第3話 年上美女がうぶってヤバくない?3

 たくさん話して、歩いて。喉をうるおす目的で入ったカフェでも、たくさん会話した。

 俺の話を聞いて楽しそうに笑うレイコさんがかわいくて、彼女の何気ない日常の話が愛らしくて、普段この仕事のときにはしないような余計なことまで話した気がする。


「職場の人じゃない男の人と、こんなにたくさん話したのって初めて。すごく、楽しい」


 淡く頬を染めた彼女の笑顔を見たら、もっと喜ばせたくなった。


「レイコさんがやりたいことって、他に何があるの?」

「今日は、夜景の見えるレストランで食事して、バーに行ってみたいの。お酒、大丈夫?」

「俺は好き。レイコさんは飲めるほう?」

「普段はほとんど飲まないけど、ノンアルコールカクテルもあるって書いてあったし、今日はチャレンジしてみたいなって」

「他には?」

「他?」

「うん。他にやりたいことは? 今日限定じゃなくて」

「彼氏とってこと?」

「そう」


 俺の目の前に座り、指先でストローをいじりながらレイコさんは、考える。


「美術館デートがしたい」

「絵画とか? 好きなの?」

「静かな場所で、展示品を眺めるのが好きなんだ」

「動物園とか、水族館は?」

「そういうのは、甥っ子と行く場所って感じかな。ドライブデートとか、食べ歩きとか、音楽フェスとか一緒に行けたら楽しそう。チロちゃん連れて、遠出のお散歩とかも憧れるなぁ」

「今は、わんこ連れて遠出はしないの?」

「飼い始めはしてたけど、お父さんが食べたいお昼ご飯と犬連れで入れる店のメニューが噛み合わなくて。車の中で留守番させるわけにもいかないでしょう? それに、私一人で四キロのチロちゃん抱っこして歩き回るのって、なかなか大変だから」

「それ全部、俺が一緒に行けたらいいのに」


 本音の願望が、知らずにこぼれた。


「うーん。……ヒロトくんみたいなイケメンとそんなにたくさん会ったら私、勘違いしちゃいそう」


 困ったように、彼女は笑う。


「勘違いしてくれて、いいんだよ」


 手を伸ばし、レイコさんの手をそっと握った。

 途端ゆでダコになったレイコさんは、泣きそうに瞳を潤ませ、「死んじゃう」とつぶやく。


 待ってくれ。俺も、死にそう。


 かわいいが過ぎないか、この人。

 プロの矜持なんて忘れて、完全に落とされかかってる俺。

 耳まで真っ赤に染めて、震えながらもそっと俺の手を握り返したレイコさんが、本当にかわいすぎる。


「レイコさん。マジでかわいいよ。ヤバい。よくそんなんで、今まで無事だったね」

「無事?」


 首を傾げる動きに合わせて、揺れた髪と、イヤリング。

 耳に穴は開いていないようで、彼女の形のいい耳を飾るのは、ピアスではなくイヤリングだ。髪も染めたことがないのかもしれない。触りたくなるほど、キレイな髪。

 穢れなく、無垢で清楚で、だけどそこはかとない色気が漂う女性。

 これがプライベートなら、俺は今日、確実に彼女を持ち帰っていることだろう。


「どうして彼氏、いたことないの? 家が厳しいとか?」

「家は全然厳しくないよ。妹はかわいいから、私と違ってモテてたみたいで、何度か彼氏を家に連れてきたこともあったし」

「レイコさんの学生時代も、絶対かわいかったんじゃない? 女子校だったとか?」


 ふふふと、なぜかうれしそうに、レイコさんが笑った。


「あのね。二年前の私の写真を見せるから、頑張ったねって、ほめてくれるかな?」


 彼女の意図がわからないながらも、俺は了承の返事をする。

 スマホを取り出し、写真を探す彼女。探しながら、彼女は話す。


「私ね、宝くじを買ったの。それでなんと、十億当選してね」

「そうなの? 現実にそんな金額当選するものなんだ? すごいね」


 今日のデートも買い物も、だからこその散財なのかと納得した。


「贈与税がかからないように、両親と、妹と弟も共同購入者として一緒に受け取りに行って、一億ずつあげたの。残りは私のお金で、土地買って、家建てて、車買って、夢だった犬を飼った」


 声をひそめながらも楽しそうに話すレイコさんの声を聞きながら、ふと心配になる。


「ちょっと待って。そんな話、俺にして大丈夫?」

「うん。私、昔から人間観察が趣味だから、人を見る目はあると思う。ヒロトくんは、お金目当てで私にひどいこと、しないでしょう?」

「しないよ。しないけどさ」

「ちゃんと安全対策も取ってるもの」

「例えば?」


 いたずらっ子みたいな顔で、レイコさんが笑った。


「秘密」


 立てた人差し指を唇に当てただけなのに、笑顔がかわいすぎて、俺の心臓止まるかと思った。

 ここまで信頼されたら、応えたくなるだろう。彼女のことは、安全に最大限楽しませて、無事に帰らせるとこっそり誓った。


「それでね、旅行したり、家族みんなでおいしい物を食べたり、思いつく限りのことをした後で、他には何をしようかなって考えて、やりたいことを思い付いてね。それが、メスを入れない自分改造」


 スマホが差し出され、表示された写真を見る。


「これが、二年前の私」


 そこに写っていたのは、推定体重九十キロの、姿勢の悪い女性。不摂生のせいだろう、お世辞にも、肌はキレイとは言えない状態だ。


「整形、ではなく?」

「整形ではなく、ダイエット。結果をコミットするCMのとこで、一番高いコースで肉体改造したの。その後は、歩き方と姿勢をキレイにする目的の習い事とか、マナーレッスンとか、表情や話し方のレッスンも受けたよ。お金を使って、自分だけじゃ無理って思ってたこと、プロの力を借りて全部やってみたんだ」

「二年かけて?」

「二年かけて。皮が余らないように、無理なく計画的なダイエットだから、水着にもなれるよ」

「すごいな」

「でしょう? 自分でもね、人生で一番頑張ったと思うの」


 スマホの写真と、目の前の女性を何度も見比べる。

 ホクロの位置や唇の形など、見れば見るほど、共通点が見えてきた。


「容姿に自信がなかったって、こういうこと?」

「うん。自分でも、妹並みにかわいくなれたんじゃないかって思ったんだけど、人からの評価を聞いてみたくて。だけど、やっぱり怖いから、お金で雇った人から始めてみようかなって」

「だから、レンタル彼氏?」

「そういうこと。……ほめて、ほしいな」


 遠慮がちに、レイコさんの視線が俺の反応をうかがっている。

 だから俺は、思ったことをそのまま、本心を伝えることを選んだ。


「今日、待ち合わせ場所にレイコさんがいて、はっきり言って驚いた。事前情報と、あなたの容姿が一致しなかったから。今のあなたは本当にキレイだよ。誰が見たって美人だ。美女だ。笑顔もかわいいし、惚れない男はいない」

「本当に?」

「本当に。この二年の努力も、すごいと思う。お金があっても、できない人にはできないことだよ。あなたは、芯が強い人なんだね」

「ありがとう。私、ヒロトくんを選んで良かったなって思うよ。……うん。自信がついた」


 ありがとうともう一度言って、彼女は立ち上がる。


「もうすぐ予約した時間だよ。素敵なレストランでのディナー、付き合ってくれる?」

「もちろん。俺のお姫様」

「クサいし恥ずかしいけど、それいい。とっても素敵」


 頬を染め、満面の笑みで喜ぶ彼女の手を握り、予約したレストランへ向かった。

 道中、彼女は完全に俺に心を許した様子で、明るい表情でこれからの計画を話す。

 キレイになって自信がついたから、婚活を始めようと思っているらしい。


「犬のために引っ越しはしたくないし、両親も心配だから、できればうちに引っ越して来てくれて、私の両親との同居がOKで、犬好きな人がいいの」

「俺なんてどう?」


 冗談だと思ったのか、彼女は笑う。


「ヒロトくんは、夜の十時に魔法がとける、一日限定の夢だから」

「幸せにするよ。犬好きだし、ご両親とだって、きっとうまくやれる」

「一途な人がいいな」

「プライベートの俺は、一途だよ。真面目なサラリーマンだし」

「えー?」


 本気にしていない、そんな態度だった。


 この仕事をしていなければ会うことなんてない人だったけど、この仕事をしてるからこそ、手に入らない相手。

 好きになるなんて、不毛だ。


 夜景の見えるレストランでの食事。尽きない話をしながら、バーで酒を飲む。


 刻一刻と迫る終わりの時間が、ひどく惜しい。


「今日はありがとう。すっごく、楽しかった」


 魔法がとける、五分前。

 駅にたどり着き、彼女は俺を見上げた。


「レイコさん」


 手を、離したくない。


「また、会いたい」


 営業トークだと思ったのだろう。彼女は大人らしい余裕の笑みを浮かべ、ありがとうと言った。


「抱きしめてもいい?」

「え? えーと、じゃあ、お願いします」


 戸惑い、ゆでダコになりながらも了承してくれた。

 レイコさんが努力して手に入れたという、スタイルのいいほっそりした体を腕の中へ閉じ込める。


「俺、あなたに惚れたっぽい。また会いたいんだけど」


 返事の代わりに、彼女は黄色い悲鳴をあげた。

 腕の中から逃げ出して、全身を赤く染め上げたレイコさんは、動揺で泣きそうになりながら、俺から逃げていく。


「ダメダメ! 確信したよ! 私はやっぱりホストにハマるタイプだ。レンタル彼氏にしたのは正解だったんだ。ヒロトくんは私の好みど真ん中の容姿なの! 本当に本気になっちゃうから、もう十分です! 今日は本当にありがとう! それじゃあ、バイバイ!」


 素早く手を振って、改札の中へと逃げていくレイコさんを見送った。

 彼女の背中が見えなくなってから、俺はその場にしゃがみ込む。


「俺だって、本気でめちゃくちゃ楽しかったし、あなたの全てが俺の好みど真ん中だよ。頑張り屋なとことか、本当に好きだ」


 その場で、今日はありがとうのメッセージを送ったが既読になることはなく、彼女からの連絡も指名も、二度と来ることはなかった。

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