第6話

 車へ戻ろうとして、足が震えていることに気づき、隼也は思わず声を出して笑いそうになった。

 自衛隊でそれなりにいろいろな経験を積んできたつもりだったし、海外派遣時には修羅場と言っていい状態をくぐり抜けてきた。

 それが、羽を現した須藤の、人間離れした体の動きを見ただけで…どうしたというのだ。

「ちっ、冗談じゃねぇ」

 舌打ちして呟くと、鼓動が収まってくるのがわかった。

 あかりには動揺した様子は見せたくない。深く息を吸うと、大股で車の方へ歩き始めた。


 須藤の姿がなくても、あかりは理由を聞かなかった。

「空き家荒らしの現場に来てくれって言うことです」

 端的にそれだけ言ってエンジンをかける。

「ああ、やっぱり登ってみたの」

 あかりはそう言って微笑んだ。やはり事前にどうするつもりか聞いていたのか、と隼也は少しムッとした。

 自分にだって事前に説明があって然るべきじゃないか。同じチームで動いていると言うのに。

「彼の翼見たの、初めて?」

 窓の外を眺めながら、あかりが聞いた。

「いえ、前に一度見せていただきました。ただー動きを見たの初めてです」

 感情を悟られないよう、淡々と答えたつもりだ。

 遅い時間のためか、車はほとんど走っていないが、杉の杜ニュータウンへ曲がるところで赤信号に引っかかった。車がいないというのに止まらなければならないというのは、イライラさせられる。

「…彼の体の動き、綺麗でしょう?」

 ルームミラー越しに見るあかりは、窓の外に視線を向けたまま、どこか恍惚とした表情を浮かべていた。

 暗がりの中だが、普段のキリッとした物腰とは対極的なその表情に、隼也はゾクリとした。

「あー、そうですね。…圧倒されました」

 意識してミラーから視線を外し、前方を見る。信号が青に変わった。

 ふふっとあかりが笑った。

「私、運動ダメなの。だから余計に、あんな風に動けるの、憧れちゃうのよねー」

「…のろけ、ですか」

 いつもよりくだけた、あかりの口調に、思わず隼也はつっこんだ。

「まあね。ーわあ、すごい坂ね」

 車は団地内の急勾配に差し掛かった。古い団地のためか、外灯の数も少ない。

「よくこんな道、スケボーで下ったもんですよ」

 隼也は改めてそう言いつつも、先程の須藤くらいの身体能力があれば…とふと、考えた。

(そうか、そういうことか…)

 それならば、事件と翼保有者の関わりも見えてくる。

(肝心なところは小出しにする主義かよ)

 自分のような新人相手なら、もう少し説明があってもよさそうなものだ。舌打ちしたくなるところを、あかりの手前、ため息にしておく。

 例のゴーストタウンに来ると、外灯はぐっと少なくなった。この間の場所はどこだったかと、スピードを落とし、暗がりに目を凝らす。暗闇に包まれていても、この一帯の廃れた雰囲気は充分伝わってくる。

「すごいところね」

 事前の調査で情報を得ていたあかりも、さすがにそう漏らした。

 女性や子供でなくとも、夜にこの辺りを歩きたいとは思えない。時折ライトに光る、猫やタヌキのような動物の目にギョッとさせられる。

 なんとなく、見覚えのある曲がり角に来て、隼也はホッとした。

「ここ、入ったところです」

 ハンドルを切って進むと、左手の方に人影が見えた。須藤だ。


「ありがとう。ちょっと、こっち来てみて」

 あかりから受け取った上着を着ながら、須藤が示したのは、荒らされそうになった空家の北側にある薮だった。須藤の翼はすでに消えている。あんなクライミングを見せた後とは思えない、涼しい顔だ。

 あかりは車へ戻り、須藤と隼也で薮の中へ進んだ。。懐中電灯の光が、細い道を照らし出す。

 けもの道というより、はっきり小道といってもいいほどの、通路が出来ている。

「気をつけて。この先がさっきの崖だから」

 しばらく進むと、根元に蛍光塗料が塗られた松の木があった。目印なのだろう。その先は割と視界が開けている。足元に気をつけながら松の木に近づくと、眼下にあの市営住宅が見えた。

 振り返ると、今通ってきた小道のところどころ、石や木に蛍光塗料が見えた。

「ここ、須藤さんみたいな方法で通り道にしてるってことですか?でも…なんで、こんなところ…?」

 須藤は黙って引き返し始めた。

 翼保有者なら、あの崖をあんな風に登って、このゴーストタウンに来られる。それはわかった。だが、そんなことをしてここへ来る目的がない。

「桜木くんはあの崖、登れるなんて思わなかったよね?」

 道路まで出て来ると、やっと須藤が言った。

「え、ええ。クライミングの装備でもあれば別ですが」

「僕はあそこ見たとき、すぐに登れそうだな、と思ったんだよ。つまり、翼のある人間ならできるだろうなってね。ま、翼があっても身体能力には差があるけど、普通の人と翼のある人間とではそこら辺の出来る、出来ないの感覚に開きがあるんだよね」

 須藤は両手を広げて伸びをした。手にした懐中電灯がランダムに周囲の空き家を照らす。

「んー、その感覚で言えば、普段からスケボーやってる人間が翼を出せば、あの坂下るのも楽勝だろうな、と思う。全然、無茶な話じゃない」

 淡々と語る須藤に隼也は答える言葉がなかった。そんな感覚は理解できないし、これから先も理解できるとは思えなかった。

「ここであったことの流れを整理してみようか。僕の私見を含めてだけど。まず、車に戻ろう」


 あかりは後部座席で、ノートパソコンを開いていた。

「なにか、ありました?」

「須藤さんが崖から続いている道を見つけました。使われてる痕跡があります」

 隼也の言葉にあかりは驚きもせずに頷いた。

「コーヒー、くれる?」

 須藤が差し出した手に、座席に置いていたビニール袋から、あかりが缶コーヒーを渡す。

「桜木くんもブラックの方がいい?」

「あ、はい、いただきます」

 3人で缶コーヒーを飲み、同じタイミングでふうっと息をつく。須藤とあかりは顔を見合わせて笑ったが、隼也は笑えなかった。

「さあて、と…」

 そんな隼也を面白がるように、ちらりと見てから須藤は話し出した。

「まず、下の市営住宅ね。自転車が見つかったり、空家荒らしの犯人が姿を消したりして、警察でもいろいろ聞き込みしたけど、収穫はなかった。で、あそこの崖を見たときに逃走のルートになるんじゃないかな、と思ったわけだよ。今日だってあの駐車場には人影なかったしね」

「は…え?待ってください」

 思わず隼也は須藤を遮った。

「ここからあの坂を下って、さっきみたいにして、またここに戻ってくるってことですか?それって、意味ないんじゃ…」

 そこまで言って、ハッとした。須藤はじっと隼也を見ている。

「…わざと、というか…あの市営住宅の方に注意を引くため、ですか」

 須藤の笑顔が隼也の答えを肯定していた。

「じゃあ、ここの空家荒らしもそのために…?」

「いや、そこまではどうかな。こんな場所、今野さんが通りかからなかったら目撃者なんかいなかっただろうしね。ただ、何かあったらあの市営住宅を経由してから逃走する、という計画は立てていたんだと思う」

「…じゃあ、ここの空家荒らしたのも、何か目的はあったってことですか」

 須藤は問題の空家へ目を向けた。

「うん、それなんだけどねー」

 隼也は言葉の続きを待ったが、沈黙が車内に満ちた。ただ、言葉を切ったのではない。

 何かに須藤が耳を澄ましていることに気づいて、隼也も緊張した。

 後部座席のあかりも、車の周囲に視線を走らせている。

 後方から、小さな明かりが角を曲がって現れた。

(この距離で足音に気がついたのか?)

 隼也はゾッとしながら須藤の表情を伺った。

 翼が現れているときは身体能力はもとより、五感も活性化するとは聞いているが、今の須藤に羽はない。

 明かりは2つ。動き方からして、ペンダントタイプのライトのようだ。

 だが、明かりの動きはすぐに止まった。と、ほぼ同時に明かりが消えた。

「気付かれた!」

 須藤が小さく叫ぶと車を飛び出していく。一瞬、間を置いて隼也も飛び出し、慌てて須藤を追った。

 普段ろくに車の通らない場所に車が停まっていたことで、怪しまれたに違いない。

 今回の事件と関係ある人間かどうかはわからないが、車を見ただけで逃げ出すのは怪しさ満点だ。

 なにか、叫ぶ若い男の声がした。須藤はあっという間に、角を曲がって見えなくなる。曲がる寸前、白い羽が広がるのが、外灯に照らされた。

 隼也も足の速さはそこそこだが、持久力には自信があった。

 ゆるい登りになった道を駆け抜け、須藤の後を追って、角を曲がる。道は急激な下り坂に変わり、足がもつれそうになる。

「くっ、そっ!」

 毒づきながら態勢を立て直し、須藤の姿を探す。手にした懐中電灯が照らすのは、人気のない、道路だけだ。

 見失ったか、と思ったが1つ先の路地からガラの悪い叫び声が聞こえてきた。

「このクソ犬がぁっ!!」

 隼也は飛び込むように路地に駆け込み、態勢を崩して前のめりに手をついた。その目に飛び込んできたのは、背中に白い翼を広げた人間が2人、対峙している姿だった。

「桜木くん、少し離れてて」

 須藤は隼也に背中を向けたまま言った。

 須藤と向かいあっている男は、ちょうど外灯の真下に立っていた。まだ高校生か、中学生か。幼さの残る顔立ちが、異様な怒りの表情で歪んでいる。目はギラつき、半開きの口からは荒い息が漏れている。

「やってやる!オラァ!!」

 らりったような、濁った叫び声をあげて、少年は突進してきた。


 そこからの2人の動きを隼也が全て把握できたとは言えない。

 プロの格闘家と遜色ないスピードとテクニックで、パンチとキックの応酬が続いた。

 隼也は自分が片手を地面についた無様な姿勢のままでいたことにやっと気づき、慌てて体を起こして後ろへ下がった。

 互角の勝負、ではなかった。須藤の方が有勢だ。相手の技量を見極めようとしているのか、うまく攻撃の手をかわしながら様子見ているのが、隼也にはわかった。

 相手はますます激昂していく。

 叫び声とも唸り声ともつかない声を上げ、めちゃくちゃに須藤に掴みかかってきた。

「経験値が違うよ」

 平然とそう言い放ち、須藤は少年の腕をかわした。素早く沈み込んだ須藤からみぞおちにクリーンヒットをくらい、少年は体を折って崩れ落ちた。

 闇に飛び散るように、少年の翼が消える。

 ふうっと大きく息を吐きながら、須藤が前髪を搔き上げる。彼の翼も溶けるように、闇に消えた。

「ちょい、遊びすぎたかな。活動限界、ギリギリだ」

 膝に手をあてて、呼吸を整えているが、隼也の目には余裕の表情に見えた。

 むしろ、隼也の方が呼吸が乱れている。

 映画のアクションシーンさながらの状況を生で見せられて、落ち着いていられる方がおかしい。

 なにか言わなければ、と思ったが、声もうまく出なかった。

「桜木くん、大丈夫?」

 様子を察した須藤が振り返り、からかうような笑みを浮かべる。

 そんな顔で見られるのは屈辱だが、仕方ない。

「すいません。なんの役にも立たなくて」

「初の捕獲任務にそこまで求めてないよ。突然のことだったしね」

 須藤は本当に気にしていないようだった。

 車の音がして、路地に曲がってきたヘッドライトに2人は目をしばたいた。

 ゆっくり止まった車からあかりが降りて、駆け寄ってきた。

「ごめんなさい!車、方向転換するのに手間取っちゃって」

 さっき車を停めていたのは2台がやっとすれ違える程度の道路だ。あかりは普段からあまり運転はしていないようだし、慣れない夜道で手間取ったのだろう。

 ヘッドライトと外灯の両方に照らされたお陰で、須藤がノックアウトした相手の顔がよく見えた。

 浅黒い肌に、彫りの深い顔立ち。さっきまであれほど悪態をついて暴れていたのが信じられないほど、あどけなさの残る顔だった。

「東南アジア系とかですかね。もしかして、あっちの外国人向けの社宅の…?」

「…多分、ね。あかり、手錠持ってきて」

 あかりが後部座席から引っ張り出したスポーツバッグを隼也が受け取る。ファスナーを開けると、ロープや手錠、ちょっとした工具類に加えてナイフやスタンガンなど、物騒な物も入っていた。


『万が一のこともあるからね。このくらいは携帯を許可されている』

 今日の午前中、このバッグを開けながら須藤がそう言った時、隼也は黙って聞いていた。

 先程の取っ組み合いを見れば、決して大げさなものとは言えない。むしろ、翼のない、普通の人間が彼らと対峙するためには必要不可欠な武器である。

『もちろん、使用の際には僕の許可が必要だよ。自己判断での使用は控えるように』

 須藤の言い方は軽い調子だったが、絶対の響きがあった。


 須藤が手慣れた様子で、少年の手首と足首にも手錠をはめるのを、隼也は手出しせずに見ていた。

 仰向けに寝かせた少年の頭をタオルで作った枕に乗せてやる。

「手加減はしたつもりだけど」

 言いながら須藤は少年の脈と呼吸を確認した。

 ピリリリ…車から甲高い音が聞こえてきた。

「あっ…」

 あかりが車に駆け戻る。

 座席に置いていたパソコンを開くと、アベの顔が映った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る