第3話
桜木隼也の上司になる須藤誠次はさわやかな笑顔を見せていた。隼也より3つ年上の28歳だという。
写真で見た通りの整った顔立ちと耳触りのいい声をしている。実物の方が写真よりも品の良さそうな雰囲気も醸し出し、普通に歩いていてもかなり目立ちそうだ。
惜しいのは、身長が160センチ代半ば程度と小柄な点か。
隼也も顔にはそれなりに自信があったのだが、須藤を前にするとかなわないな、と正直思う。向き合った時に、180センチの隼也からは見下ろす感じになるのがせめてもの慰めだ。
それに、須藤はウィンガーだという。
2人がいるのは小さな会議室だった。6人ほどが座れるテーブルが置かれているだけで椅子はない。四月から職員が増員されることを機に、このオフィスビルに対策室は移転してきていた。まだフロア全体が雑然としていて、あちこちにダンボールが積まれているが、ここにはこの通りテーブルだけだ。
「天使を見たことは?」
月並みな自己紹介の後、須藤が聞いた。
天使、はもちろんウィンガーの通称だが、当事者達はあまり好まない。小馬鹿にされている感じがと言う者もあるし、人間として扱われていないように感じるという意見もある。宗教的要素もあるため、あまり表立って口に出さない方がいい呼称だが、当人が気にする風もなく使ってしまっている。
「いえ、映像で見たことしかないです。」
本当は、西アフリカの治安維持で派遣されていた時に一度見たことがある。だが、一応それは機密事項になっていた。
「じゃあ、一応見せておくね」
隼也が何か言う前に、須藤の背後に霧のような粒子が集まっていく。それは2、3度まばたきをする間に純白の翼と化した。
須藤のキレイな顔立ちと、その効果を自覚しているだろう取り澄ました表情と相まって、それは非現実的な光景を作りだしていた。
肩からせり上がった白く柔らかなラインは、彼の耳元付近から今度は下方へ優美なカーブを描き、膝の辺りまで伸びている。
(大きい・・)
隼也はゴクリと唾を飲み込んだ。心拍数が上がっているのが自分でも分かる。アフリカで見た少女の翼は広げても、隼也の片腕の長さに満たなかっただろう。資料映像の中でもこれほどの大きさの翼は見たことがない。
「研修で翼の大きさと、運動能力の上昇率の話は聞いたよね。」
翼の大きさに比例して、運動能力が上昇する傾向がある、というのは自衛隊時代の講習会でも聞いていた。ただ、この1ヶ月の研修で新たに知ったことも多い。
翼の大きさの呼称もそうだ。一般的にはあまり知られていないが、両腕と翼を広げた時に翼が肘まで届かない場合を"キューピッドクラス"それ以上の大きさの場合を"ミカエルクラス"または"マイケルクラス"と呼ぶのだそうだ。"マイケル"は最初に確認されたウィンガー、マイケル・オーウェンの翼がそのぐらいの大きさだったことに由来する。
須藤の翼は広ければ彼の腕の長さを優に超えるだろう。
「国内ではトップクラスの大きさだよ。筋力も動体視力なんかも200%以上アップしている」
そう言って笑う須藤の口調に得意げな響きは感じられなかった。事実を淡々と述べているに過ぎない感じだ。
何か言わなければと思ったが、言葉が出なかった。
「別に大きくても飛べるわけでなし、むしろキューピッドクラスの方が目立ちにくいという利点があったりするんだけど」
須藤は首をすくめてみせる。その目は、明らかに隼也の反応をたのしんでいた。
何か質問してこの非現実的な時間をどうにかしたかったが、うまく声が出ない。
須藤がふぅっと長めに息を吐くと翼は空気に溶けるかのように消え去った。
「大きさがこれでも、一回の発現時間は最長五分程度、回数は1日に3回くらいが限界なのは変わらない。一緒に活動する上で、そこら辺は認識しておいて欲しくてね」
まだ胸の鼓動は落ち着かない。手は汗ばんでいた。
人間ばなれした存在、というのを間近で見て、最初に感じたのは恐怖だった。憧れも羨望もそこにはなかった。
最初の天使が現れてから50年近く経っても、翼保有者が当たり前の存在として社会に受け入れられていない理由がボンヤリとわかった気がした。圧倒的に現実離れした空気がそこに流れるのだ。
アイドル顔負けの須藤の笑顔に、隼也はかすかに身震いした。
コッコッと素早いノックが聞こえて、隼也は少しホッとした。
「どうぞ」
と須藤が答えるのとほぼ同時にドアが開く。
何かに挑むような大股の足取りで入ってきたのは目つきの鋭い痩せた男。痩せてはいるが、かなり鍛えた体つきをしている。無表情というか、いかつい顔つきは、近寄りがたい印象を与えた。
その後から入ってきたのは対照的に体格のいい、丸顔の男。髪は短く刈り上げ、両耳がギョウザのように変形しているのが見えた。部屋の雰囲気になにかを感じたのか、ソワソワと3人の顔を見渡している。
初見で隼也はふたりとも自分より年上だと思ったが、よく見れば丸顔の男は同じ歳か若いくらいだろう。
「これから同じチームで働くメンバーだよ。来週から入る桜木隼也くん、よろしくお願いするね」
そう紹介され、慌てて隼也は頭を下げた。まだ、この名前にはイマイチ慣れていない。
「よろしくお願いします。以前は…」
「おい、自分の素性はベラベラ喋らない方がいいぞ」
痩せた男にいきなり遮られて、隼也はビクリと固まった。言われてみれば、偽名を使って働くような職場だ。だが、職員同士がどれだけお互いのことを知っているのか、まだこちらは知るはずもない。
「ワタナベだ」
男は続けてそういうと、小さく首を動かした。会釈のつもりなのかもしれない。彼の自己紹介はそれだけだった。
「あ、アベ コウスケと言います。あの、ここでの通称ですが」
ワタナベがそれ以上喋る様子がないのを見て取って、体格のいい男が慌てて続けた。
「サクラギは本名か?」
ワタナベが隼也の方に顎をしゃくりながら、須藤に聞く。
「いいや、コードネームですよ。あまりありきたりの名前だけでもかえって不自然だという意見があったものでね」
茶化すような須藤の口調にワタナベはあからさまに眉をひそめ、不機嫌そうな表情には凄まじい苛立ちが見て取れた。
(大丈夫か?この職場…)
少なからず不安を覚えた隼也とアベの目が合った。
チラッと横目で隣のワタナベを見やってから、首をすくめてみせる。
いつものことですよ、と言いたげな苦笑が人のよさそうな顔に浮かんだ。
(こんなやり取り、しょっちゅう見なきゃならないのか)
一気に現実に引き戻される安堵感と、どんよりした不安を隼也は同時に感じていた。
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