乳するの?」


 紗代さんが妹たちに引き止められている間に、俺はさらわれた。


「一言、いいかな」


 マンションの外へと連れ出された俺は、目付きの鋭いイケメンと爽やかパパに確認する。

 二人は無言で、こくりと頷いた。


「誤解が解けて、お付き合い開始で、この後は二人きりでラブラブ幸せタイム開始じゃないんですかね」


 叫びたい気持ちは、ぐっと堪えた。


「まだまだ時間はたくさんあるよ」


 直也さんは、どこまでも爽やかに微笑む。


「いくら太ってたからって、あんなに天使みたいにかわいい紗代が、どうして今まで恋人もファーストキスも経験ないか、わかる?」


 へにょ眉になった徹くんが、困ったように笑った。


「紗代自身、そういうのに興味がなかったってのもあるけど、周りのガードも固いんだよ。特に厳しいのは、なりちゃんだけどさ。俺も、紗代が傷付くのは嫌だ。だから、ちょっと付き合ってよ」

「俺は、也実の代わりの試験官だと思ってね」


 直也さんは、確実にこの状況を面白がっている。


「そういうことなら、お供します」


 これは断れないやつだと理解して、合意の上で、さらわれることにした。


 駅前の、昼から酒を提供している店に入り、それぞれが適当に注文した。

 とりあえずは瓶ビールにして、乾杯してから喉をうるおす。

 口火を切ったのは、徹くんだった。


「本郷くんさぁ、父さんの借金のことは、聞いてんの?」

「聞いてるよ。相当な金額だったんだってね」

「紗代はさぁ、父さんにそっくりなんだよ。お人好しで。だけど知らずに騙されるんじゃなくて、理解した上で騙されてやるタイプなの。父さんより立ち悪いの。誰かが泣くなら、自分が傷付くほうを進んで選ぶの」

「それは、周りは心配だね」


 グラスの中身をぐいっと飲み干して、徹くんは頷く。

 隣に座っている直也さんが、空になったグラスへビールを注いだ。


「父さんの借金は、友達のために負ったんだ」


 レンタルデートの時に、その話も聞いていた。


「俺となりちゃんはその事、成人するまで知らなかった」


 なるほどなと、腑に落ちた。


「うちが貧乏なのは理解してたし、両親は仕事の掛け持ちで、ほとんど家にいられなかった。なりちゃんと俺の面倒を見てたのは紗代で、俺たちにとって紗代は、姉で母親なんだ。だけど、俺らの過ぎた愛情で、紗代は肥えた」


 バイトで家計を助け、弟妹の面倒を見て、家事をして。育ち盛りの弟妹に食べさせて、自分はあまり食べなくて。

 也実さんが高校生になり、惣菜店でバイトを始めてからは、残り物を持ち帰ってきて紗代さんに食べさせた。

 紗代さんは、也実さんの気持ちがうれしいと喜んで食べたらしい。

 徹くんがバイトをしていたのはケーキ屋で、同じく余り物をもらってきては、大好きな長女へ献上した。

 結果、紗代さんはふくよかになり、油分の多い食べ物と、家計を助けるバイトと勉強で睡眠時間を削っていたために、肌も荒れた。


「紗代は恨み言、なんにも言わないんだ。いつもにこにこ笑ってさ。そんな紗代に惹かれた野郎はいたけど、なりちゃん見ると心変わりしやがって、そういう輩は俺となりちゃんで脅して、紗代から引き離した」

「過激な姉弟愛だね」

「紗代には、幸せになってもらいたい」


 わかるよと俺が頷くと、徹くんの隣で直也さんが苦笑を浮かべる。


「お義姉さんはきっと、そういうのも全部察してたんだろうね。だから、自己評価も低い」

「俺となりちゃんはさ、紗代を守ってたつもりなんだよ。だけどそれは結局つもりだけで、なりちゃんも俺も相手見つけて結婚して、紗代は未だ一人で。ヤバい、失敗したんだって、気付いた」


 そこでふと、俺は疑問に思った。


「レンタル彼氏とのデートは、誰の提案だったの?」


 そこまで固く守られていたのなら、レンタル彼氏なんて疑わしいもの、也実さんと徹くんが許可するとは思えなかった。


「紗代が、俺らに内緒で全部一人で決めたんだ。俺となりちゃんがそれを知ったのはつい最近。痴漢事件の後」

「なかなか衝撃的な出来事だったよねー。也実はかなり動揺して、なだめるのが大変だったな」

「痴漢? は? から始まって、助けてくれた人からデートに誘われたってのは、まだいいよ。俺らも邪魔せず、背中を押した。でも金曜の夜に、なりちゃんから紗代が泣いてるって連絡来て、詳細聞くために昨日集まって、全部聞いた。惚れた相手がレンタル彼氏なんだって聞いた瞬間、よし、殺そうと思った」

「……もしかして俺、これから殺されるの?」

「殺さないよー。そこは越えてるから、安心して」


 物騒な話を爽やかに否定する直也さん。柳のような人だ。彼なら、気性の激しそうな也実さんともうまくやれるのかもしれない。


「昨日お義姉さんが君に電話したでしょう? あれ、スピーカーにして、俺らも聞いてたんだよね」

「マジですか……」


 相当恥ずかしい。

 酔っていた上に、かなり俺は、紗代さんからの電話に浮かれてデレデレしていた。

 赤くなった顔を両手で覆った俺の耳に、二人分の笑い声が届く。


「あの電話で俺は、これは邪魔したら駄目なやつだって、思った」

「也実もね、紗代さんがあまりにも幸せそうだったから、背中を押すことにしたんだよ」

「んで、今日偶然会って、俺と紗代のこと勘違いしてショック受けてる本郷くん見てさ、応援しようって決めたんだ。だけど一つ、言いたくて」

「何かな」

「紗代を傷付けたら、どんな手使ってでも、地獄に落とす」

「肝に命じておくよ」


 彼女は家族を愛していて、家族も、彼女を心底愛している。やっぱりすごく、素敵だなと思った。


「うん。いいね、その目。俺も、大翔くんを応援するよ」


 満足そうに微笑んだ直也さんの言葉で、俺は首を傾げる。


「待って。俺、どんな目してました?」


 答えず、直也さんは、ただ静かに笑った。教えてくれる気はないようだ。


「……じゃあ、俺からも一つ。紗代さんは、也実さんと徹くんの存在に救われてたって、言ってたよ。貧乏で大変だったけど、頑張る理由があったから、頑張れたんだって」


 紗代さんから聞いた話。伝えたら、徹くんは無言で涙をこぼし、涙を乱暴に拭った後は、愛しいものへ想いを馳せる表情で――笑った。

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