第5話
鳥間市に視察に行った翌日、隼也は朝から須藤にミーティングルームに呼び出された。
部屋に入ると、須藤とノートパソコンを開いたあかりがすでにいた。
壁のスクリーンに画面が映し出される。
杉の杜団地周辺の概要がまとめられた資料だった。
「杉の杜ニュータウンとして1980年代に最初に作られたのが、山頂部から東側の地域です。自然豊かな土地で市営住宅ながら庭付きで、というのを売りにして作られたらしいですが、子育てするには手狭だし、不便だし。独身世帯では庭の手入れまで手が回らず、トラブルの原因になったりと、当初から開発は失敗だと言われ続けていました。」
あかりが説明を始めた。
「ちょうど不況の影響もあって、まだ更地に近い状態だった東側の一帯は数年後に民間に払い下げられてます。大手の不動産会社が購入して、ウィークリーマンションとして今の建物が作られてます。ただ、これも思ったように借り手がつかなかったみたいで、2年ほどで食品会社に売却されて、社宅として使われるようになりました。現在、入居しているのは、大半が外国人労働者だそうです。」
海沿いの地域、空港近くにある大きな食品会社の名前は隼也も聞いたことがあった。
「今野さんは外国人が増えてから治安が悪くなったと言ってらしたようですが」
あかりはちょっと苦笑した。
「この辺りは鳥間市内でも、もともと治安が良くないことで知られてるようです。空き家が多いことで犯罪に使われたりされることも心配されて、警察でもパトロールの重点地区にしているそうです。ここ数年は特に目につくような事件は起きていません。あまりに何もなさすぎてイタズラもされないんだろうって、警察の方も言ってましたけど」
そこで、あかりは言葉を切って、関連していると思われる窃盗事件を時系列に並べたリストを表示した。
「そういえば、杉の杜団地の空き家のイタズラって、深夜ですよね。あのじいさんそんな時間に何してたのか、気になってたんですが…」
須藤がさらりとそこに突っ込まずにいたので、隼也も敢えて聞かずにいたのだが、やはり気になった。
「あぁ、それも警察の方に確認しています。今野さん、年金生活なんですが、生活はなかなか大変らしくて、夜の間に回収した空き缶を売って小遣い稼ぎしているそうです。なかなか見栄っ張りのおじいさんみたいですね。団地内の他の人に見られないように、夜に出歩いて、時には家電とかも拾ってくるそうですよ」
「…なるほど」
頷きはしたものの、見栄のためとはいえ、80にもなって、夜中に空き缶拾いは相当辛いだろう、と思う。しかもあの坂道だ。
「警察の方で今気にしてるのは、窃盗事件もですが、そこに中高生が関係しているんじゃないかということです。宮本さんの話では…」
宮本という名前は時折、隼也も耳にしていた。どうも、対策室と警察が連携を取る際の窓口になっている人物らしい。
「自転車が見つかった市営住宅やその付近に住む子供達と、食品会社の社宅に住む外国人の子供たちの間にいざこざがあるそうです。要するに、市営住宅の子供たちが外国人の子供たちに嫌がらせをしている、と」
隼也はおもわず鼻先で笑った。
「今でもそんなことあるんですか。ずいぶん古くさいタイプのいざこざですね」
外国人労働者の受け入れ要件が緩和されて随分と経つ。場所によっては、日本人より外国人居住者の方が多い地域だってある世の中だ。
隼也の小、中学校時代だってクラスに1人、2人は外国人の子がいて、多少言葉の問題のある子もいたが、普通に受け入れられていた。
増して絵洲市やその周辺自治体では、3年ほど前から積極的に外国人労働者を受け入れる方針を打ち出している。
「仲間、という名のもとに自分たちと違うコミュニティに敵対意識を持つのはいつの時代もあるでしょ。特に多感な年頃となれば、苛立ちをぶつけるのに弱い立場の人間をターゲットにするのはありがちな話だよ」
いつも通りさらりと流すような口調だが、須藤の目は真剣だった。
そんなものかな、と隼也は頷き、スクリーンに目を戻した。
「オレは…イマイチ、この事件の繋がりが見えないんですが…」
ウィンガーの関わりも、隼也には見えてこない。
「ああ、繋がり、ね…」
隼也の隣で須藤もスクリーンに目を向けている。
「うーん、そうだねぇ…とりあえず」
そこでくるりと隼也を振り向いた。
「猿、見にいこうか!」
「はっ?」
「今日の夜。ほら、あのおじいさん、夜に来なさいって言ってたでしょ」
「あ、はぁ」
戸惑う隼也に対し、あかりは楽しそうな笑顔だ。
狐につままれたような状態のまま、隼也は夜の残業を承知した。
夜、といっても7時か8時のことだろうと思っていた隼也は11時に問題の市営住宅に集合と告げられて、一瞬、返答に詰まった。
「ちゃんと残業代出るから」
隼也の様子を見ながら、なだめるように須藤が言う。ちょっと子供に言って聞かせるような響きが感じられて、隼也はカチンときた。が、すぐにこの間の事件が起こったのと同じ時間帯であることに気づいた。
猿はともかく、そういうことなら納得できる。
終業後、一旦自宅へ戻る。動きやすい服装で、との須藤の指示通り、Tシャツにパーカーを羽織り、ジーンズに着替えてから職場の駐車場へ集合した。
須藤が更にうごきやすそうな、ランニングウエアスタイルで現れたのにはちょっと驚いた。
隼也が運転し、助手席に須藤、後部座席にあかりが乗る。あかりは「念のため、記録係として」同行したのだが、何の記録をするのか隼也には不明だった。
関係を知っているだけに、なんとなくこの2人と同じ車内というのは居心地が悪い。仕事なのだからと自分に言い聞かせて、隼也は運転に集中した。
昨日と違い、寄り道せずに現場へ向かうと、時間帯のせいもあるのだろうが、20分ほどで到着してしまった。市営団地の入り口付近に車を停めると、
「あかりはちょっと待機してて」
須藤はそう言い残し、隼也と団地の駐車場へ向った。
夜11時過ぎの駐車場は静かだった。場内の外灯は二ヶ所ほどしかない。あとは団地の建物から漏れてくる明かりだけが頼りだ。深夜にこの駐車場を利用するのは女性などは特に不安だろう。
2人は懐中電灯を持参していた。
「いますかねえ、猿。」
ボソっと言った隼也の言葉には答えず、須藤はまっすぐ、コンクリートブロックで固めた崖の方へ向った。駐車場には2人の足音だけが聞こえる。建物からの物音もほとんど漏れてこない。
崖に近づくと、須藤はライトを上の方へ向け、ゆっくり上から下、右から左へと動かしていく。
まさか、本気で猿を探しているのかー?
隼也は口を開こうとして、ライトに時折反射する光に気がついた。
「やっぱりね…」
須藤が呟く。
「…蛍光塗料か、なんかですか?」
隼也も自分のライトで光を探した。
コンクリートブロックのすきまから、ところどころ樹木が生えているところがある。塗料はその幹の部分に塗られているようだ。あんなところからよく木が生えるものだと、昨日もちらりとは思ったが、須藤が何回も崖を見上げていたのは、これを見ていたのか…
だが、塗料を塗ってある目的は…?
隼也が須藤に目を向けると、
「んー、試してみます、か」
須藤はニッと笑って、自分の懐中電灯を隼也に渡した。
「えっ…?」
戸惑いながら、隼也はライトを受け取り、続いて須藤が脱いだウエアの上着も受け取った。
まだ、半袖になるには夜の風は冷たい。須藤も
「寒っ」
と一言呟いた。
携帯端末をベルトについたポーチにしっかり入れると、まだ展開が読めずにいる隼也に
「塗料のとこ、しっかり照らしててよ」
相変わらずの笑顔でそう言い、須藤は息を吸い込んだ。
暗いなかでも、光の粒子がふわりと、須藤の背中に集まって行くのが分かる。
アッと言う間に現れた白い翼はそれ自体、光を放っているようにさえ見えた。
これで二度目だが、それでも隼也は言葉を失った。
そのまま、何も言わず、須藤は2、3歩の助走をつけ、コンクリートブロックを駆け上がった。更に、壁を蹴り上げた須藤の体はバネで弾かれたような上昇をみせ、塗料を塗られた木の幹を掴んだ。
慌てて隼也はライトでその上の塗料を探して照らし出す。心拍数が上がり、手が小刻みに震えるのを必死に抑えた。
白い羽がライトの中に浮かぶ。須藤は軽々と掴んだ枝に飛び乗り、またワイヤーアクションかと思わせるようなジャンプ力で上の枝を掴む。そのままの勢いで足を振り上げ、手を離すとその斜め上の枝へ、更にその枝を蹴った須藤の体は崖の上の植え込みに消えた。
隼也は荒い呼吸を繰り返していた。まるで映画のアクションシーンを生で見たようだ。いや、実際生で見たのだ。白い羽が放物線を描くのが、まぶたの中に残像のようにこびりついていた。常人ではありえない運動能力だ。
隼也の端末が震えた。
「桜木くん、この間の空き家のとこまで車持ってきて」
息一つ乱さず、さらりと須藤が指示をよこす。
「…わかりました」
隼也はそう絞り出すのがやっとだった。
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