「面白い推理ですね」


 駒場さんはフッと小さく笑う。


「僕の顔にショゴスが擬態? どこにそんな証拠が? しかも【深きものども】とは心外ですね。僕は皆さんと同じ人間ですよ?」


 駒場さんの言葉には頷かざるを得ない。


「上野原くん! 【深きものども】って海に住んでいる水棲生物のことじゃ?」


 大塚さんの言う通り【深きものども】は海に住んでいる筈。陸上で活動するなんて聞いたことがない。


「大塚さん……今度みっちり補習だね」


 しかし上野原は一切動じない。唖然とする彼女を尻目に続ける。


「【深きものども】はヒトと交配し、人間社会に溶け込んでいるんだよ。目の前の駒場さんのようにね」


 間髪入れずに話すさまは、まるでいつもの知識を語るときのようだ。


「ではまず、今回の事件を振り返ってみますね。まずは猟犬顕現について。

 猟犬の特徴については通な人ばかりなので省きます。館周辺に転がる星型のギザギザした物体からこちらの世界に干渉しているのは明らかです。これは犯人によって設置されたものと考えられます」


「顕現顕現って、じゃあ僕たちは時間遡行薬を本当に口にしたと?」


 坊山さんの問いに深く頷く。


 疑惑の目が両肩を揺らす那須井さんに向けられるが、上野原が立ち塞がるように言う。


「勿論、那須井さんたちは関与していません。これも犯人によって混入されたのです。

 犯人は予め誰よりも早く現場に来て、隙を見てショゴスを館内に放ちピッチャーに薬を仕込み、オブジェを設置してから何食わぬ顔で来客を装った」


 雛田さんの言葉を思い出す。館前の掃除を終えて戻ったらピッチャー横に煮汁が残っていたと。それがショゴスの痕跡だったのか。


「ショゴスとは……正気かねキミ?」


「ええ。ショゴスの痕跡は他にもあります。松垣さん殺害についてです。

 彼の寝室は密室でした。隠し扉もない。これを突破するのにショゴスを使ったのです。軟体生命体の特性を生かして、とあるものに変形させたのです――それこそ寝室の鍵。スペアキーに次ぐ、第三の鍵です」


 駒場さんの表情が少し歪んだ。


「スペアキーは事件当時、那須井さんら女性陣の部屋にあり使用は不可能だった。そこで犯人はショゴスで第三の鍵をつくり出し松垣さんの部屋に侵入し、彼を殺害した。身体をズタズタにしたのは館内に猟犬が顕現したと錯覚させ、僕たちの恐怖を煽るためだったのですか? 彼を殺したのは部屋が一番遠く疑われにくいと思ったからですか? それと現場にメモを残したのはクトゥルフへの崇拝の一環ですか?」


 上野原の度重なる疑問符にも駒田さんは全く怯まず、


「【大いなるクトゥルフ】だ……軽々しくその名を呼ぶな」


 怒りの眼差しをキッと上野原に向けた。


「衆人環視下での雛田さんの殺害は驚きました。しかしこれが、あなたを犯人だと僕に思い知らせてくれたと同時に、ショゴスの存在に確信をもつことが出来たのです。まず、あなたの頬のカサブタについて」


 怒りの眼差しに喧嘩を売るように、冷静な口調でさらに切り込む。


「昨日、あなたのカサブタは小さかったですが、雛田さんが三階に一人で向かった後、大きくなっていたんですよ。そして彼女が殺害された後、厨房を後にしてすれ違った時、元の小ささに戻っていました」


 先程すれ違って確信したと言っていたが、カサブタの大きさを見ていたのか。


「これはつまり、ショゴスを剥がした証。擬態が取れ、本来のカサブタだらけの顔が垣間見えた瞬間です! 先程、厨房で鳴き声も聞きました! もう言い逃れは出来ませんよ」


「ふっ、戯言を! 僕は、僕は、僕は僕僕ボボボ……」


 その時、駒場さんに異変が起こる。


 反射的に坊山さんは彼と距離を取る。ベンチに座った大塚さんと那須井さんも驚愕の表情で立ち上がり、互いの手をギュッと握り合っている。言葉にならない呻き声を漏らし、駒場さんは壁を殴り始める。展示してあった貴重な資料が床に落ちるが、今は命が惜しいので上野原とともに数歩後ずさる。すぐ背後に三階への階段が迫る。


「ついに正体を現したな」


「どういうことだ?」


「レイン、君も大塚さんと一緒に補習だね」


 大塚さんも一緒なら大歓迎だ。


「【深きものども】の血を引いた人間は若年では僕らと変わらない見た目だけど、極度のストレスなどがトリガーとなって【インスマス面】という彼ら本来の人間離れした姿に変容するんだ。見なよ、あんな感じだ」


 恐る恐る見ると、ヒトとはかけ離れた姿の駒場さんが立っている。


 紳士ハットは脱げ、薄かった頭髪は完全に抜け落ちている。頬のカサブタも頭皮全体に広がり、ギョロリとした両目は蛙のようにテカリを帯びている。深い沼のような泥臭いにおいが鼻腔を刺激し、吐き気を催す。外で吠える猟犬が一際大きく鳴き声を上げる。


 駒場さんは一歩こちらに近づく。直後よろけそうになり、中央の展示台にしがみつく。


「元々は水中が住処だから、陸上での活動は苦手なんだ。もう少し進行すると完全に鰓呼吸になって、飛び跳ねるような動きに変わる」


「そんなことより上野原くん! どうするの?」


「うーん」


 上野原は呑気に顎に手を当てる。マイペースな探偵野郎だけど、今は頼るしかない。


 その間も、駒場インスマスは迫る。既に顔の皮膚はガサガサで、ヒトの面影はゼロだ。


 その時、不気味な鳴き声が聞こえた。


 それはこんなふうに聞こえた。


【テケリ・リ! テケリ・リ!】


 聞き覚えのある音を発しながら、カサブタだらけの頭の上で、ソフトボールほどの粘着質な物体が蠢く。昨夜も聞いたこの音こそ、ショゴスが発する鳴き声だったらしい。


 塊の所々に目があり、唯一の口から長い舌が二本垂れ下がっている。蟹の爪と瓜二つの腕のようなものが生えている。あれが松垣さんと雛田さんの命を奪ったのだと思うと、拳に力がこもる。


「【インスマス面】進行のため知能が衰えたから、もう襲ってこないかもな」


「もう! 補習は後でたんまり受けるから!」


 大塚さんの声に激しく同意。この際、割増しになってもいい。


 一階に通じる階段は化物の向こうだ。どのみち猟犬に囲まれているから逃げられない。


「鶏の唐揚げ……時間遡行薬入りの麦茶……厨房……フライパン……星型オブジェ……」


 何やら呪文を唱え始めた上野原だが、すぐに詠唱は終了した。


「よし、いけるかも。みんな、三階に急ごう!」

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