第5話 感謝してはいけない相手に、感謝したい2

「紗代さん。肉、うまい?」

「おいしいです」

「ワイン、飲んでみる? 肉と合うよ」

「……飲んでみたい」


 今日は金曜で、明日は土曜。

 俺の目の前で肉を頬張る彼女は既に、とろんとした顔をしている。

 電車の中での迷惑行為と、警察で梗塞されたストレスの発散目的で、グラスビールを一杯飲んだからだ。

 あぁかわいいな、なんて思ってデレデレしながら、俺は自分の飲みかけのワイングラスを差し出した。

 ためらうことなく受け取った彼女はグラスに口を付け、赤ワインを味見する。


「どう?」

「おいしい!」

「同じの、頼む?」


 こくんと首が縦に動いたから、店員を呼んで彼女用に赤ワインを注文した。


「さっきの話。婚活が怖いって、何かあった?」


 程よく腹が満たされて、酒も入り緊張がほぐれたタイミングで、聞いてみる。


「手始めに、アプリで始めてみたんです」


 結婚相談所も考えたが、一度お見合いで失敗した経験のある彼女は、新しい方法を試してみようと考えたようだ。

 ちなみに破談になったお見合いはダイエット前のことで、相手から、容姿を理由にお断りされてしまったらしい。

 その経験もあったから、悔しさをバネに自分改造にチャレンジして成功させた彼女は、なかなかガッツがあると思う。


「メッセージ、いろんな人から、毎日たくさん来るんです。良さそうかなと思った人が、すぐにアプリ外での連絡先を聞いてきて。不安で妹に相談したら、ネットワークビジネスの人じゃないかって。なんだか人間不信になりそう」

「気軽に始められるから、そういうのもいるよね。紗代さんの話を聞いてると、妹さんってしっかりした人みたいだね」


 酒が入ってからは敬語も取れて、レンタルデートの時のように気安い空気になった。


也実なりみちゃんのほうが姉みたいって、よく言われるの。私の、自慢の妹なの」

「弟さんは? 何て名前?」

てつは、本郷さんと同い年なんだよ」

「二十九?」

「そう。高校は特待生だったし、奨学金で大学行って、ちゃんと卒業して、奨学金も全部自分で返して。真面目ないい子なの」

「紗代さんも、同じだろ?」

「私は、真面目と勉強しか取り柄がなかっただけ」

「素敵な取り柄だと思うよ。両親の借金も、返済完了させてあげたんだろ?」

「それは、運が良かっただけ」

「でも、ひとりじめもできたのにそうしなかったの、俺は偉いと思う。紗代さんは、家族が好きなんだね」

「うん。大好き。宝物」

「素敵だね」

「ありがとう。本郷さんは、私のこと、たくさんほめてくれるね。いい人」


 ワインを飲んで更にほにゃほにゃになった紗代さんがかわいくて、かわいすぎて、俺もデレデレとろけそう。


「そうだ。お礼がしたくて。何がいいんだろう?」


 こてんと首を傾げた紗代さん。

 彼女と同じ方向に首を倒し、俺は答える。


「明日、一緒に美術館に行かない?」

「美術館?」

「興味はあるんだけど、行ったことがなくてさ。紗代さんが良ければ、一緒に行って、教えてほしいんだ」

「そうなの? いいよ~」


 ふにゃふにゃ笑いながら、どこがいいかなとスマホで検索を始めた紗代さんを眺めながら、俺は内心ガッツポーズ。


 行く場所と待ち合わせ場所と時間を決めてから、帰路につく。


「家、どこ?」

「こっち~。かえれるよ」

「だーめ。送るよ」

「きゃー、やだイケメン。ジェントルメーン」


 こんなかわいい酔っ払いを一人で夜道歩かせるなんて、危険過ぎる。

 機嫌良く鼻歌を歌って歩く彼女の半歩後ろを、俺は歩いた。


 まだ新しい一軒家の前で立ち止まり、彼女が俺を見上げる。


「美術館は、デートなの?」

「そうだよ。普通のデート。明日は俺が全部払うから」

「デートが、お礼なの?」

「うん」

「変なの。でも……楽しみ」


 無防備で、無邪気な笑み。

 破壊力は抜群で、俺の理性がぐらぐら揺れる。

 必死にこらえて、優しく笑う。


「俺も、楽しみにしてる」

「今日は本当にありがとう。ご飯も、ごちそうさまでした。今日もね、楽しかったよ」

「俺も」

「おやすみなさい」

「うん。おやすみ」


 玄関の扉が閉まり、彼女の姿が俺の視界から消えるまで、見送った。


 電車の中での不快な記憶が楽しい記憶で上塗りされていたらいいなと願いながら、配車アプリでタクシーを呼び、俺も自宅へと帰った。

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