第11話 制御できない衝動を恋と呼ぶのなら、これは俺の初恋だ2

「うあぁ……飲み過ぎた」


 朝日が降り注ぐベッドの中、俺は一人、うめき声を上げる。

 これまでの経験からすると、昼までには酒は抜けそうだ。

 ベッドから抜け出して冷蔵庫を開け、二日酔い用のドリンクを飲む。

 水を飲んでから熱いシャワーを浴びれば、だいぶスッキリした。

 紗代さんとの待ち合わせは十三時。

 それまでは仕事でもするかと、パソコンを開いた。


 だけど……どうにも落ち着かない。

 チラチラ、時計にばかり目がいってしまう。

 こうなったらいっそのこと、外に出て飯でも食って時間を潰そうと、俺は着替えて家を出た。


 待ち合わせ場所は長津田の駅だ。だから俺は電車に乗って長津田へ向かい、そこで適当な店へ入ろうと考えた。

 何を食べようか。

 考えながら駅前の複合商業施設の前で、視界の隅に捉えた人影。


 見覚えのある美しい女性は、紗代さんだった。


 彼女はこちらに気付いていない様子。服装は、俺が一緒に選んだ物の中の一着で、今日はワンピースだ。

 もしかしたら予定が早く終わって、俺と同じように時間を潰しているのかな。なんて願望を胸に、彼女へ声を掛けようと一歩踏み出す。


「紗代!」


 俺じゃない男の声が、紗代さんを呼んだ。


「車の鍵、紗代が持ってない?」

「そうだっけ? ごめんごめん」


 買い物後で、食料品の詰まったエコバッグを両手に持った男と、親しげに話す紗代さん。

 男は、目付きの鋭いイケメンだ。俺みたいに努力の上に成り立つものではなくて、もともとの素材がいい、生まれつきのイケメンタイプ。


 鞄の中から取り出した車の鍵を男へ手渡す紗代さんの姿を、俺は呆然と見守った。


 男が俺に気付き、視線がかち合う。


「ほら、見てみろよ、紗代。道行く男が見惚れるぐらい、紗代はキレイなんだって。なりちゃんは性格悪いのにじみ出てるけど、紗代は中身もキレイだから、自信持てって」

「もう! そういうこと、大きな声で言わなくていいから!」


 親しげに、男の頭をぺしりと叩いた紗代さん。男に促され、彼女もこちらへ視線を向けた。


「本郷さん?」

「え! あれがそうなん?」


 紗代さんの言葉に、なぜか一緒にいる男のほうが慌て始める。


「美人を連れた同性への妬みの視線かと思ったら、嫉妬の視線だったのか! ごめん、紗代! 多分あの人勘違いしてる!」

「ねぇ、てつはいちいち声が大きいよ。ちょっと、痛い、押さないでっ」


 男にぐいぐい押されながら俺の元へ近付いてくる紗代さん。俺は、羞恥で熱が上った顔を片手で覆って隠す。

 紗代さんは、彼をてつと呼んだ。それは紗代さんの、弟の名前だ。


「本郷さん、早いですね。……どうかしました?」


 俺が顔を隠していることを訝しみ、紗代さんは心配そうな声を出す。


「……この辺で、食事でもして時間を潰そうかと思ったんだ」

「そうだったんですね。でもごめんなさい。私まだ、弟のお嫁さんからの頼まれごとが終わってなくて」

「いいよ、紗代! じゃなくて、姉ちゃん!」

「お姉ちゃんなんて呼ぶことないのに、どうしたの?」

「ああもう、ニブニブニブ子なんだから! すんません、本郷さん。俺らが姉ちゃんを過保護に育て過ぎたばっかりに」

「徹、何言ってるの?」


 心底わからないという様子で首を傾げる紗代さんと、俺の勘違いに気付いて必死に弁明しようとしている弟さん。

 堪えきれず、俺はぶはっと噴き出した。


「紗代さんは、気にせず用事を済ませてきて平気だよ。俺が暇を持て余して、勝手に早くここへ来たんだし。彼は、弟さん?」

「そうです。弟のてつです。奥さんが妊娠中で、今はあまり運動しちゃいけない時期だから、食料品の買い出しに来たんです。この子だけだと心配だって、お願いされて」


 昨夜、紗代さんの家にお泊まりした妹さんのお子さんは、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に公園で遊んでいるらしい。


「ども、紗代の弟の長峰徹ながみねてつです! あ、もしご心配でしたら、免許証も見せましょうか?」

「では、念の為」

「オッケー!」


 人懐っこい笑みを浮かべた彼は、財布から免許証を取り出した。

 そんな俺たちのやりとりを、紗代さんが不思議そうに眺めている。


「昨夜もみんなで言ったけどさ、安心しなよ、紗代。この人、本気で紗代に惚れてるっぽいから」


 カラカラと気持ちのいい笑い声を上げた弟さんの言葉に、紗代さんが赤面する。


「本郷くんさ、もし暇なら紗代について行ってくれないかな。俺は車にこれ、置いてくるから」


 よろしくと告げて、彼は去っていく。

 二人でその背中を見送ってから、俺は、未だゆでダコ状態の紗代さんへ視線を向けた。


「どこ行くの?」

「ドラッグストアに……」

「一緒に行ってもいい?」

「ご迷惑でなければ……」

「俺は全然。早めに会えて、すごくうれしい」

「……私も、です」


 ゆでダコで、ぷるぷる震えながら絞り出された声。

 さっき一瞬地獄へ落ちた俺の気分は、急浮上した。

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