第6話 美術館にいる彼女が天使にしか見えない件について
レンタルの時のデートは都内だった。今回は、お互いの最寄り駅がわかっているから、俺からお願いして彼女が電車に乗る駅の構内で待ち合わせした。
昨日、あんなことがあったばかり。紗代さんが一人で電車に乗るのが心配なんだと伝えれば、彼女は戸惑いながらも了承してくれた。
でも改札を出てお金がかかるのは申し訳ないと言われ、妥協案で構内。
目的地まで行く電車のホームの、彼女が使うと言った階段前。
そわそわしながら、彼女が来るのを待つ。
心臓がドキドキしてる。
本当に来てくれるのかも、少し心配だ。でも彼女のことだから、連絡なしにドタキャンとかは、できないタイプだと思う。
そう考えてもやっぱり不安で、チラチラスマホを気にしてしまう。
目の前の階段とエスカレーター。降りてきた人々が、到着した電車へと吸い込まれていく。
階段を降りる人の流れの中、一際目を引く女性が一人。
オフショルダーのトップスに、ふわふわ揺れる柔らかで明るい色味のスカート。彼女の全身を包むのは全て、あの日俺が選んだ物。
「本郷さん! すみません。お待たせしてしまいましたか?」
どことなく緊張した面持ちで、敬語に戻ってしまった彼女。
「好きな人を待つ時間も、デートの楽しみの一つだから」
「そ、そういうの、いいですから」
「迷惑?」
「迷惑ではないですけど、出掛ける前から、瀕死になりそう」
男慣れしてない彼女の、真っ赤に染まった肌。触れたい衝動をぐっとこらえて、自然にするりと手をつなぐ。
「爪、かわいいね。自分で塗ったの?」
電車が来るまでの時間、気付いたことを聞いてみる。昨夜の彼女の爪には、何も塗られていなかった。
「午前中に、妹が遊びに来て。昨日のこと、警察に行く前に母に連絡してたので、母から聞いて、心配して会いに来てくれたの。それで、助けてくれた人からデートに誘われたって話したら、塗ってくれて」
「俺とのデート、心配されなかった?」
「お姉ちゃんは男の人に慣れてないんだから、慣れる良い機会だよって。この髪も、妹がやってくれたの」
「おろしてるのも、昨日の一つに結ってたのも似合ってたけど、これもいいね。すごくかわいい」
「あ、ありがとう、ございます」
俺が彼女の恋人なら、今のタイミングでキスしちゃいたいぐらい、照れた顔がかわいすぎた。
今日のデート、もしかしたら、俺の心臓が保たないかもしれない。
電車がホームへ滑り込み、乗り込んだら反対側のドアの角へ彼女を誘導した。
周りの迷惑にならないように彼女の耳元で、「今日の服装、この前一緒に選んだやつだね」と聞くと、瞬時にゆでダコになった紗代さんが無言で頷く。
「似合ってる。すごく色っぽくて、かわいいよ。着てきてくれて、ありがとう」
ゆでダコの彼女が、泣きそうな顔で俯いた。
めちゃくちゃ抱き締めたかったけど紳士に徹して、指一本触れずに目的地までの時間を過ごす。
「本郷さんは、この前と違って、今日はラフな感じなんだね」
「うん。好みじゃなかった?」
「どストライクです。すごい、素敵」
「ありがと」
レンタルデートのショッピングで、彼女の好みを把握した俺は、紗代さんが好きそうな服を選んで着た。
正解だったみたいで、ほっとする。
その後は、電車の中だからあまり会話をすることはなく、目的の駅へとたどり着いた。
改札を抜けたところで、人ごみではぐれないようにと再び彼女と手をつなぐ。
「本郷さん」
「大翔でいいよ」
「本郷さん」
「頑なだね。どうしたの?」
「手をつなぐ動作が自然過ぎます」
「いやだった?」
ふるふると横に振られた頭が、否定を示す。
「どきどきするけど、なんか……温かくて、安心します」
駄目だ。本当に、駄目だ。
この人は、俺以外の男とデートなんてしたら、速攻食われる。それできっと、うぶな紗代さんは傷つけられるんだ。
勝手な妄想に庇護欲を掻き立てられて、なんだか俺の顔にも、熱がのぼった。
「紗代さんは、俺が守るからね」
「突然何をっ、あれ? 顔、赤いです?」
「あなたが無自覚にかわいいせいですよ!」
「なんで怒ってるんですか?」
「あなたが俺以外とデートする可能性を考えたら、腹が立ちました」
「は? え……?」
互いにゆでダコになった俺たちは、手をつないだまま、無言で歩いた。
昼飯は互いに済ませてからの待ち合わせだったから、まっすぐ美術館へと向かう。
オンラインチケットを事前に購入していたからスムーズに入場して、これまで縁のなかった美術館という場所に圧倒される。
俺の反応を見た紗代さんが、隣でうれしそうに微笑んだ。
「トリエンナーレは、三年に一度の現代アートの国際展なんだよ。初めてなら、こういう感じのほうが楽しいかと思って。ちょうど行こうと思ってたし」
「美術館って、絵画だけじゃないんだね」
「そうなの。いろいろ見て回って、気になる作品があったらそれをじっくり眺めるっていうのが、私のお気に入りの楽しみ方。だから、本郷さんも自由に楽しんでくれたらうれしいな」
「うん。紗代さんのお気に入りのアーティストとか、いるの?」
「いるよ。多分、もう少し奥のほうにあると思う」
見始めてすぐに、紗代さんは作品を観るのに夢中になった。
邪魔にならないよう、つないでいた手を離し、真剣な表情で作品に見入る彼女に、魅入られる。
俺にとっての美術館での自由な楽しみ方を、早速見つけた。それは、作品と紗代さんのセットで成り立つ。
「すごく、キレイだ」
目の前の作品を鑑賞していた紗代さんが振り向き、笑顔になった。
「本郷さんは、これが好き?」
「……好きだよ」
「このアーティストさんはね、自然の木と光を使った作品を作る人でね」
楽しそうに、いきいきと解説してくれる紗代さんの声を聞きながら、心の中が穏やかに凪いでいく。
俺以外、誰も、彼女の魅力に気付かなければいいのにと自分勝手なことを願った。
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