第12話 制御できない衝動を恋と呼ぶのなら、これは俺の初恋だ3

 新婚ほやほや感丸出しのマンションの一室。

 飾り棚には幸せそうに笑う新郎新婦の写真が飾られ、室内の家具も真新しい。

 写真の中の新郎は、紗代さんの弟だ。イケメンでなければ似合わないだろう純白のタキシードがよく似合っている。

 まるで絵本の中の王子様。

 目付きは異様に鋭いが。


「昨夜の出来事とこれまでのことをテツくんから聞いて、実物の本郷さんが気になってたので、お会いできてうれしいですー」


 俺の前にはお腹の膨れた妊婦がいて、にこにこ楽しそうに笑っている。


「紗代さんって天然記念物だと思うんですよー。初めてお会いした時は、こんな善良な大人が世の中に存在したのかって驚いてー。だから、本郷さんが悪い男だったら、どうメタメタにしてやろうかと」

「かりーん。それは胎教に悪いんじゃねぇか?」

「やだ、ごめーん。素が出ちゃった」


 テヘ、とわざとらしい動作で自分の頭に拳を当てた妊婦は、なかなかクセが強い人間の気配。

 長峰花凛は、紗代さんの弟である徹くんの奥さんだ。

 夫から胎教に悪いと指摘された彼女は、大きなお腹を擦りながら我が子へ話しかけている。


「だってねー。ママは紗代さんがだーいすきだって、君もわかってくれるでしょう?」


 紗代さんから話を聞いて察してはいたが、長峰家はかなり仲がいいようだ。紗代さんの妹の夫、弟の妻も交えて遊びに出掛けることがよくあるのだと言っていた。


「宝くじの話は、知ってるんですよね?」


 花凛ちゃんから確認されて、俺は頷く。


「紗代さんってば、最初みんなに配ろうとしたんですよ。私と直也さん、あ、也実さんの旦那さんなんですけど、也実さんはご存知ですかぁ?」

「紗代さんの妹さんだよね? 名前だけは知ってるよ。紗代さんの口から一番よく聞く名前だから」

「でー、その也実さんの旦那さんと私で説得して止めてー。だって、私と直也さん、さらに子どもたちにまで一億ずつって。そんな大金いらないから、お願いだから自分のために使ってって、みんなで説得したんですよぉ。びっくりしません? 普通、ひとりじめして隠すと思いません?」

「そうだね。だけど、紗代さんらしいなって思うよ」

「ベビーグッズとかめちゃくちゃ買ってくれてー。どこかに寄付でもしたほうがいいのかなとか言いだすから、それも止めてー。だって、なんかそこから情報が漏れて詐欺とか、怖いことに発展するかもじゃないですか。絶対紗代さん、騙されちゃうだろうし」


 なぜ俺が、妊婦の花凛ちゃんと向き合って座りこんな話を聞いているのかというと、ドラッグストアでの買い物の後で、徹くんから食事に誘われたからだ。

 だが、奥さんが身重で動けず、帰って昼食の支度をしなければならない。だから家までおいでと、半ば強引に連行された。

 徹くんが運転する車の後部座席で、俺の隣に座った紗代さんが終始申し訳なさそうに眉をへにょらせていたのがかわいかった。

 その紗代さんは今、エプロンを身に着け、徹くんと共に台所に立っている。

 紗代さんの手料理。うれしすぎて、楽しみすぎる。


「みんなね、心配してたんすよぉ。だって、レンタル彼氏ってプロじゃないですかー」

「……ちなみに、俺の話って紗代さんからどういうふうに聞いてるの?」


 途端、花凜ちゃんはにんまりと、悪どそうな笑みを満面に広げた。


「全てを知ってるのは多分也実さんですけどー。私は徹くんから、『紗代がプロ彼氏の魔の手にかかった! どうしよう!』って」

「そりゃ、いい印象はないよね」


 苦笑を浮かべた俺の目を見て、花凛ちゃんは食えない笑みを浮かべる。


「まぁ、周りがわあわあ言ってもね。あとは本人から聞いてくださーい」


 パチリとウィンクをした花凛ちゃんは、お腹を擦りながら優しい表情。そこに徹くんがやって来て、花凛ちゃんの隣に座ると一緒になってお腹を撫でる。


「本郷くん。紗代が照れて、台所から出てこない」

「それは緊急事態。ゴー!」

「ゴー!」


 テンション高めの徹アンド花凛夫妻に促され、俺はソファから立ち上がった。

 台所を覗くと紗代さんが、完成した料理を前にフリーズしている。


「紗代さん? それ、運ぼうか?」


 声を掛けると飛び上がりそうなほどに驚いた紗代さんが、涙目の赤い顔で、俺を見た。


「本郷さんにこんな物、食べさせていいのかな……」

「全部うまそうだよ。お腹減ったな」

「もうちょっとなんか、おしゃれな物を作ればよかったかも。リンちゃんのことしか考えてなかった」

「妊婦さんだもんね。食べる物、気を使うよね」

「……本郷さん」

「何かな」

「弟が強引で、ごめんなさい」

「明るい性格みたいだね。しかもイケメン」

「目付きは悪いけど、いい子なの」

「うん。それはなんとなく、伝わってくるよ」


 ほっとしたように、紗代さんの表情が緩む。


「えっと……お話しとか、いろいろ、しなきゃですけど……」

「まずはご飯、食べる?」

「はい」


 初めての紗代さんの手料理は、毎日食べたいおいしさだった。



   ※



 食後のお茶を飲み、そろそろお暇すべきかなと考え始めたところで、インターフォンが鳴った。

 誰よりも早く反応した徹くんが、インターフォンの画面に表示されただろう相手を確認もせずに、玄関へと速足で向かう。


「……嫌な予感がする」


 慌てて立ち上がった紗代さん。

 花凛ちゃんは、訳知り顔で笑ってる。


「来ちゃった」


 語尾にハートマークが付いていそうな言葉と共にリビングへ入って来たのは、紗代さんとはまた違うタイプの美女。

 シャープな目元が、徹くんとよく似ていた。


「也実ちゃん! やだ、直也くんに奈緒実ちゃんまで!」

「どーもー、お義姉さん。徹から連絡もらって、俺も一緒に、来ちゃった」

「也実ちゃん、謙ちゃんは?」

「謙也はまだ、じいじとばあばといる。リンちゃーん。だいぶお腹大きくなったね!」

「はいー。まだもう少しお腹の中で育てなきゃで、動くの禁止令が出ててつらいですー」


 なんとなく、把握した。


 目元がシャープの美女は、紗代さんの妹の也実さんで、乳飲み子を腕に抱いているのがその夫なのだろう。それで、謙也というのが紗代さんの甥っ子で、彼はまだ祖父母と共にいるようだ。


「なりちゃん差し置いて、俺が本郷くん本人に会って飯まで食ったなんて後から知られたら怖いから、連絡しちゃった」


 語尾にハートマークを付ける話し方をすれば許してもらえると信じているかのように、クール美女と目付きの鋭いイケメンは、長女である紗代さんへと擦り寄った。

 怒りなのか、赤い顔でぷるぷる震えつつも条件反射という感じで、紗代さんの手は弟と妹の頭を撫でている。


「いやぁ。あの姉弟、目の保養だよね。ぷにぷにのお義姉さんに擦り寄る也実と徹の図もかわいかったんだけどさ。これはこれで、いいよね」


 乳飲み子を腕に抱き、爽やかな笑顔を浮かべた男性が、俺の横に立つ。


「どうも、也実の夫の佐藤直也です」

「本郷大翔です。はじめまして」

「大翔くん、ごめんね。長峰姉弟って基本強引だから。お義父さんとお義姉さんが、長峰家の良心というか、菩薩様というか。あれ? 菩薩は女性だっけ?」

「神様って性別ないんじゃないんですかー」

「そうだっけ。奈緒実ー。花凛おばちゃんだぞー」

「奈緒実ちゃーん。また少し大きくなりまちたかー?」


 なんだか、めちゃめちゃわちゃくちゃな状態で、込み上げる笑いをこらえながら俺は、自由奔放そうな彼らを見守ることにした。

 弟妹に捕まっている紗代さんのほうへ目を向けると、バチリと視線がかち合う。


「本郷さん! ごめんね! 本当に、ごめんなさい! 外に行きましょう、今すぐ」


 これまで見たことないほどの素早い動作で、絡み付く四本の腕から逃れた紗代さんが、俺のもとへと駆け寄った。


「泣かないでいいよ。俺は大丈夫だから」


 紗代さんの手が俺の腕に回されている状況はすんごくうれしいけれど、紗代さんが泣きそうな顔をしているから、指先で、潤んだ目元にそっと触れる。


「――本郷大翔さん」


 クール美女の妹さんに名を呼ばれ、思わず、俺は背筋を伸ばした。


「也実ちゃん、ステイ!」

「やだ! 私からお姉ちゃんを奪うその男、私が見極めるんだもん!」

「本郷さんは絶対いい人だよって、昨夜、也実ちゃんも言ってたでしょ!」

「私は言ってないもーん。言ったのは、直也と徹だもの」

「でも、お姉ちゃんがしたいようにしてもいいって言ったよ」

「だってー。お姉ちゃーん」


 甘える子犬のような瞳に、紗代さんが怯む。

 俺の腕に巻き付いた紗代さんの腕に、力が込められた。


「だって、也実ちゃんはかわいいから、本郷さん、也実ちゃんのこと好きになっちゃう!」


 紗代さんの瞳から涙がこぼれた瞬間、直感で、自由奔放な長峰家の人々と心が一つになったと感じる。


「いや、それはない」


 初対面のクール美女と、意図せず声がそろった。

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